電弧と機軸 - Arche Axes -

Be Families Again
ムコノミナト
ムコノミナト

第参話: 巢構う暗鬼 PART2

公開日時: 2022年9月23日(金) 19:12
文字数:3,080

「お前らもオレと遊ぼうぜえなああ!」


 バンの躊躇ためらいは書生のそのことば壱切いっさい消え入った。スズはと云えば、不相変あいかわらず虛頓きょとんた表情を見せるも、兎角とかく彼の策に從う亊へおのれの尊嚴を賭けてた。其眼は、今か〳〵いまかおりを待ち侘びる。灼き擊つが如き闘志の潜むひとみ何處どこたの顏附かおつきながら、木蔭こかげを飛び出す彼を、いちからじゅうまで見据える。灰色の雲の隙間から溢る陽の目を見て彼は、——傍観者に見守られて、——怯み脚の動かぬ子ども達のもとへ颯爽とけ附けるが早いか、指差しつ、此樣このよう挑發ちょうはつした。


「おいッ! その子らを、放せ‼」


 の言に振り返った書生の眼はまる玻璃ビー玉の樣に、其藍色と縦長の瞳とをこう々と蓄える。


「はあ? なに、指図してンだよ萎えチン野郎ォォ……‼ 天才であるこのオレ、ルミクに楯突こうッてえのか屑⁉」


 彼はテルルの髮を鷲摑わしづかみに爲乍ら立ちあがる。片や左手には、庖丁knifeが握られて居た。バンは左れを見聞き爲て、彼を落ち着かすのが先決と悟る。冷かな心頭が無機質に書生をいさめた。


「そうは言わない。ただ、その手を退けてくれないか。……遊びたいお年頃というふうにはとても見えないが、このままだと君は聞き分けがない子どもの一員になってしまう。」


 バンはう云い乍ら、彼の持つ庖丁に対して憤りを隱し切れなかった。然し乍ら、聞き分け善い子ども達の爲にも、此處ここは己れを抑え、彼の意識を攪乱させる亊が必要不可闕ふかけつである。


「なあんだってェェ? てめえ、この蒼い顔したガキィィにナイフ叩ッこまれてえのか‼」


 彼は眼附を尖らせて庖丁を構えた。テルルの顎には、ただ、其きっさきの冷徹さだけが据わる。はだと膚の間から、いきおいい悪寒が飛沫を上げる。若し、此様な書生も彼なりの真善美を備えるならば? ——左う云うかんがえがバンの頭をよぎる。彼は己れの優柔をじると共に、あの庖丁の攻略に苦しんだ。


(う、動けない。……なぜ今さら躊躇ったんだ、俺は?)


 彼は融通の利かぬルミクを説得しようと爲たのを後悔し始めた。表情が强張こわばる。


(こうなればもうあいつに隙は……ない! ——)


 霞む展望に打ち拉がれ、彼は強く眼を瞑った。左う爲る中、彼は脈搏みゃくはくに紛れる囁き言を聞いた。——囁き言? と云うにも、脈搏が肝腎かんじんことば悉皆しっかい搔き消して仕舞うので、彼にとっては其何方も誼譟ノイズと爲て感ぜられた。彼が其こえ判然はっきり聲と認識したのは、或『豫覺よかく』、またはげしい悲哀が、彼の視野を𤆆色はいいろに変え、彼の鼓動をめた其幽玄、夢幻とも附く壱瞬の最中さなかである。彼には理解が及ばなかった。唯壱、たとえ難い憤懣ふんまんに身をかれて居ることほかには。


(——え、ねえ、にいに——聴こえる?)


 彼を癒したのはかる途切れ〳〵の低聲こごえだった。


(だ、……だれだ! ソールか?)


 しゃに構えてたずねれど、彼は其全く聞きおぼえの無い聲に救われる心持こころもちかくせない。


(ちが——。わた——行くのは、————先。)


 彼女が左う答えるとこれ以上何を云う亊も無かった。先刻さっきせて居た世界の色彩が、段々元に戾り始める。彼は動かせる頚と眼とを遣って辺りを見渡すと丁度戾り切る頃にルミクを捉えた。結局、聲の主には委細見当が附かない。然し乍ら、彼は、——彼女? の御蔭おかげで此劣勢において担うき役割を發見はっけんした。彼は彼女への畏敬を籠めた謝辞を胸中に述べると共に、眼前で胸糞の薄ら笑いをうかべるルミクを、再びにらみ附けた。ひと差し指を立て、又も此様に挑發する。


「などと演ってみたりな、ルミクとやら!」


 彼は立てた指を書生とテルルとの間に差してつづける。


「今一度言う。両手を離すんだッ! さもなくば、君の学業は幕を閉じる!」


 書生は其ことばの意をいぶかった。聞えた途端、大粒の冷汗が流れ始める。て眼が見開かれ、亦、顏が引きって来る。不意と身の毛が彌立よだような焦燥と、隈無くまなく己れを襲う正体不明の痲痺しびれ


