ペジテ市進攻七時間前。
四機編隊のブリッグが深夜の空を飛んでいた。
「午後にはトルメキアの主力部隊は全滅だ」
一列編隊の殿の機のコックピットの中央に立つ男が、先行するブリッグの翼の尾灯を薄く曇った夜空に浮かんでいるのを見ながら言った。
(犠牲は小さくはないが )男は自分の今までの暮らしを思った。広い邸宅に、メイドが作る食事。様々な女との情事 。しかしそれらを捨てでも 。
(やる価値がある。我がペジテ市国が再び世界の盟主へと返り咲けるのだ!ペジテの栄光を奪っていったトルメキアをばらばらにしてやる !)
座席の手摺を強く掴み手の甲に筋が浮かんだ。
(あれをあの地で覚醒してやれば世界を取れる 。姪には少し可哀想な気もするが、あちらの気持ちも分からないでもないしな。くくくくく)
前を飛ぶブリッグにある積み荷と、美しい献上物を思い男の顔が歪んだ。
「やっとここまでこれたな」
「ああ。もうすぐ抜けられるな」
「一時間切ったってとこか。最後まで油断は出来ないぞ」若い操縦士たちに機長が言った。「この特別機にペジテの未来がかかっているのだからな」
「はっ」一人が機体の騒音に負けずに応えた。
「はい」一人は少し覇気が感じられなかった。
「どうした?疲れたか?」無理もあるまい。長時間かつてない緊張を強いられる飛行なのだから。機長は若い操縦士を思った。
「あ、いえ。その、」若い操縦士は言い淀んだ。
「なんだ?気になることがあったら言ってみろ」
「はい‥‥」それでも若い操縦士は迷っていた。
「おい、お前な 」もう一人の操縦士が相棒に言った。「その話はもう良いだろ」
そのやり取りが聞こえて、機長は若い操縦士の心配事を察した。
「王女様のことか 」
「はっ、はいっ!」
それな、とでもいう感じに機長がため息を一つついた。
「自分は、王女様があまりにも不憫でなりません」
「お、おい 」
若い操縦士の思い切った発言に相棒が驚いている。
「いや、俺も、同じ気持ちだ」
「機長‥‥」
「不味くないですか?」
心配症の相棒操縦士が上司の様子を見た。
「皆、思ってる。聡明で美しいラステル様を献上物のようにしなければならないんてと」
「そうですよ!こんなことをしてまで作った国なんて、本当に意味があるんでしょうか?」
「ネオ・ペジテ市か 」
機長がほんの少し鼻で笑った。
「何言ってるんですか!これからは枯れることを心配のしなくて良い井戸、緑の森、涼しい風の中で暮らしていけるんですよ!そうラステル様達だって言ってるじゃないですか!」
「それを言ってるのは、国王陛下の弟君だろ。全部あの方が扇動してるんじゃないか」
若い操縦士が乾いた笑いにのせて言った。
「でも実際に特使が持ち帰った資料を見せてもらったじゃないか。写真だってあった」
「ペジテに多くの人を残したままで来た。俺もあの人達と同じ町にいたんだ」
「前に聞いたよ」
「ああ、言ったな。俺はたまたまこうやって飛行機を飛ばせる事が出来たから、俺や俺の家族はこいつに乗せてもらえた。でもほとんどの‥‥‥」
「お前まさか 」
一瞬コックピットに緊張が走る。
「俺はペジテ原理主義じゃないよ。心配しないで下さい」若者は年配の機長を振り向いて言った。
「ああ。しかし、ま、この機のこのコックピットにいる限りはラステル様原理主義で結構だ」
「何ですかそれ」
「機長‥‥」
良いこと言ったつもりの上司のジョークがこけた、ちょっと白けかかっていた時、コックピットのフロントガラスが闇の中に浮かんだ光を白く反射し、そして残りの明るさが透明なガラスを突き抜けて操縦士達のいる所に届いた。
「何だっ!」
機長が叫ぶと同時に、
《こちら二番機 やられた 》
1/3リーグ先を飛んでいる銅色の機体が闇にくっきり浮かび上がっている。左側の翼の付け根の下辺りから飛行速度に伴ってなびいている炎が出ていた。機体は大きく傾いて下降し始めている。大破した箇所から物資や人がざらざらこぼれ闇の中へ放り出されて消える。
「こちら特別機!二番、応答せよ!」
すでに警戒態勢が取られ、機内すべてに金属缶に響くようなアラートが鳴り響いている。
《襲撃 機内で。原理の奴らだ 》
「なっ!おいっ、持つのかっ!?」
《墜ちる 出力上がらん 蟲が !》
「おいっ !」
一際大きな炎が暗闇に現れた。
「左旋回上昇!」
機長の判断は早かった。二番機長とは同期であったが、感傷に浸る時間は無かった。
「きゃあああーッ!」急激な旋回行動に機体が大きく傾いた。機内のあちこちが悲鳴で埋まる。
「エンジン出力上がりません!」副機長が叫ぶ。エンジンの悲鳴に二番機の爆発の衝撃が重なりだした。
「あれが重すぎるんだ!」補助機関士が吐き出すように言う。「破棄しましょう!機長!」
「駄目だ」
「ラステル様が危険です!」
「駄目なのだ」機長は一度言葉を切った。「ラステル様にはあれが必要なのだ」
「しかし 」
その時左の風防の向こうから、バンバーン、ガーンという音が聞こえた。三人とも音がした方を向いた。巨大な左翼からぽつぽつと火の手が上がっていた。
「撃たれた!?」若い副機長が言った。
機長は音のした時に、機銃の弾丸が鉄板を貫通していった音だったと気付いていた。しかし、自分が撃墜されるなどと言うことは認め難かった。ましてやこの空域でそれが可能なのは 。
「後ろだ!王弟殿下の機だ!殿下に撃たれたぞ!」
左翼から衝撃が走りブリックが震えたかと思うと、左にずんずん沈み始めた。
「左の2番停止!炎上!」
「あれを廃棄する!」機長が叫んだ。首に下げていた鍵を服の内側から取り出した。「全員ラステル様を御守りせよ!」
「ブリッジから貴賓室!緊急態勢取れ!」補助機関士が伝声管に叫んだ。
「くそッ!」機長は差し込んだキーを何度も回しては戻してを繰り返していた。「ハッチが開かない 」
「このままだと腐海に落ちます」
ウゥーという絶望的な音をたてながらブリックは高度を落とし続けていた。
「なんとかするぞ!風の谷にもそろそろのはずだ!」
「うわっ!」副機長が悲鳴をあげる。「蟲だぁっ!」
コクピットの外側に縄張りを荒された蟲達が張り付きだした。
「くそッ」慌てた補助機関士が銃を持った。
「止めろッ!」機長の言葉は銃声にかき消された 。
「大きい」夜の闇の中に浮かぶ幾つもの光点を見上げながらジルが言った。
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