『題名:とくになし』
※順番はとくに気にしないこと
※括弧内の左端の数字は、戻ってきた過去の回数
■ 体とのバランスがおかしい大きなランドセルを背負い、近くに住む上級生の人たちと班になって一緒に登校。
六年生は交通安全の旗を持って、私と手をつないで班を引率しながら登校する。
六年生の背丈といったら、見上げるくらい高くて、優しくてしっかりしていた。
同じ小学生とは思えなかった。
おじさんに見えたのを覚えている。
私にお兄ちゃんはいなかったけど、近くに兄貴ができたような感じで嬉しかった。
(276.2007.4.16)
■ 学校の授業だというのに、視聴覚室で映画を見る。
タイトルは「宇宙戦争」
真面目な理科の岡崎先生が、演出が好きだからと言って勧めてきた映画。その日は1日に理科の授業が2回あって、午前の部と午後の部に分かれて、映画を見た計1時間40分。映画が後半に差し掛かる頃、友達と、宇宙人って存在すると思う?と話になった。
「存在しないんやない?」
私はそう答えた。友達の佳代子は、「絶対存在するでしょ!」と言っていた。
後ろの席にいた明美は、「じゃ、幽霊は?」って聞いてきた。
なんで幽霊の話になったのかわからなかったけど、私の答えは決まっていた。
それを言葉にすることはなかったけれど。
宇宙人談義に盛り上がっている横で、映画を食いるように見る同級生の人たち。
いったいのなんの勉強になるのかなって、疑問に思っている人たち。
映画そっちのけで、スマホをぽちぽちさせている人たち。
理科の授業の時は、時々映画を見ることがあった。
だから視聴覚室は、どこか癒しの空間のような記憶を持っている。
給食に出てきたプリン。
教室のベランダに差し込む西日。
休憩時間中の、友達との会話。
なんだかそんな日常の真隣に潜む温もりを、映画を観ている時に感じた。
岡崎先生と私の趣味は、そこまで一緒じゃなかったけどね。
だけど、みんなと見る映画は楽しかった。
やっぱ、ワイスピは最高だね!あの演出とスピード感。子供の頃はなにが面白いのかわからなかったけど、年を取るとだんだん面白さがわかってきた。
佳代子は、そこまで面白くないって言ってたっけ?
私たちが一緒に面白いと言えた映画は、確か「美女と野獣」
あれが授業中に流れた時、一緒に目を輝かせてそれを見た。
野獣が手を添えてベルをダンスに誘う。そのシーンに、胸をドキドキさせながら。
(128.2013.6.28)
■ 給食の肉じゃがって、なぜかいつもぐちゃぐちゃだった。
配分とか量とかわりとテキトーで、肉の量がめっちゃ多い人とそうじゃない人がいたり。
だけどおいしかったな。
汁物は特に味が染み込んでて、大きい鍋でコトコト煮込んだって感じ。
一階の給食室に給食を取りに行く時、同じ当番の子だった林菜乃花ちゃんと、重すぎる牛乳ケースを両手で持って運んだ。持つものによっては全然重さが違うし、食器とかおかず係とか、ひとりで運べるものもあれば、2人じゃないと絶対に運べないものもあった。牛乳は、そのひとつだった。とくに低学年の頃は、クラス40人分の牛乳を運ぶなんて、苦行以外の何物でもない。
それでも、当番の時はそれなりに楽しかったんだ。普段はそこまで仲良くなかった菜乃花ちゃんと話すようになったきっかけは、彼女が、牛乳を運ぶのに苦戦している時に、「手伝おうか?」って言ってくれたこと。
「ほんと牛乳って運ぶの大変だよね」
2人で笑いながら階段を登って、せっせと教室まで歩いた。
あの道のりは、午後のひと時って感じがして楽しかった記憶がある。
3年生に上がる頃にはクラスも変わって、ほとんど絡まなくなったけれど。
だけど時々思い出すんだ。
昼休憩の時間が来て、給食を取りに一階に降りる時、冷蔵室でキンキンに冷えたカゴの中の牛乳に目を向けるのは、もう一度あの子に会えるかもしれないと感じる、気配があったから。
(53.2009.11.3)
■ 朝の朝礼の運動場。校長先生が、
「今日は雲一つない青空に恵まれ」
っていうと、みんなで一斉に雲を探し始めた。
私もその1人だった。
秋晴れのする午後の空に、木枯らしの風。
寒い季節の変わり目に、したくもないラジオ体操。
子供らしい野暮ったいネイビーの体操着を着ながら、やる気のない屈伸とか、背筋を伸ばす動きとか。
底冷えのする冷たい風に打たれながら、友達同士と体を寄せ合う。
「早く教室入って温もろうよ」
ガンガンに暖房の効いた教室で、朝のホームルームまで友達と話し合った。
昨日のドラマのこととか、朝のニュースのこと。
「今日の理科の実験、いっしょの班になろうよ!」
葉緑体だかミドリムシだか、ミジンコだか、微生物を顕微鏡で観察する2限目の理科。
「誰が観察ノートの内容書く?」
班作りに積極的な一葉が、絶対にやらなかった仕事。
ノートのまとめ役、たまには担当してよ?