(なんなんだこりゃ……? こ、……このオレがビビっとるっちゅーのか。オレに殴りかかることさえままならない、あんな骨抜きチキンに⁉ そんなハズはありえない‼ なにが恐ろしいんだ……⁉)


 彼は鳥渡ちょっと周りを見回し、そぞう云い放つ。


「はッ、なにが『幕を閉じる』だ気障キザ野郎! しかしなァ。お前のようなヤツの、愚かなおひと好しの多いことよ! この天才オレルミクはわかった! お前の愚策には乗らん‼ ほれ。放してやる——‼」


 ——ぜ……⁉

 眼を丸くた彼は、たしかにテルル少年を無傷のまま解放した。と云うよりも、そとの子ども達にむかって突き飛ばした。しかし己れに刻んだ罪は相当深いらく、彼が不図ふと子ども達へ嘲りと優越の眼を向けると戰鎚war hammerを左手に構える双尾髪ツインテの少女がゆっくりと、れど最早逃れられぬ距離迄迫って來て居た。けはい呼吸いき——、左う云う振動のひとつさえ立てず、唯其眼附めつきかげり彼の無樣な虛勢を嗤う。轟々と天罰執行の意志を掲げた幽かな左手へとあらわに爲て居る。其、鐵鎚ムジョルニアてのひらへ。


(し、しまった! アイツも『機軸きじく』、か……⁉)


 其處で背を向け彼は又もやを引んいた。


「ごぇええ━━━━ッ⁉ ささ、さ……郷長あ……!」


 バンと子ども達、其奧には尺は有ろう隆々りゅうりゅう躰躯たいくが待ち侘びて居る。


「あーあ。こりゃソメンシカってカンジだねー。」


 彼女は勇ま敷く微笑した。先程受け止めた少年が、背ろで、彼のもとけ附けて来た友達と、えぬモノについて奇妙がる其容子を壱瞥してから、未だ抵抗にすがる書生を見据えて此うあらかじめ断った。


(しょーもないコ物クンだけど、逃がすつもりもないね。)

「うぐぐぐぅうう……‼」


 最早書生の屈服丈をきらめかす其玻璃vidroひとみに、彼女はただ壱片の優越さえ感ぜられなかった。彼女の機嫌をうかがイヤな上眼遣いが、未だ何かひそかに企むのが見て取れる。彼女がなお邪気あどけ無く微笑を浮べられるのは、何う云う惡感情をも、——呆れをも、——通り越した今時分であるからこそ。


「お縄ちょーだいしてちょ━━だい、なッ‼」


 書生のももつ、骨のずいするど打擊だげきが響く。是非ぜひも無ければ、慈悲も無い。


(す、……素早いッ⁉)


 彼は瞬きも忘れる程悶えた。其劇痛げきつうは、彼を意識諸共もろとも吹き飛ばす。あまつさえ附いた尻もちは傷を咎め、意識を呼びもどした。彼は壱層震い悶え、地に平伏ひれふす。其れを見て、バンはすかさず云った。


「みんな! ソールも俺の後ろへ!」


 左う爲て此書生はみじめな孤独を得た。彼の頭を擊った球すら、最早其處には無い。はて無くひろがる緑と土の上に、其怒り顏をせて居る。彼が砂泥さでいに塗れた顏を起すのを、バンはじっと待った。


「さっき、……た。あのガキを解放すりゃ見逃すって、……そう言った……ッ!」


 バンは聴く価値の無い言を此様に退けた。


「合わない辻褄合わせは止めろッ‼ 見逃されようだと? ……彼を害し脅し突き飛ばし、結局今も謝ろうとさえしない君がか! なにもせずして得ようとは、とんだ卑怯者精神だ。」

「待つのじゃ。今、担架を連れて来る。もうさぬか、バン!」


 鄕長の制止を振り払った彼は、地を這いつくばる書生の許へ遅々のろのろと歩み寄る。


(オレの『電弧でんこ』さえ、アレさえ発動できればあんなヤツ! ……)


 書生は唇をみ締めた。其處へ彼の手が伸びて來た。


「な、……なんのつもりで!」

「立ちなルミク。まだその右脚は動かせるな? 俺の肩を貸すから、君自身の脚で歩けよ!」


 其言は、書生の心に複雑な物をのこす。が、畢竟、彼は心変りには至らなかった。


(しめたァ‼)


 晃々ぎらぎらわらう瞳孔は縮み、よろこびのあまり口角は限界迄あがる。


「やはりお前はマヌケなお人好しだァ‼」


 う昂った彼は、伸べられた手のくびを潰れん許り握る。やがて其掌中しょうちゅうにはあぶらまと數疋すうひき蚯蚓ミミズが生じた。彼等は其膏をこすり附け乍ら、バンの頚へ走って行く。赫黑あかぐろ生物それうごめきは、其頚椎けいついうずかせた。——生物? 皆目左う云う亊さえわからぬうち、彼は頚に変な感触を覚え始める。然し、気附けば既に手遅れであった。

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