みなさんは猫派ですか? 犬派ですか?
たけのこ派ですか、きのこ派ですか? それとも、すぎのこ派?
ヒトは些細なことで価値観が食い違う繊細過ぎる生き物です。
ではもし私たちがひとつに融け合えば、そのキライも無くなるでしょうか?
そういうお噺。
開幕。
夢の中に死んだ筈の少年が目を覚すと、少年は匣舟の中の寝棺に仰臥していた。不思議と彼は何等愕かなかった。唯、其中が迚も窮屈である外に思う処は何も無く、毎日の起き臥しと壱緒の樣に、彼には感ぜられたのであった。逆に云えば、其狭さと暗さとに関しては随分考え物だと思った。が早いか、彼の窶れた両腕は柩の蓋を取ろうとして、緩りと真上に伸びた。すると蓋は彼の外に出たい旨を受け容れ、彼の軽い両手に従って両側へ、扉の樣に開くらしい。其れ迄盡きぬ闇だった彼の視界は、何かの光を吸収して潑溂として来た。彼は其れを感じながら、勢好く身を起し、黑い背ろ髪を其奇麗な指で梳くと、不図思考を働かせた。
(パサパサに乾いている。この部屋のせい?)
──此処は何なのだ。
彼は辺りを見渡しながら立ち揚った。先刻開いた扉を踏み附けて仕舞わぬ樣に寝棺から床へ踏み出すと、其いやに膚寒い室を幾らか歩き廻って、壁に触れる。壁は煤けた紺色をしていて、触感は滑かで硬い。が、叩いて見ると鉄や石とも附かぬ音響が彼の耳朶に帰って来た。少くとも、木でない亊丈は慥であった。彼は、何故彼が箱の中に眠って居たのか理解が及ばなかった。否、唯壱、悪い予感、或見当こそ附いてはいたが。彼は眼を逸す樣に俯いて直ぐ背ろに振り返る。と、其処には又、扉が在った。橫に長い窓の附いた、左開きの引き戸である。彼は、彼の室に差す微かな光明が其処から届いているのに気が附いた。
(斜陽? ……いい天気なのかな、外は。)
彼は今壱度、扉を開いた。足許には甃の階段、其上から温暖な風が降りて來て彼の手を取る。表の紛れ無く日向であるのを確信した彼は、此処を登り切って仕舞えと思い、背ろの扉を閉め、取り敢えず壱段目へ脚を掛けた。丁度左う云う時彼は目前の階段からの無気味な物音をふたつ聞き逃さなかった。──物音? 階段が己れと音を立てる樣な亊が、弐段が同時ならず連続で起り得るだろうか。彼は俯くと亦直ぐ前を向いて壱段目から脚を外し、忽ち壓されて背ろの扉に寄り掛かった。其れも超常の何か知らが目前に迫って來る気配のした爲である。目と鼻の先に在る、先刻彼の許へ遣って来た微風とは異なる厭にぴり附いた何かが。
(なんだっ⁉ なにか、潜んでいやがるのか……⁉)
──否、今の今迄居た?
面皮の痲痺は忽ち壱切感ぜられなくなったので、彼は切の無い亊を左う片附け、其秀眉に触れると、再び階段に脚を掛けて登り始めた。其歩みに伴って、甃の快音は規律を取り戻す。其処を又、壁から鈍い怪音が参回彼の鼓膜を打った。矢張り彼の傍で誰か嗤い聲を堪えている。が、彼の肆顧にも拘らず見当らぬ爲、看過する外仕方無いのに違いなかった。彼は暫時歩き続け、漸との思いで扉迄來た。其れ迄殊に何が起るとも無かったので、冷汗の引いた彼は前を見据える。先程の陽の光は燦然勢を増し、見紛う亊無き明い朝陽へと変貌していた。壱寸先は光の彼に、閃耀、其走光性へ鳴を潜めた影がぬらり開かり日を蝕んだ。
「おはよーございまーす!」
(……は?)
