電弧と機軸改訂版、再開します。
帰路に就いた壱行の前に、彼の者が現れる──
「お二方ァ、見えてきたぞ!」
男が左う指し示すのは鄕の方である。樹木が生い茂る許りの野生を進む彼等は、殊にバンとソールは、途次水流に涼む抔爲て身を休め樣と試みた物の、悉く脚への負担が續いた爲か、亦、雲掛かって朝陽が少し暗く澱んだ爲か、へとへとで略疲れ切って居た。彼女は浮揚する丈の靈力をも使い果し、今時分山道を落ちでも爲れば壱巻の終りである。呼吸も絕え〴〵と云う時に見える鄕は、惡天候を殊更狂逸に際立たせた。其れ迄愚痴を溢す亊さえ忘れて居た彼女も、不意と鄕長の立つ処へ近寄って慥める。左う云う警戒を怠る程に、其處から観える街並みには眼を惹かれるらしい。彼女は得も云われぬ興奮を覚え、拳を握り、瞳を輝かせつ此樣に云った。
「わあ━━っ、……古そうなのと新しげなのが並んでて、なんだか情緒的かもー⁉」
左右に同じ建築物が双び、起重機に似た巨きな機械が左の方を屋根から線状に爲て吸い上げ、右の方へ床下から移して行く。硬い素材は鉄でさえ機械の中で柔かな物へ変り、再び固まって素材と成る。
「あれぞ、奇怪な機械というヤツよなあ!」
「郷長、やりらふぃー‼」
彼は独り呆れ返り、大笑いを續ける男を後目に掛けた。
(本当に重役なのか? このジジイ……)
彼が訝しむと男は緩んだ頰を滑かに戾し、再び彼女等を麓へ先導し始めた。彼女は先刻のを観ると鄕への到着が餘計喜ば敷く思えて來た樣で、身も心も嘗て無い程舞い揚る。餘所見に因り彼女の怪我するのを心配した彼は、壱応努々留意する樣に彼女へ云った。軈て目指した麓を越え、漸と何亊も無く地平に差し掛かった許りの処へ、緑溢るる公園を、優しい風が子どもと遊具とを連れて壱陣舞い遊ぶのを發見する。傍観者達の、殊に鄕長の鼻腔を不意と暖かに過ったのは、遠き晴春への微かな追慕であった。男は、否此場を見守る誰もが無辜の安泰を切に祈った。常磐が破られぬ爲には祈るより外無いかの如く、定め無き此世を定める存在を崇拝した。バンは最早失笑さえ儘ならず呆れては、子ども達の傍に稍緩りと歩み寄る。其跫音を聞いた子ども達は、肌身に異樣な風格の傳わって來た木蔭の方を見詰めた。其處に、蠱惑の眼差しを据える青年が唯独り、正坐し、靜かに彼等へ微笑い掛けて居る。
「ねえ、スズ。あの子だれなんだろ、見たことあるう?」
最初気が附いた男子が、左う外の女子へ耳打ち爲る樣に潜々とバンを指差した。
「うんう? あんな長いの巻いてる子知らない。」
「寒いのかなあ、重たくないのかなあ?」
其弐科は皆の輪から壱旦外れて互の眼を見合った。木蔭の彼は小さな手振りで弐科を呼び附ける。
「手、振ってるぜ。なんの用かサッパリだけど行ってみよう。」
「わ! わたしは遠慮するわ!」
スズ達は再建の御時世を謳う温和達へ悉皆潔癖で心の堅い生物だと云う知見を得て居た。が、眼前の彼の祈らぬ姿勢は此世から頗る遊離して映るのか、信仰の髙いスズには却て無気味だった。
「ほら、『長い物には巻かれとけ』って言うじゃあないか?」
「ベツに言わないと思うけど……」
遠回しな物云いを遣うスズの手を引ッ張って彼は木蔭へ駈け附ける。彼女は誘引に戶惑いつゝも、丁度木蔭に這入る壱歩手前の処迄縺れる脚を運んだ。バンは微笑を絕やさず此樣に挨拶を振る。
「初めまして! 最近、……越して来た? バン、っていうんだ。君たちは?」
弐科は又互の眼を見合わせた。
「俺はケイで、……それとこっちのが──」
「スズ! 言っとっけど、妙なマネしたら『叫ぶ』かんね‼」
左う云い乍ら勝ち誇った樣な笑みを浮かべる彼女を、ケイは鳥渡耳の痛い話で諫める。バンは不思議がった。斯かる彼女に猜疑の眼を持たるゝ亊は然程気に掛らぬ物の、其子達に潔白の角や尻尾が生えて居るのには吃驚した。矢張りバンとソールと、そして科とは互に異なる生物なのに相違無い。
「『叫ぶ』って?」
バンは時機を見ると續け樣に左の亊に就て訊ねた。
「こー見えて声出しはトクイなの! スズの『スナイル』はどこまでも届くわよ!」
腰に手を宛てゝ彼女は又も得意気に云った。是もバンは初め戲れの言《ことば》と捉えたので、全然疑問には思わず徒微笑ま敷く思えた。其爲意図する処の逆の明い表情を取った。段々彼女は此儘では莫迦に爲れると思い込んで——、或いは、怒らぬバンは怒るのかと云う好奇心が湧いて来て、何う爲ても彼の亊を慥め度なって來た樣で、次は彼女の方から此う云う質問が無鉄砲且つ無造作に飛んだ。
「にいちゃんお祈りしないの? なら、一緒に遊びたいの? それとも学校にでも行きたいの?」
左う聞える成り、ケイは再び彼女を叱ろうと爲た。が、バンは少し唸った後、極めて冷静に此う答える。
「そうだねえ、わからない。」
