異世界トレイル

果ての樹海のその果てに
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第十三話 螺旋

公開日時: 2020年10月11日(日) 09:09
文字数:2,844


 絶望に力が抜けかけたその瞬間、アルセンさんが足元に視線を落として言った。


「水だ、ヤヨイ……」


 ハッとして彼の視線を追う。澄み切ったせせらぎが足もとで煌めいていた。水だ……大量の水。


 そうだった。水があれば僕は、“水の加護”を出現させることが出来る。


 ……だが、どうやって。


 この状況をあの掌から立ち上る螺旋だけでどう切り拓く。


 その時、脳裏にアルセンさんが言っていた事が蘇った。


 『加護が現れるかどうか、そしてその規模や強さは、祈りの純粋さ、そして強さによる』。アルセンさんはそう言っていた。だが、この量の水をどうにかできる気が全くしない。


「……無理です、アルセンさん。僕には無理です、アルセンさんが……」

「ヤヨイ、大丈夫だ。君がやれ。手負いの俺ではダメだ……痛みが邪魔をする。大丈夫、必ず出来る。俺は君を信じている」


 僕を……


 誰からも期待されず、何をするにしてもずっと自信が持て無かったこの僕を、アルセンさんは『信じている」と言ってくれた。


 『言葉の加護』は関係ない。『信じている』って言葉は、僕に何かを求める訳ではない。彼がそう在るということ、ただそれだけを伝える言葉だから。


 やっと分かりました、アルセンさん。


 あなたの言葉は、初めからずっと在り方を示していただけだった。


 だから、僕は動かされたんじゃない、動いたんだ。


 あなたの言葉で、動くことができたんだ。


 見つめ合い、頷く。そして目を閉じる。


 祈りの純粋さ、そして、強さ――


 ――祈る。強く、強く祈る。


 心からの感謝。水への愛。体の中に満たされた水、そして足元をさらさらと流れる澄み切った川の水。


 水は僕自身。僕自身が水。


 一体となり、融ける。


 混じり合い、一つになる。


 一つになり、“祈り”は“意志”となる。


 澄み切った川の水と一体となった今、何をどうすれば良いか手に取るように分かった。そして、自らの身体を動かすように――


〝渦巻く〟


 目を開く。僕とアルセンさんの周囲を、巨大な水の柱が螺旋を描きながら囲んでいた。振り返ると背後に迫っていた巨大な熊狼の母親が立ち上がり、固まっている。そこへ目掛け――


〝呑み込む〟


 渦巻く巨大な水の柱が、竜の如く熊狼へ飛び掛かる。顎門を開いた水竜が、熊狼の胴体に勢いよく噛みついた。凄まじい衝撃を受け、巨大な熊狼の身体が後方へ吹き飛ばされた。


 その光景を見送り、すかさず叫ぶ。


「今の内に、向こう岸へ」


 アルセンさんと二人、肩を組みながら霧の中へ入っていく。脚を引きずるアルセンさんを支えながら、水の中を一歩一歩、早足で進む。やがて霧が晴れ、対岸が見えて来た。


 岸に上がり、膝を着く。アルセンさんも傍らに手を着き、その場に座り込んだ。


 背後にはもう熊狼の気配を感じない。


 生き延びたのだ。


「助かった……助かったんだ」


 肩で息をしながら、空を仰ぐ。


「うぐっ……」


 アルセンさんが手を脇腹に当てながら呻き声を上げ、顔を歪ませた。


「アルセンさん」

「あばらにヒビが入ったようだ……幸い脚は捻っただけだが」

「すぐにシェルターの準備をします。ここでじっとしててください」


 森に資材を集めに行こうとして、ふと視界の端にある物が入った。森を向いて左手、三十メートルほど先の河原に、深緑色の大きな塊があったのだ。


「あれ……は……」


 シェルターだ。それも、アルセンさんがいつも作るのと同じ、“ノースホック式シェルター”だ。つばを飲み込みながら、そちらへ近づいていく。ここまで誰か人が来て居たというのか。


