いつからだったかな。
蝉の声が、近くで聴こえるようになったのは。
駆け足で街に出かけた午後。
雨上がりの街の上で、空が透けて見えた。
埃のかぶってた運動靴。
ヘンテコなロゴの入った帽子を、ぶっきらぼうに被り。
いつからか、日差しが眩しく見えるようになったんだ。
いつも閉め切ってた部屋のカーテンが全開になり、網戸から抜けてくる外の風が、心地よく感じるようになった。
飲みさしのポカリスエット。
遮断機の降りた踏切。
——夏。
頬に伝う汗がシャツに染みて、干上がるような気温が、丘を降る坂道の下まで続いていた。
真っ青な海のそばに聳える街。
その景色の隣で、「レッツゴー」と叫ぶ声。
誰かを凄いと思うことなんてなかった。
今まで。
外の世界に、何かがあるなんて思いもしなかった。
全部教えてくれたんだ。
——千冬が。
自分の顔よりも大きいグローブを手に持った、ショートヘアーの女の子が。
ザァァァ…
ザザザ…
ザァァ………
海。
明石海峡大橋。
それから、入道雲。
ハーバーランドを抜けて、ひたすら海沿いを走った。
無我夢中でペダルを漕いだ。
俺だけが知ってる特等席があるんだ。
夏が来るたびに蘇る、思い出の場所が。
遊歩道の砂利道を走り、線路沿いのフェンスを伝っていく。
高松線の中央市場を過ぎて、遠ざかっていくポートタワーの明かり。
おかんのバイクに乗って、よくここら辺を走ってた。
4車線の広い道を突っ走って、物流センターのある埠頭まで。
ポートアイランドの明かりが、遠くに見えてた。
貨物船も、街の明かりが反射する神戸湾も、すごく綺麗だった。
街中の喧騒が少しずつ遠ざかる住宅地の道なりを進んで、ヴィッセル神戸の旗のついた街灯が、和田岬駅の近くまで続いていく。
ノエビアスタジアム。
工業地帯。
埠頭の上に立つ、背の高いクレーン。
この場所、神戸の夜景が一望できる海沿いのこの道を、自転車で走ることは今までなかった。
おかんと来た時は、毎回橋の近くのファミマに寄ってた。
いつも星が綺麗なんだ。
不思議と。
ヘルメットを脱いで、広い駐車場のブロックに座る。
バニラ味のアイスを頬張りながら、ふと空を見上げたら、たくさんの星が…
まじで綺麗だった。
まるで、街の明かりを全部、空に移したかのように。
海の見えるこの街で育った俺は、波の音をいつも隣に感じてた。
おかんに連れられ、いろんなところを走り回った。
ヘルメット越しに響く350ccの排気音が、どこか心地良くて。
西宮を過ぎた先の大阪湾と、古びた鐵工所のトタン屋根。
広い海と空を見るのが好きで、よくバイクを止めてもらってたっけ。
それなのにだんだん外に出るのが怖くなって、誰にも会いたくなくなって。
須磨駅の向こうにある海岸線の通りに自転車を停めた。
松の木の並ぶ石垣と、今はもう誰も使ってない電話ボックス。
この場所は、何も変わってない。
初めて野球ボールを持った、あの時と。
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