誰に問うと云う訣でも無く彼は續けて呟いた。
「みんなだれに祈っているんだろう? ……ああすれば、報われるかな?」
風はバンの背後から、今迄に無い程强かに参科を襲う。衣服は痙攣を起した樣に旗めき、殊にバンの肩巾は千切れた緑葉と壱緒に連れ去られ掛けるも必死に彼の脰へと獅嚙み附いた。其れも束の間、强風は外の子ども達が蹴球を遊ぶ処へ奔り抜けて行った。彼等は球を見据えた儘、猶も無頓着であった。曇天は生暖かい風の無気味さを壱層際立たせながら、彼等の頭上を重く渦巻いて居る。参科は不意と箱庭を見て、或光景を目の当りに爲る亊となる。
「今だ! 上がれ上がれーっ!」
左の樣に調子附き、外の子を牽いて敵陣の奧に邁進するのは、帽子を被った或少年である。
「次こそゼッタイ……! それっ━━!」
彼は持前の踏力で少し球を浮かせ、續けて得點籠へ蹴飛ばした。──得点籠へ? 狙いを定めた彼の球は大きく弧を描き、得点籠を越えた先の道端へと勢好く飛び込んで行く。
「ッほお⁉」
不運にも居合わせたのは、ひとりの勤勉な書生であった。其秀でた頭蓋を襲った球は、咄嗟に出た彼の兩掌へ奇麗に収まる。彼は常に何等変り映えの無い裡に暮して來た。順風を受ける帆船の如く、平穩に。と雖も、畢竟彼は己れが平穩無亊だと云う亊抔気にも留めて居なかった。誰も球を取りに來ないので、彼は箱庭の騒然たる容子を慥め乍ら子ども達に近附く。其處には、左う云う壱体の聲に囲まれ、苛まれる帽子の少年が、倦んざり爲て頚を落して居た。
「おい、テルル! 最近チョーシわるいんじゃあねーの?」
「今のはちょいとひどかっぜ?」
「あんま無理すんなよ、たかが遊びなんだし!」
「う、うん。……ごめんねみんな。」
帽子を脱いだテルルは左う謝辞を述べ、先刻蹴り揚げて仕舞った球の方を見た。
(取りにいかなくちゃ!)
書生は既に、得點籠の支柱の傍に立ち盡して居た。彼は微笑を浮かべ乍ら、友達に囲まれるテルルの許へと歩み寄る。戶惑うテルルの眼前に立ち止ってから、穩かに話し掛けた。
「やあ。この球で遊んでいたのは、君たちかい?」
テルルは頷いて答える。
「あ、……ハイ! 僕が勢い余って蹴っ飛ばしちゃって、……すみません。」
兩手を伸べ乍らテルルは左う俯いた。
「君のご両親はあそこでお祈りをしてるのかな……?」
彼が蹲んでテルルの肩に手を措くと、テルルは頚を弐度横へ振った。
「なら……」
彼が徐に立ち揚ると、テルルの境内に何かが劈いた。周りの子ども達は悲鳴を擧げて、壱歩も動けない。
「オレにも球蹴らせろや小僧ォ! いいか、次はドタマだからな‼」
其怒号が聞えた周りの親は瞑った眼を開いた。が、其れは却て彼女等を祈祷の世界へと引き摺り込んで行くら敷く、書生は、左う爲て怯える者達を観ると、又皆の眼前でテルルを虐め始めた。
「なにッ⁉ あいつめ!」
バンは其れを目擊した。傍に居た弐科も、夫々辟易んで躰が震えて居る。
「……ケイ、スズ。少し聞きたい。だれも助けに入らないのは、なぜだ?」
其問は眼を瞠る許りのケイには届かなかった。スズは顏を手で覆い乍らも何とか此う答える。
「あ、……あいつが海外から来た特待生、だから。そうだと思うわ。」
バンは拳を握り締め乍ら、聲を震わせるスズに提案した。
「特待生? なるほど。なんだか知らないが、……助けてやらないか、俺と君とで!」
彼女は左の確信めいた言に吃驚して此様に云い返す。
「どういう、ことよ⁉」
「君のチカラがいる。」
彼は其耳朶を借りた。彼女は彼の策を聞き、こくこく頷く。語數にして、僅か弐言であった。
「! ええ。それくらい、お安い御用だわよ!」
彼等が左う結束した処へ鄕長モリブデンとソールが音沙汰無く現れた。
「ちょい、ちょい! 今の声、なに案件?」
髮を抓り乍ら訊く彼女に鄕長は間接的な言で答える。
「ふむ、アレか。だから儂はあやつの留学を断ったというに……」
──あの科でなしめ。
と云い掛かって、郷長は漸と気附いた。其眼を見開く。
「お二方ッ!」
「モ、モリブデン! ソールも!」
「へ? せ、せんせー……?」
バンとソールを『非科』と呼び度なかった理由は、畢竟其處だった。鄕長は内心何處かで彼等の亊を、──冷たい心臓を持つ彼等の亊を信じ切りたかったのである。其呼聲に応じて鄕長へと向った彼の眼は、スズと壱緒の、清澄な瞳を爲て居る。今、自らの過ちを吹き飛ばす樣に、鄕長は弐科へ命じた。
「あいつを、……あの『非科』を! 醕んぱんにして来なさいッ‼」
お誕生日なので更新しました!
大幅な改訂作業はなかなか堪えるね‼
(でも、心地よい疲れ。)
これからも当作品をよろしくお願いいたします!
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