郊外から離れた、寂れた辺境の地。
周りには商店は少なく、既に活動や役目を終えている工場や倉庫が並ぶ一角に、一軒の探偵事務所があった。
コンクリートが打ちっぱなしで、パソコンどころかテレビすらない質素な事務所で、助手の清水浅巳が事務所の主、白坂球二に懇願していた。
「ねぇ、カラオケに行きましょうよ。どうせ暇なんだし」
「嫌だ、絶対に行かん。カラオケとプリクラはナルシストがやることだ」
かれこれ三十分ほど、これと似たようなやり取りが続けられているが、浅巳は諦めなかった。
いつもは、こんなにしつこくないが、今日の浅巳はなかなか引かない。
「何回も誘ってるんだから、一回ぐらいは行ってくれてもいいじゃないですか」
「嫌だ、事あるごとに断るんだYO!」
「何故に、いきなり韻を踏んで怪しいラッパー風なんですか?」
「俺のSOULが急に響いたんだYO!」
「本当は、カラオケに行ってラップを唄いたいんじゃないんですか?」
「そんなに俺のライムが聞きたいのかYO!」
「ウザい」
浅巳が、冷めた目で睨む。
「あぁ、腹減ったな」
「話を逸らさないでください」
「お前のしつこい誘いのせいで、俺はもうお腹いっぱいなんだよ」
「さっき、腹が減ったと言ったばかりじゃないですか」
「じゃあ、言い方を変えよう。お前の誘いは耳にタコなんだよ。んっ? 面白いことを考え付いたぞ。『耳にタコ』を捩って『ミニにタコ』なんて洒落てるな。よし、早速ミニスカートをローアングルでこっそり写真に撮ってくるとするか」
「それをやったら、捕まりますよ」
「マーシー? じゃなくて、マジ?」
「マーシーでもあるし、マジでもあります」
「じゃ、やーめた」
「じゃ、カーラオケ♪」
「はいはい」
「急に冷めないでくださいよ。白坂さんのテンションに乗った私がバカみたいだYO!」
「と言いながら、まだ俺のテンションに乗っているお前は逞しいな」
「どうも」
照れなから、浅巳が頭を下げる。
「お前なら、一人でやっていける」
「いやいや」
浅巳が謙遜する。
「だから、一人でカラオケに行け」
「褒めて持ち上げてその結論は、上司とは言え、さすがにぶん殴りたくなりますね」
「だいたい、カラオケカラオケとうるさいが、そんなにカラオケが好きなのか? 初耳だぞ」
「好きだけど、一緒に行く人がいないからいつも一人なんですよ」
「一人カラオケ、通称『トリカラ』だな」
「なんですか、その鶏のから揚げみたいな略し方は。ヒトカラですよ」
「そう言えば、ヒトカラって略し方を親切な人から教えてもらったことがあるYO!」
「あまり馬鹿みたいな韻ばかり踏んでると、夜な夜な複数のラッパーにフルボッコにされますよ」
「大惨事だな」
「そんな大惨事にならないように、カラオケに行ってラップを唄いましょうよ」
「気付いているとは思うが、俺はラップが好きなわけじゃないぞ」
ラップが好きなら、こんな馬鹿にしたようなラップの使い方をしない。
「俺は、カラオケに行きたくない理由としてカラオケはナルシストのすることだと、明確に理由を述べたよな。今度は浅巳がカラオケに一緒に行きたい理由を明確に述べろ」
「仕事が来なくて退屈だからです。そりゃ、依頼があって捜査をしていたら、こんなことを言いませんよ」
「それを言われたら、耳が痛い。なら、退屈でなくなるならカラオケじゃなくてもいいんだな?」
「まぁ、そうですけど、今の私から歌と音楽を取ったら何が残るんですか?」
「その可愛らしい容姿が残るじゃないか」
「そんな、私は可愛くないですよ」
「いや、可愛いよ」
「そんな…」
「おっ、いいね、その恥じらいの表情。ちょっと上着を脱いでみようか」
浅巳が、上着を脱ぐ。
「次は、肩を見せてみようか」
服をずらし、肩を見せる。