そう言うと、彼女はいつも笑って誤魔化した。
「代わりに今日の帰りに菓子パンおごるから」
私の膝の上に腰を下ろして、下敷きを頭で擦り、髪の毛を立たせて遊んでた。
彼女に買ってもらった、ミニストップ限定のキャラメルロールパン。
めちゃくちゃ甘くて美味しかった。学校帰りのスイーツって、特別な何かがあるよね?
クリスマスに食べられるケーキみたいに。
(355.2012.10.14)
■ 学芸会のために駆けつけた街の公民館。
低学年も高学年の生徒もみんな集まって、それぞれの劇の発表のために朝から大忙しだった。
担任の先生に促され、外の駐車場に集合した午前8時。
私たちのクラスの劇の発表は、スケジュール帳の上から3番目だった。
ちょうど午前の部の最終組だ。
私は朝から緊張しっぱなしだった。
私の役なんて、「脇役中の脇役」だし、見せ場だってほとんどない。
だからその日の前日も「きっと大丈夫」って思えて、家族にも見に来なくていいと伝えていた。それが普通だって思えていたから。
だけど家族のみんなが、言ったんだ。
楽しみにしてるからって。
婆や達も一緒に連れて行くからって。
私が再三「大したことない」って言ったって、「どんな役で出るの?」とか、「どんな劇なの?」とか、目をキラキラさせていた。
期待されるこっちの身にもなってよ?
って、思っちゃうくらい。
アレンジを加えた「ジャックと豆の木」。
市場にいる街の人々の1人を演じた私は、牡牛を売りに来たジャックとすれ違い際、「まあ、立派な牛さんだね」というセリフを任されていた。
ステージの裾から何人かの同級生と一緒にまっすぐ歩いて行く役。
時間にして、10秒もない。
おまけに衣装はぶかぶかで、手作り感満載のウール製マントを羽織り、段ボールで作ったナイフと、財布と、仕事の道具などを衣装に取り付けていた。
私は、颯爽と歩くつもりだった。
役を演じるというよりは、ステージの上を通過するごく一部の人間。
少しでもスムーズに終われるようにと、何度も深呼吸をした。
『私はただの市民なんだから、間違うことなんてない』
簡単なことだと思った。
だからイメージしたんだ。
8世紀頃のイングランドと、その街の中に賑わう人々の声や、市場の喧騒を。
同じ役で一緒になった子と、ステージ裏のカーテンの裾に隠れてた。
ばくばく動く心臓の横で、お互いに目も合わさず、声もかけれなかったのは、きっとできるだけ早く通り過ぎてほしいと願う時間が、目の前にあったからじゃないかな?
