「ふう……」
レース当日、炎仁は準備を終え、ベンチに腰かける。
「緊張しているようだね?」
「は、はい!」
先輩ジョッキーに声をかけられ、炎仁は慌てて立ち上がって返事する。やや茶色い髪をした人である。この人の名前はなんだっただろうかと考えていると、その先輩は笑う。
「わざわざ立たなくても良いって」
「は、はあ……」
「おい、三郎、早速新人イビリか?」
「いやだな、次郎兄さん、ちょっと挨拶をしただけだよ」
「今のご時世、パワハラで炎上だな」
「太郎兄さんまで、やめてくれよ」
先輩によく似た顔だちをした男たちが声をかけてくる。そういえば今日のレースは三兄弟が同時に騎乗するって出走表にも書いてあったか……ということを炎仁は今さらながら思い出す。我ながらかなり緊張していると思う。
「あ、あの……」
「グレンノイグニース、良いドラゴンだよね」
「は、はい、ありがとうございます」
「俺も調教VTRを少し見たけど、なかなかの素質を感じさせるな」
「あ、そ、そうですか……」
「私も記事を見た。今年の二歳竜戦線を賑わせる可能性があるという記事をな」
「へ、へえ、そ、そうなんですか……」
三郎があらためて声をかける。
「まあ、お互い頑張ろうよ」
「は、はい……」
次郎が笑いながら、炎仁の肩をポンポンと叩く。
「おいおい緊張し過ぎだぜ、リラックスしなよ」
「す、すみません……」
太郎が手を差し出し、炎仁と握手する。
「良いレースにしよう」
「あ、は、はい……」
「紅蓮騎手! よろしいですか?」
スタッフが炎仁を呼ぶ。
「あ……し、失礼します!」
炎仁は頭を下げてその場を後にする。
「……どう思う?」
「そもそもスタートがまともに切れるかどうかってレベルだろう?」
「警戒するに越したことはない……」
三郎の問いに、次郎と太郎がそれぞれ答える。出走の時間が近づいてきた。
「大丈夫でしょうか、紅蓮騎手?」
スタンドの関係者席で眺めていた環太郎に環が尋ねる。
「……面子的には苦戦はないと思うがな」
「そ、そうですよね」
環の表情が明るくなる。
「もちろん、競竜に絶対はないが」
「そ、そうですよね……」
環の表情が暗くなる。環太郎が苦笑する。
「お前が緊張してどうすんだよ」
「と、とは言っても……結構人気してますし……」
「三番人気か……調教の仕上がり具合もまずまず良かったしな、なんだかんだでフアンの連中はよく見ているぜ」
環太郎は関係者席からスタンドを見回して笑う。そんなことを言っていると、ファンファーレが鳴る。環が胸の前で両手を合わせる。
「始まる! 返し竜も悪くなかったです……うん! ゲートにもすんなりと入りました!」
「横で実況すんな、ちゃんと見ているよ」
環太郎が呆れる。ゲートが開く。環が叫ぶ。
「ああ、ゲートが開いた!」
「うるせえな!」
「……よ、よし! スタート出来た!」
炎仁が小声で呟く。今回はスタート直後に落竜ということはなく、まずはホッとした。それにより、緊張が少し解けた炎仁はレースプランを思い起こす。
(思ったとおりのハイペースだ。焦らずについていって、中団で脚を溜める……!)
「ふふっ……」
「!」
先ほど、声をかけてきた先輩ジョッキーが並びかけてくる。
「今日はちゃんとスタート出来たみたいだね?」
「あ、は、はい……」
「出遅れでもした方が良かったのにね!」
「‼」
炎仁が驚く。先輩ジョッキーが竜体をぶつけてきたのだ。
(わ、わざと⁉ い、いや、これくらいの接触は普通か……)
「へえ、動じないね……生意気!」
「⁉」
再び竜体をぶつけられる。炎仁は戸惑いながら、考える。
(さっきよりも強いが、これも普通? もう少しポジション取りを意識しないと……!)
気が付くと、内ラチ沿いギリギリまで追い込まれてしまっていた。内側が有利とはいえ、これではいざという時に外に持ち出せない。炎仁は慌てて前に進もうとする。
「……そうはいかないよ」
「さすが、太郎兄さん」
「くっ⁉」
もう一頭のドラゴンによって、イグニースの前は完全に塞がれてしまった。
(な、ならば、ややロスになるが、後ろに下げて……!)
「へへっ……どうした? レースってのは前に進むもんだぜ?」
「ナイス、次郎兄さん」
「うっ⁉」
さらにもう一頭のドラゴンによって、イグニースの後ろも完全に塞がれてしまった。内ラチを含めると、四方を完全に塞がれた状態だ。
(そ、そんな……! 絶妙に誘導された⁉)
「ふふふっ!」
「ふっ!」
「ぐっ!」
三度竜体をぶつけられ、さらに前方のドラゴンが強く蹴った芝が炎仁とイグニースの顔にかかる。炎仁は顔をしかめながら、後方をチラッと見る。後方にいる次郎が笑う。
「ふふっ! 後ろには下げられないぜ! そらっ!」
「うおっ⁉」
やや斜め後方から次郎が竜体をぶつける。
「まだまだ!」
隣からも三郎が竜体を細かく接触させてくる。炎仁が呟く。
「な、なんで……?」
「いや~君と紺碧真帆ちゃんには、僕らの可愛い妹たちが世話になったみたいだからね!」
「! あ……」
炎仁は競竜学校初日の模擬レースを共に走り、ダーティーな騎乗で退学処分になった茶田姉妹のことを思い出す。そういえば、この三兄弟の苗字も茶田だ。スタンドで環が叫ぶ。
「こ、こんなのレースじゃありません! 抗議してきます!」
「待て!」
「え⁉」
環太郎が立ち上がった環を制して呟く。
「まだアイツらの眼は死んでねえ……!」
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