暖炉で温めたスープとパンの簡単な夕食を親子は済ませた。暖炉の前に置いた靴から湯気があがっていた。後片付けを済ませたイズが厨房から戻ってきて、まめまめしく靴の向きを変えた。それから父親の為に、痛み止め用の膏薬を布で包んでいた。部屋の明かりは暖炉の炎と二台のオイルランプの明かりだけだった。大都市等で整備が進められている魔導電源は、森の奥のエルフの村にはまだ届いていなかった。
イズは薬を父親の肩にあて、それを包帯で巻いてやった。何度も使い古した包帯だった。父親は背が高く肩もがっしりしていた。薬はガルドの妹がわざわざくれた物だった。
「ん、ありがとうイズ」
「うん」
父親が服を着るのを手伝いながら言った。
「あの人、まだ起きないね」
「ん、ああ」
ガルドは戦兎の話題を控えていた。
「そろそろ、部屋に運んどこうかな…」
「ん?部屋?」
「わ、私の部屋で、ちゃんと寝かせようと…」
「ばっ、駄目、絶対!」
イズが突然声を荒らげた父親にびくっとする。
「え、でもこんな所じゃ、良くないよ。その人の体に…」
「あぁっと、ここ、この部屋の方が暖炉もあって暖かくていいんじゃないか?」
「そうか、な?」
「そうそう」
説得成功と喜ぶ一方、流され易さに危うい物を感じたガルド。
「じゃあ、部屋から毛布持ってくるね」
「なに!?」
父親の鋭く発した声。
「え、この人にかけるための、毛布でも取りに…」
「イズのを使うのか?」
「え?えっと、そうだけ 」
「駄目だな」
父親は最後まで言わせなかった。
「お父さんのを使いなさい」
「え?でも、お父さんもちゃんと休まないと」
「いいんだ。大丈夫」
「うーん…」
「どうした?」
「うん…お客さん用の使っていい?」
「ん?まあいいけど…」
たたたとイズは、予備の寝具が仕舞ってある部屋に行った。時々やって来る叔母が、泊まった時の為にあるやつだった。最後に使ったのは去年の夏だった。あの時も楽しかったなとイズは思い出していた。イズは色んな事を教えてくれる優しい叔母が好きだった。
ガルドは、予備の布団は妹が主に使っているやつだが、まあ構わないかと思った。それよりも、イズがガルドの物をあんな見ず知らずの男に使わせないように気を使ってくれた事に、何だか得意な気持ちになっていた。背もたれの無い椅子に座ってイズを待っていた。
イズは近頃、父親の衣類などからする臭いが苦手になっていた。ずいぶん前に同じ年頃の女の子がそんな話を喋っているのを耳にした事があった。何て酷いことを言うんだろうと思ったイズは、後でその事を叔母に話した。
(まさか、本当に、私もこうなっちゃうなんて…)
叔母が言った通りになった。
んー。なんか皆そうなるもんらしいから。イズも多分そういう時が来るかもよ。お兄ちゃん落ち込みそー。
けらけらと年の離れた自分の兄の様を想像して笑いだした叔母に、「ひ、ひどい。私はそんなことしないもん」と憤ったものだ。叔母の想像の中にはイズもきっといたに違いないのだ。
あはは。ごめんごめん。いや、でもそういうの少し羨ましかったかなー。私は分かんなかったからさー。まー、少しだけだけどね。
そう言って肩をすくめてみせた叔母とガルドの両親、イズの祖父母にあたる人は早くに亡くなっていた。
(そのうちまた、元に戻るらしいし仕方ない事なんだって言ってたけど。お父さんは何も悪くないんだし、やっぱりひどいことだよね…)
潔癖な傾向のあるエルフ族にあって、遅めにやってきた年頃の娘相応の現象にイズは戸惑うばかりだった。この事を相談できる相手をイズは身近に持っていなかった。
(お父さんは、私を一人でここまで育ててくれたんだ。気持ち悪いだなんて私が間違ってる)
イズの母親もまた、イズが幼い頃に世を去っていた。
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