私はいまだに覚えてる。
あのセリフと、あのシーン。
一瞬のうちに過ぎるはずの時間の中で、震えた両足があったこと。
ステージに照らされるライトに、等身大の影。
その地面の上で、少しだけ立ち止まりたいと思う心が、いつまでも眠れないままでいることを。
(67.2006.11.9)
■ 夏休みの朝、ラジオ体操に行くのが退屈で仕方なかった。
学校で配られたスタンプカードを首に下げ、同じ地区の子供達と一緒になって、毎日のように家の近くの公園に通った。
地区によって、それぞれに設けられた集合場所がある。
人によっては、自転車じゃないと行けないような遠い場所の人もいた。
私の場合は家を出て、街角を2回ほど曲がればその集合場所に行けた。
巨大なイチョウの木がシンボルの『三四公園』。
だけど朝が苦手な私にとって、「6時半」という集合時間は苦痛で仕方なかった。
せっかくの夏休みなのに、遅くまで寝ていられない朝。
時々起きるのが嫌で、ベットに蹲ったままズル休みしてしまう私を叱る母親の声。
憂鬱で仕方なかった、目覚まし時計のアラーム音。
みんな寝癖がすごくて、眠たそうにしていない子なんて限られていた。
公園の真前にあるマンション住まいの神原くんなんて、パジャマ姿のまま来たりするし。
「今起きたばっかり?」
そう聞くと、黙って頷いて大きなあくびをかく。
そのうちに時間が来て、ちゃんとやってるんだかやってないんだかわからないような、シャキッとしない子供達の体操が、朝日の下に始まるのだった。
その場所、そのグループで1番年上の子が、リーダーになって。
6年生になってからは、私が『青葉町2丁目』のラジオ体操を仕切るリーダーになっていた。
その前の年と一昨年は、頼りになる近所のお姉さん、夏希先輩の背中を見て、ラジカセから流れる「ラジオ体操第一」の声を追ってた。6時半から流れる聴き慣れた放送を。
公園に集まる下級生のスタンプカードを預かり、「出席」のハンコを押していく日々。
私がリーダーになってからは、嫌でもズル休みができなくなってしまっていた。
それまでは、寝坊とか体調不良とか、色々理由をつけて行かない日があったりしたけど、「出席」のハンコを持っている私が、休むわけにはいかなかったのだ。
大体ラジカセだって、先輩から受け継いだものだったし。
中学に上がってからは、夏希先輩とはもう会わなくなった。
公園に来てた下級生のみんなとも、時々見かける程度の関係に、いつの間にかなっていた。
小学校を卒業するまでは、学校の中で毎日すれ違ったり、挨拶を交わしたりしていたのに。
思えば、学校の外でみんなと顔を合わせるのは、どこか新鮮で、特別な出来事のような気がする。
普段見ないオーバーサイズTの田中くん。
ゲームボーイを片手にポケモンバトルを展開しているちびっこたち。
ラジオ体操が終わると、必ず朝ごはんを『関西スーパー』に買いに行く大家族長女の榛名ちゃん。
何気ない朝に顔を合わせて、挨拶を交わす。
当たり前のことのようで、実は当たり前じゃなかったかもしれない日々。
あっという間だった30日間。
いつもギリギリの戦いだった、夏休みの自由研究。
ヒグラシの声が聞こえる朝は、少しだけ早起きをしてしまう自分がいる。
それはきっと「当たり前の朝」が、あの頃の夏に続いているからだとも思う。
青々と茂った田んぼの畦道や、積乱雲が覆う空の果てに。
(123.2009.7.29)
■ 友達と自転車に乗ってひたすら走り回ってた子供時代。
海沿いの道を走るときはいつも風が心地よく、気持ちよかった。
学校がある日も無い日も、明石海峡大橋へと続く海岸横の遊歩道を、履き潰したスニーカーとペダルでよく爆走していた。
あの頃は、どこまでも行ける気がしていた。
深い青に染まった瀬戸内海の水平線と、雨上がりの街。
時々、自分たちが知らない土地へ、地図も持たず飛び出して行くこともあった。
新しい「なにか」を見つけられる気がしたから。
新しい景色や街を、見つけられる気がしたから。
——仲の良い友達と、一緒なら。
小学校ももう終わろうという3月。明石市に新しくできた大型ショッピングモール、——当時の神戸市にもなかったその都市型の「イオンモール」に、見学がてらみんなで行ってみようという話になった。
ガリ勉の小林は、バスに乗っていこうという提案をしたが、フジオカと私は自転車で行く気満々だった。
