ネットリンチが横行する中で、インターネット上だけで済まない深刻な犯罪が引き起こされるようになったことは、当時からニュースなどで取り上げられており知ってはいたが、まさか『現実でも同じことが行われている』とは考えていなかったからだ。彼は、自分の犯した犯罪を反省することなく、インターネットがもたらす恩恵や自由さを享受するばかりで『インターネットは素晴らしい』と言い続けていたが、「そんなことは絶対にあり得ない」と頑なに信じていたのだ。今にして思えば実に子供っぽい思考だったが、彼なりに真剣に『インターネットの終わりの始まり』を考えていたらしいと分かっただけでも良かったのかもしれない。私もまた、彼が語る理想郷の話を聞いたおかげで、インターネットをただ利用するだけでなく活用する方法を模索してみる気にならなければ今の私は無かったはずだ。
『インターネットを終わらせることが出来るのは、インターネットだけだ』
この言葉が私の胸に今も刻まれているのは、きっと彼の影響が大きいのだと思う。私は今でも彼を尊敬しているし感謝もしているが二度と会いたくないと思っている。何故なら会う度に口論になってしまうからである。
私には、彼に会わねばならない用件があった。しかし今は連絡手段が絶たれてしまっているためそれは叶わない。
だが、もしも奇跡が起きて、どこかの街角で再び出会うことがあるとしたら、まず真っ先に「さようなら」を言いたいと思う。それがどんな結果を招くことになるのか分からないが、それでも、私は彼にさようならを言わなければならない。なぜなら『インターネットの終わりの始まり』は私の手の中に収まっているからだ。
第7章『インターネッ卜の終わり(終)』
1:『1:30』(1時半)という文字列を変えた瞬間のことだった。突然モニターが激しく揺れたと同時ぐらいに強い風のような物に襲われた気がしたが何も起こらない。「気のせい……だよな」と首を傾げる。2:20の表示に変わった。私はまたエンターキーを押した。
2:00という数字が表れると同時に激しいノイズの嵐に見舞われた。耳をつんざく甲高い音が室内に鳴り響く。私は驚いて身を縮こまらせたが音は一向に治まらないどころかますますひどくなるばかりである。
どうしたらいいのだろう。
私は慌ててキーボードを叩いた。
3:10という文字列に変えた直後、今度は雷が落ちたかと思われるほどの衝撃と振動が襲ってきたので慌てて手を止めた。
4:11と変えるが効果なし。
4:25と変えた直後、視界を何かに覆われたかのように真っ暗になったので両手を前に出すが何の手応えも無い。そして停電が起こったかのごとくパソコンの画面がブラックアウトしたので急いでマウスを操作する。画面右上の時刻表示は『1:00』(午前零時ではなく正午のことらしい)に変わり、『END』という黒い文字が画面中央に浮かび上がった。
そこで動画を停止すると「どうでしたか?」と尋ねる声が聞こえた。
「何か、気づいたことがありましたか?」私は顔を上げた。「私は一体、何をしたんですか!?」「えっと……」男の口元が小さく歪む。「私は何の答えを見つければいいんですか!?」私は言った。男は少しだけ黙った後、言った。「もう分かっていますよね?あとは全て、貴方次第ですよ」男は席を立つ。
私は慌てて立ち上がると男を呼び止めようとした。
「ま、待ってください!私は……!?私には、あなたに伝えないといけないことがたくさんあって!」男は無言のまま私を振り返る。
私は言葉を飲み込むと、代わりにこう言った。
「さようなら」「ああ、お幸せにね、お兄さん!」
男は私に背中を向けたまま小さく手を振り歩き出した。私はその背中に向かって叫ぶ。
「私は、まだ、英雄じゃなかった!でも必ず戻って来るから!!約束します!!だからどうか、私の動画を観て下さい!!お願いです!!私は、あなたの作った『ネトゲ廃人』の主人公とは違うんだ!!英雄じゃないから!!本当の私はもっと弱虫で!!情けなくて!!格好悪くて!!それでいて臆病な人間なんですよ!!」
男は振り返らない。
やがてその姿が見えなくなった。
私はその場に立ち尽くしていた。
いつの間にか涙が溢れてきて頬を流れる。
拭っても拭っても止まらなかった。
「どうして」
呟きは嗚咽に変わる。
「どうして」
問いかけても誰も返事をしてくれない。
「こんなことに」
胸の奥が痛い。
「なったんだ」
息苦しくて立っていられない。
私は膝を抱えて床に座り込んだ。
「何なんだ」
私は顔を上げるとパソコンの画面を見つめた。
そこには、3:15と映し出されていた。
この数字の意味を知る者などいないだろう。
これは、私と男しか知らない秘密の暗号なのだから。
「私はまだ、終わってなんかいなかった」
そうだ、私は生きている。
生きてここにいるじゃないか。
ならば、終わらせるわけにはいかない。
この世界はまだ続いているのだから。
たとえ英雄になれなくても。
私はここで生きることを選択してみせる。
『インターネットが終わるまで、あと4時間12分。そして』
【完】
第一章『少女』
私は生まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら笑っていた。
その子の顔はとても可愛かったが私は泣いていた。何故かと言うと赤ん坊の目は白目が黒ずんで血走っており瞼の辺りには黒いあざが出来ている。鼻の穴は潰れており、唇の端が紫色になっているので見るだけで吐きそうになる。肌の色は真っ黒でとても不健康そうに見える。私はそんな我が子を見ながら涙を流し続ける。生まれて初めて抱いた命はあまりにも重たくて、少しでも気を抜けば落っことしてしまいそうだと思った。けれど絶対に落としてはならない。なぜなら私は、母であり姉であり父でもあるからだ。私は笑顔でいなくてはならないのだ。しかし泣き笑いを浮かべるのは至難の業だった。
すると腕の中の赤ん坊が泣かなくなる。不思議に思ってそっと呼んでみると、にへらと微笑まれた。まるで私が泣くのを止めたのだと言っているみたいだ。私は呆れた顔をした。だが内心では安心すると同時にホッとしていた。私はやっと笑うことができた。すると、私を呼ぶ大きな声に気づく。
「おーい!お母さんが呼んでいるぞぉ!」
振り向くと父親が遠くの方で手を大きく振っている。
「お父さん!こっちよぉ~!!」
私は叫んだが今度は父親の姿が見えない。
おかしいなぁと思いながらも大声で呼んだり「こっちぃい!!!!」と言ったところ、今度は「うるせぇんだよ!!」と言われてしまった。理不尽だと思いながら渋々諦めたところで父親が現れる。父親は手に持ったスマホを掲げて見せると満面の笑みで言うのだ。
「見ろよこれ!凄いだろ!?ほら、ここ見て!俺とお前の名前が表示されてるだろ!?あ、でも『ちゃんと名前呼べ』って言われちまった。あははは」
私はそんな父親の手の中にあるスマートフォンの画面に目を向ける。『誕生日、出産祝い・両親揃っての初メッセージ記念日』と書かれているところを見ると誰かからのプレゼントのようだ。私が興味深そうに見入っているのに気づいてか、父は自慢げに説明を始める。
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