「よし、セクシーだ。次はスカートを上げてみようか」
「さすがに、そこまでは乗りませんよ」
「乗られてたら、俺も困った」
一通りの流れが終わったので、浅巳が上着を着直す。
「ぶっちゃけた話し、浅巳から音楽と歌を取っても、今と大して変わらないと思うぞ。現に、浅巳がこんなに歌が好きなんて、初めて知ったんだから」
「嬉しいような、悲しいような微妙な評価ですね。取り敢えず、前向きに受け取ります」
「さて、ここで問題です。あれから音楽と歌を取ったら、何が残るでしょう?」
球二がテーブルを指差し、浅巳に問題を出す。
テーブルの上には、一つのカップが置かれていた。
「マグカップから、音楽と歌を取るんですか?」
不思議そうに問い返す浅巳に、球二は軽く微笑む。
「これが分かったら、一緒にソープでもラブホでも好きな所に行ってやるよ」
「その二つには絶対に行きませんけど、受けて立ちます! 嘘は許しませんからね」
「ここで嘘をつくほど、俺は鬼じゃないよ。俺は音楽と歌とは違って、鬼じゃない」
「そのボケはいまいち分からないんで、乗れないし突っ込めないんですけど」
「気にするか、しないかは、あなたしだい」
「ネタが古い」
そのやり取りを最後に、浅巳がシンキングタイムに入ったので、球二は落ち着いて寝転がることが出来た。
しかし、本当に腹が減ったな。依頼がなく収入が少ないので食費をだいぶ削っているので、空腹と戦う毎日だ。
依頼があり、難題に戦うのなら格好がつくが、空腹と戦う毎日なんて格好がつかない。
本気で依頼を探さないと、やばい状態だ。カラオケだって、苦手で行きたくないのは本当だが、カラオケに行って金を使うのがもったいないという思いの方が強かったりする。
最低でも、浅巳を食わしていけるだけの稼ぎは必要だなと、テーブルに紙を広げ考え悩む浅巳の姿を見る。
「分かった!」
浅巳が歓喜の声を上げる。
「答えは『P』です」
「どうして、そうなった?」
浅巳の回答に、球二は冷静に答えを導き出した式を訊ねる。
「音楽をMUSIC 歌をSONGに変換して、マグカップもそのままMUGCUPにしますよね。そして、一つしかないアルファベットを探すと、マグカップは『P』だけが残るんです。逆に、音楽と歌で一つだけのアルファベットは『O・N・I』の三文字。つまり、さっき言ってた音楽と歌とは違って鬼ではないって、この事ですよね」
「正解だ、よく分かったな」
「この手の問題は、アルファベットに置き換えるのが基本ですからね」
「本当は、マグカップは和製英語で正式にはマグだから、問題として成立してないんだけどな」
「なら、マグには何も残らないって言えば、私の回答をハズレに出来たんじゃないですか?」
「そしたら、音楽と歌のほうに『C』も残ってしまって鬼に出来ないから、問題としての面白味に欠ける」
「変なところで、真面目ですね」
「根が真面目だからね」
「さらっと、さりげなく自分を美化しましたね」
「根が真面目な俺だから、カラオケに付き合うよ」
そう言いながら、球二は頭の中でそろばんを弾いていた。
かなり、きつい…金欠の状態でこの出費は、かなり痛いぞ。
かといって、こんなに嬉しそうにしている浅巳を騙すような真似の出来ない球二が出掛ける準備をしようとすると、電話が鳴った。
二人は、顔を見合わせる。
「もしかして…」
「依頼ですかね?」
しばらくの間の後、浅巳が飛びつくように受話器を取る。
「お電話、ありがとうございます。こちら、白坂探偵事務所です」
受話器を取った浅巳は、喜びを必死に隠しながら電話の応対をし、依頼を記入していく。
これで、カラオケに行く必要がなくなりそうだ。
了
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