1学年下のナッシーは、康介の家でゲームがしたかったみたいだが、そんなのはいつでもできるという理由で却下した。
当時流行りのプレステ3。
康介しかそのゲーム機を持っていなかったから、毎週のようにみんなで集まって遊んでいた。
和モダン住宅の廊下で私と小林はよく康介の部屋にある漫画を読み漁ってた。
ナッシーはテレビ画面に齧り付いて机の上のお菓子を食べる手を止めるほど、ゲームに夢中になっていた。
確かに家でのんびり過ごすのも楽しい。
だけど、みんなと自転車で遠出するなんて頻繁にできないから、行くなら今しかないと思ったんだ。
卒業したあとの、春休みの間に。
当日の朝は、結局ナッシーも小林も乗り気になって、自前のマウンテンバイクに跨りながら「早くいこう」と積極的になっていた。
それなりに早い時間の集合だったが、2人とも真っ先に集合場所に来ていたくらいだった。
危うく遅刻しそうになった私は、朝飯も食べずジャージ姿のまま自転車を漕ぎに漕いだ。
家が近いフジオカとは近所周りの路地ですれ違い、そこから一緒に行くことになった。
2人でしばらく走っていると、街の途中の交差点で康介が信号待ちしているのが見えた。
康介は普段自転車に乗らないから、どうしようか悩んでいたのを聞いていたが、結局兄貴の通学用自転車を借りたようだった。
「兄貴」と言っても4つも年上で、借りた自転車は小学生には手に余るほどの大きさだった。
しかもそれはマウンテンバイクじゃなくママチャリだったこともあり、漕ぐのに苦戦している様子だった。
私の自転車もママチャリだったが、6段ギア有りの自転車だったので別に困ったことはなかった。
それでも、街の坂道を登るときは、降りて歩かないとダメだったが。
みんなと集まった午前9時。
集合場所の板宿駅前に着くと、他の3人はもう来ていた。
近くのコンビニで買ってきた抹茶ラテを飲みながら、無造作に開封したプリッツを朝飯がわりにしている小林。
あれほど行くのを嫌がっていたのに、買ったばかりのリュックサックを背負って準備万端のナッシー。
グループ唯一の女友達で、なんでも話し合えたトモちゃん。
6人で神戸の街並を走った。
行き慣れない方角を目指しながら。
標識という標識を便りに。
季節の変わり目の風は、いつもよりも少し、心地よかった。
子供ながらに胸を躍らせ、勾配のきつい坂道を登る。
でこぼこのアスファルト道、汚れたガードレール。
街の景色が移り変わるそばで、果てしなく続く道のりを全速力で駆け抜けていった。
心臓の音と一緒に、自然と足が動いたんだ。
みんなと一緒に出かける外の世界が、ただ眩しくて。
「お店に着いたら何する?」
「ゲーセン行こや」
「ゲーセン!?」
「とりあえずメシ」
「メシより先にゲーセンがええって」
「ゲーセンなんていつでもできるやろ」
「ほななにすんねん」
「メシメシ」
「メシのあとは?」
「色々あるやろ?映画とか買い物とか」
「あとスイーツとか」
「スイーツ??」
「広告で見たんよ。ピスタチオとラズベリーの極上ムースタルト」
「そんなん興味ないわぁ…。オレはマック行きたいし」
「マックはマックでええやん別に」
「オレはスポーツオーソリティに行きたい!」
「トイザらス!」
「オレはニトリ!」
「…ニトリに何しに行くん?」
「母ちゃんに頼まれたんや。IH用のフライパン買うてきてって」
「ふーん(一同)」
明石市までの道のりは遠かった。
手持ちのコカコーラが無くなってしまうくらいに、遠かった。
もうすぐ新しい学校生活が始まるというのに、不思議と寂しさはなかった。
卒業式を終えて、始まったばかりの春休みを背にみんなと神戸の街を走っている間は、「今日という日」がいつまでも続いて行くのかと思っていた。
4月から、別の中学に行った小林。
クラスの違いで、ほとんどつるまなくなった康介。
部活のグループとの交流で、新しい人間関係を築き始めたフジオカ。
先輩付き合いが悪くなったナッシー。
時間が経つにつれて絡みが減り、だんだん2人でいる時間が減っていったトモちゃん。
いつの間にか離れてしまった距離に、戻れない春。
神戸市から明石市を横断した片道16キロの道のりは、私が知る青春のすべてだった。
あの日映画で食べたポップコーンの味と、みんなで爆笑したナッシーのエスカレーター事件。
その時の思い出を、時々、夢に見るように。