 近くまで辿り着き、思わず「あッ」と声を上げた。シェルターのすぐ近くに、人が一人座って入れるくらいの窪みがあり、そこに水が溜まっていたのだ。完全に見覚えがあった。忘れるはずが無い。


「これは……僕が作ったお風呂……」


 それは、つい二日前にアルセンさんと僕が入った自作のお風呂だった。


「何でここにこれが……」


 論理的に考えてかなり不自然だった。僕達は二日前、川を渡ってから野営の準備をしたのだ。つまり、熊狼から逃れて元の方角へ戻ってしまったのだとすれば、このシェルターとお風呂は川を渡る前にあるはずなのだ。


 僕とアルセンさんは熊狼に追われ、川を渡ったのだ。だから、ここにこれがあるのはどう考えても不自然だった。


「何かが、おかしい……」


 しかし、僕はこういった不思議な現象が出て来る映画や小説などをこれまでに何度か目にしていた。そのため、ある推測がすぐに脳裏に浮かんだ。


 これはもしかすると、あの川の霧を起点としたループかもしれない。


 だが単純なループではない。アルセンさんは約一年、樹海の木の枝の向きを頼りに同じ方向に進み続けたと言っていた。これが単純なループであるならば、もっと早く自分が以前作ったはずのシェルターを発見し、不自然さに気付いたはずだ。


 それに、一日目アルセンさんと僕が出会ったあのシェルターは、初めて川を渡った先、つまりこの“お風呂のある河原”では見つからなかった。恐らく、今回は何らかの要因で前回と同じ河原に辿り着いたのだ。


 何らかの要因、あくまでも推測に過ぎないが、もしかすると僕が出現させた“水の加護”がひとつのきっかけかも知れない。


 だがそれよりも重要なのは、この樹海のループの仕組みだった。世界を囲むようにして存在する『果ての樹海』。その“果て”にこれまで誰もたどり着けなかったのは、きっとこのループが原因だ。それがどういう仕組みなのか。


 川を渡り、霧の向こうへと行けば、樹海が始まる。


 世界の“外側”へ向いている木の枝を頼りに樹海を三日ほど進むと、再び川に出る。


 その川を渡れば、再び前方に樹海が現れる。


 ループ。


 だが、これまで歩いて来た場所と同じ所とは限らない。


 その時、ループのイメージが、掌に立ち上ったあの水の竜の形と繋がった。


 ループはループでも、“円環”じゃない――



 “螺旋”だ。



 僕たちは螺旋の上をずっと歩き続けていたのだ。


 この世界がドーナツの形だとすると、中心の空洞がアルセンさん達の国『ノースホック』がある人々が暮らす世界。そしてドーナツの部分が樹海だ。


 空洞から樹海に入るには、濃い霧に覆われた川を渡らなければならない。


 そして対岸に辿り着くとループが始まる。この河原を仮にAとしよう。


 樹海を抜け、ドーナツの外側に来ると再び霧の立ち込める川が現れる。


 その川を渡ると、再び河原が。


 だがこの河原はAではない。少し位置のずれたBという河原だ。


 つまり、ドーナツの外側の川と内側の川が少しずつずれてループしているのだ。まるで、ドーナツに螺旋状に紐を巻き付けたみたいに。


 よって、『果ての樹海』に、“果て”は存在しなかったという結論となる。


「アルセンさんに……言わなくちゃ……」


 だが、どう伝えればいい。彼は亡くした息子との約束を果たす為に樹海に入ったと言っていた。終わりが無いと分かったら、きっと心底がっかりするに違いない。


 足元が心なしかふらつく。アルセンさんの居る方へよろよろと戻る。彼は河原の丸石の上に仰向けになっていた。


「アルセンさん……」

「おお『アルチョム』……早かったな……」

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