「名前…?」
聞こえてくるはずがないその“音”を、耳の片隅に追いかけた。
それはほとんど無意識に近いものだった。
少なくとも、それが感情の外側に無いことだけは明らかだった。
「桐崎…」
身近すぎる苗字。
切っても切り離せない音。
唇が動くその弾力に跳び上がりそうなほど、跳躍力の高い語感。
俺は耳を澄ませた。
次に聞こえてくる言葉を、取りこぼさないように
「桐崎千冬」
…そんな、…バカな
絶句した。
絶句する以外になかった。
だって、そんなことはあり得ない…
アイツが、…“千冬”が、目の前にいるなんて…
「…千冬?」
声が掠れる。
酸素が、肺にまで到達しない。
視点が揺れ、瞬きさえできなかった。
何が何だかわからないまま。
「なんや?」
この耳に確かに、「千冬」って聞こえた。
アイツの名前が、見知らぬ女子高生の口から聞こえてきた。
その音の行方を追いかけようとしても、思うように頭が働かなかった。
どれだけ冷静に考えようとしても、ダメだった。
「千冬って…、あの?」
自分でも何を言ってるのかよくわからない。
どうしてそんなことを聞くのか。
どうして、立ち止まってしまう自分がいるのか。
「“あの”って、どういう意味??」
確かな言葉が続いてこない。
尋ねるべき言葉が見つからない。
だけど、頭の中があり得ない速度で回転した。
体全体が硬直するほどの、慌ただしさで。
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