(24.2010.3.7)
■ バレンタインの行事と言えば、好きな男子にチョコをあげる。そういう風習が、1958年頃の日本から生まれているらしい。
でも逆に考えれば、合法的に学校でチョコを食べられるという日でもある。
だから2月14日になると、クラスの女子同士でチョコを配り合うというプチ文化が、須磨北中学の間で流行った。
同級生の茜とはお互いの料理の腕を競い合うとい名目で、チョコ系スイーツを予算2000円以内で作り、それを学校で披露するという行事を中学2年から5年間続けた。
茜は元々料理が苦手だったが、この行事がきっかけでその弱点を克服することになった。
高校卒業後は料理の専門学校に行ったくらいだ。
私じゃ作ることもイメージできないシュークリームとかマカロンとかも、茜の手にかかればお茶の子さいさい。
そんなレベルにまでいつの間にかなっていたのだから、『人類の進歩』とは恐るべき飛躍力を持っているのだろう。
高1の頃、たまには男子にもチョコ配ってみる?という話が女子たちの間で持ち上がった。
それまでバレンタインという行事自体にさほど興味を示さなかった茜と私だったが、高1の頃は話が違った。
お互いに好きな人がいたのだ。
同じ同級生で、同じクラスメイト。
私が好きだった人は、別のクラスだったけれど。
チョコをあげるかどうかという話がクラスで盛り上がる頃、私は茜にあることを提案した。
『ジャンケンに負けた方は好きな人にチョコを渡す』
というゲームをしようと、持ちかけたのだ。
茜は当初ものすごい剣幕で嫌がっていたが、「どうせただのチョコなんだから」という理由で説き伏せた。正味、私の方はあげてもあげなくても良いや、って、軽い感じに思っていたから。
茜の性格はわかっているつもりだった。
ジャンケンの3本勝負。
彼女は困った時はグーを出す癖があった。
チョキはほとんど出さず、3分の1の確率でパーを出す。
音頭は私が取った。
私のタイミングでジャンケンさえすれば、6割以上の勝率が見込めるはずだった。
「はい!あたしの勝ちー!」
…だけど、パーチョキパーチョキで2本連取され、追い込まれた3本目。
有利に立った彼女が出す手はなんだろうと考えながら、3連続チョキは無いだろうと踏んでグーが出ることを予想した3本目。
この場面で茜が「3分の1のパー」を出すことも考えられたが、私はグーだと思った。残りひとつで勝てるというタイミングになれば、茜がグーを出す確率が普段よりも格段に上がるからだ。
茜は基本慎重で用心深い人だった。
「最初はグー」でジャンケンを始めると、次にグーを出す割合は減るとされているが、硬派な茜はグッと拳を握り込むグーの形を、反射的に出す流れがあった。
だから私は最悪アイコでもいいかと思ってパーを出していた。
3回目の正直…
今度こそチョキを出すことはない…
ところが、この時のジャンケンで彼女は一度もグーを出さなかった。
3回目の勝負の1回目、パーとパーでアイコになり、「アイコデショ!」の次に出した一手、——その一手が、いつもの彼女にはない切れ味とスピードを持っていたのだ。
「絶対に負けたくないという気持ち」
あるいは、
「裏の裏を読む駆け引き」
そういうものが、あの時の彼女にはあったのかもしれない。
頑固者で、いつも堅実に物事を進めて行く彼女が、反射速度が必要とされるゲームで必死に出したジャンケンの形。
ぎこちないチョキ。
勢いよく振り下ろされたその不器用な形に、私の安易なパーは粉々に打ちのめされた。
どうせ勝てるだろうと踏んでいた“定番のパー”が、打ち破られた瞬間だった。
そのせいで、私は私が好きだった人にチョコレートを渡す羽目になった。
スーパーで買ったバレンタイン用の巨大チョコパイ。
ラッピングしてもらったその品を、学校が終わった放課後に、直接手渡すという罰ゲームをさせられることになった。
最初は「まぁいっか」と思っていたが、当日は少し緊張した。
今までそんなことをした経験がなかったから。
「…はい、これ」
「え?」
ぎこちなく差し出した右手に、大袈裟すぎるラッピング。
部活が始まる前の、「チョコレートを渡す相手」を呼び止める声はほんの少し上擦り、感情が昂っていた。
「チョコ…?」
そこまで話したこともなければ、面識もない。教室に向かう廊下で、すれ違うことくらい。
私が「彼」を好きになった理由は、学校近くのパン屋での出来事だった。
