「お父さんっ!」
雨をためた灰色の空の下に、娘の悲痛な叫びが響いた。
サントバウムから削り出して作られた木剣が体格のいい男の手から吹き飛んでいく。
「うぐあっ!」
「きゃあああ!」
木剣が回転しながら宙を飛んでいく。地面に落ちたあと離れた所にいた女のエルフの足下に跳ねてきた。
壮年のエルフの男の前に大きなバーロックスと呼ばれる角の生えた大牛のような獣が頭高を低くして威嚇していた。
「逃げろ!イズ!」
「お、お父さんもは早く逃げてー!」
父と呼ばれた男は右手を後ろにをやり腰に差してあった小刀を抜いた。刀というよりは大きめのナイフといった程度のものだった。
「先に逃げるんだ!父さんもすぐに行く 」
イズと呼ばれたエルフの娘は駆け出した。
しかし、野生のバーロックスに追われて逃げ切れるものではないだろうという事は二人ともに考えていた。
〈何で街道なんかにこんな魔物が。イズだけは絶対に守る!〉
相手の衝撃を受けられるように逆手にナイフを構える。
振り返りながら逃げていた娘が父の様子を見て声をあげる。
「お父さんも !」
「イズ!早く!もっと遠くへ逃げるんだ!」
「でも 」
エルフの娘がもたもた言ってる間にバーロックスが突進した。
バーロックスの角が父親を突き刺そうと迫った。エルフ族の動体視力が獣の直線的な動きを見切る。ナイフが角に刺さる。腕のしびれが手元を狂わせた。
しまっ。
最後まで思う間もなく、思い切り頭を後ろに振ったバーロックスに父親は飛ばされてしまった。街道脇の木に打ち付けられずるずるとうつ伏せに倒れる。
「ああ、いや、嫌 」
バーロックスの向こうで動こうとしない父親から目が離せない。駆け寄ろうとしたが二三歩で膝から力が抜ける。
「お父さん 」
めそめそ泣き崩れるイズをバーロックスの獰猛な目が捕らえる。最後の宣告のような獣の荒い息づかいが聞こえた。イズがそちらを見ると、獣の頭に表情が浮かんでいるかのように見えて戦慄する。卑しく笑いかけられている。これから獣による自分の命の蹂躙が待っているのかと考えてしまって、絶望した。口のなかにたまった唾が泡になってきた吐き出てきた。がくがくと身体中の震えが止まらない。頭の上を何かが飛んでいった。
獣が吠えた。何かがバーロックスの目元を抉った。
風が駆け抜けた。
自分と獣の間に人が立っていた。というより、獣の真ん前にその者はいた。「え」とイズが何とか目の前の光景に呟く間に、その人物は自分よりもかなりの大きさの獣に拳を撃ち込んだように見えた。
突然眩しい光が発生した。イズは目が痛くなるような眩しさから身を守るように腕を掲げた。
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