初め此言を、其姿を、餘にも唐突だった故に彼は幻影だと思った。然し、
「んー……。おはよーございま━━す!」
と、彼女が今壱度彼の真近に迫って左う叫んで漸く、彼は彼女の亊を朧気ながら認識した。天井にぶら提がる彼女の姿を。本来艶の有る金色の双尾髪も重力に引かれて垂れる処が、何う云う力の作用か前髪の壱房すら是に逆らっている。
「うぎゃああああ⁉ おっ、おやすみ! おやすみなさいッ‼」
彼は左う愕き倒した。が早いか後退りを見せ、背を向けて元來た処迄引き返して行った。彼女は頻りに其桃花眼を瞬かせ、
(わー。あんな驚かれたのって、はじめてかもー。うれし……)
──くない、嬉しくない。
と、彼の言を能々思い返しては彼の事を呼び戻しに階段を駈け降りて行った。
「まっ……。待ってよー!」
彼はと云うと其呼聲と跫音とが聞えて來るや否や、耳を塞ぎ度なるのを堪え、元居た柩の陰に隠れ樣としていた。
(なに、もう⁉︎ 放っといてはくれないのかなあ‼ なぜか訳のわからない所にいるし! 独りかと思ったら……、なんかいたし‼ どうせ夢だよな? こんなの⁉ また寝て起きれば覚めている……! そのはず‼)
先刻彼女に愕いた時の冷汗と鳥肌は未だに治まらない。其御蔭か、将亦、心成しか、階段を降りるに連れ、彼は少し宛滲む樣な寒気を覚え始めた。其れは無論あの少女の所爲でもあった。が、彼が恐れて居るのは全く其れのみではない。彼は発狂寸前であった。若し此処が現世とすれば、寝棺と壱緒に地下へ埋められた己れの正体は『屍人』ではないか? 延いては此地下こそ己れの墓場にして、先程見えた少女は彼に対って差詰め『呪縛霊』ではないか? 彼は柩の陰に身を隠すと、此世界から帰れるか何うか色々試し出した。
(夢であれ! こんな馬鹿げたシチュエーション‼ まるで、なんか俺が押っ死んだみたいじゃあないかッ!)
頰を抓ったり是でもかと思い切り殴ったり、首許に巻かれた其布で絞首を課したり、考え得る限りの亊を遣って見たは善い物の、彼の切望する通りにはいかなかった。唯、唯、苦痛が沁みる。挙句例の跫音は依然接近して來て居る。彼は頭を押えながら、遁れられぬ陽射しに意味不明の泪を流した。軈て柩の中には彼の絶望が満ちた。此処が単なる虚構でない亊に気附いた途端、彼は何を思考する気力も失せて悶絶し始めた。
(やっぱりこれ棺桶かよ。でも俺、死んでないよ……。)
静かに横わる彼の許へ、扉を開閉する音が聞えて來る。彼の云う通り、彼は慥かに此処に居て、斯かる音を聞いている。
(やめろ……‼ なんなんだ⁉ 俺はどこに連れていかれる……!)
其後暫時あの少女の脚音が止ったのさえ聞き逃さなかった。
「ねー。こっち来てよ……。」
彼女は萎縮しながら黒い柩に話し掛けた。
(俺は生きてここにいる! できるものかッ、お前たちの仲間入りなんかよ‼)
遁げる彼に彼女は云う。
「驚かしてごめん! ちがうの、あたしベツに悪いヤツじゃなくってさ‼ あなたと仲良くしたかっただけ……」
辛気を帯びた其言に、彼は漸と本当の彼女を見出した気がして耳を傾け始めた。
「寝ないで……! なんか、あたしマジで独りぼっちじゃんか……‼」
彼女は愈々必死に眼を瞑りながら左う、訴え掛ける。彼は眼を見開くと、彼自身も亦独り法師だと云う単純な事実を自覚した。路の違わぬ者が何故互を敬遠出來樣か。兎も角此儘彼女にも苦しみの泪を流させるのかと思うと彼は急に心苦敷くなって、遅々と覚束無い足取りで彼女へ右手を差し出した。彼女は其掌を少時眺めてから、眼を點にして彼を見詰めた。
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