欲しくて欲しくてたまらなかったお店一番人気の焼きそばパンが売れきれ、途方に暮れていた昼休憩、その人がお店にやってきて、「焼きそばパンがない!!」と大声で悔しがっていた。
最初は何事かと思って振り向いたけど、ただのガキの戯言だと思って違うパンを選び直した。
メロンパンとコーヒー牛乳。
中学3年生の春だった。
声の主は篠塚薫と言って、中性的な名前の通り、中性的な顔立ちの子だった。
そのくせ声はドスが効いてて、見た目のとのギャップに戸惑うレベル。
彼は私とは違う中学だったが、場所が近かったために、このパン屋で遭遇することがよくあった。
4限目終わりの昼。
徒歩5分で行ける距離に、小麦粉の香ばしい匂い。
彼と私はよくこのお店の焼きそばパンを買ってた。
それはもちろん私たちだけではないけれど。
ある日、焼きそばパンが売り切れて、毎度のように途方に暮れてる私に、彼が「何が欲しいの?」と聞いてきた。
突然の声かけにビビる私。
彼のトレーの見ると、同級生に色々頼まれたのか、10種類くらいのパンが乗っていた。
その中にももちろん焼きそばパンもあった。
(…パンを独占するなよ…)
心の中でそう思う自分がいたが、もちろん声には出さなかった。
昔から、早いもの勝ちっていうのが相場で決まっているからね。
彼は、いっぱいになったトレーを両手で差し出して、申し訳なさそうに「ごめん!」と言った。
え?
戸惑う私に、「もし欲しいものがあったら、この中から勝手に取っていって大丈夫だから」と、空いたスペースにトレーを置き去りにし、本人は別のコーナーに飲み物とかスイーツを物色し始めにいった。
トレーの中にあるパンも、まだ購入されてないパンとして扱って欲しい。
そう言う彼の横で、私はどうすれば良いかわからなかった。
半ば諦めていたし、理由があって、こんなにたくさんパンを買ってるんでしょ?
だったら別に気をつかなくて良いし、他のパンを選ぶよ。
そう思う自分が、心の大部分を占めていたからだ。
別の場所に行っていた彼が帰ってきた時、「欲しいもの取れた?」と聞いてきた。
あ、はい。
焼きそばパンを強奪するつもりはなかった。
私は私で適当にパンを選ぶんで大丈夫です。そう思い、出されたトレーのまま、彼に返そうとしていた矢先だった。
トレーの上に乗っかっていた焼きそばパンと、チョコチップパンと、コッペパンのダブルチーズサンド。
そのパンたちは合計でトレーの上に3つ以上あった。だから公平にひとつずつにしようと彼が急に提案してきた。
「…ひとつずつにするって?」
「元の場所に戻しとくんで」
焼きそばパン以外は別にどうでも良かったので、一時はその提案をスルーしたし、一度取ったパンは元に戻さないほうがいいんじゃない?と、注意を促した。
すると会計が終わった彼に、帰り際、そのパンをひとつずつ渡されたのだ。
いらなかったら捨てて良いからって。
今度欲しいパンが見つからなかった時は、昼休憩20分以内に鷹取中学に来てくれれば、もしかしたら見つかるかもしれない、って。
もちろんそれはジョークだろうが、その場でくれたパンは、気の利いたサプライズだった。
お金が浮いただけじゃなく、念願の焼きそばパンが手に入ったのだから。
その日以降ちょくちょく彼を見かけることがあったが、彼は私のことには気づかないようだった。
いつも急いでパンを選んで、いっぱいになったトレーをレジに持っていき、二つ折りの財布をポケットから取り出す。
パシリか何かなのかな…?
と当初は心配していたが、日によっては、彼じゃない鷹取中学の男子生徒が、彼のようにトレーをいっぱいにしてパンを運んでいるのを見ることがあった。
恐らく、昼飯時になるとジャンケンか何かして、負けた人が、このパン屋にお使いを頼まれているのだろう。
須磨北中学と違って、鷹取中学はそこそこの距離があったし、みんなでぞろぞろ来るには、時間がかかりすぎる。何にしてもグループでやり取りしている可能性が高かった。
地元じゃ「美味しい」って有名なパン屋だったから。
彼を見る日が増えていく中で、彼の言葉遣いとか、店員さんに対する態度とか、次第に見慣れていくようになった。
その中で彼がどんな人か、次第に理解していくようになった。
根がすごく優しくて、明るくて、真面目。
お店が混雑している時に、腰が悪いお婆ちゃんの代わりにトレーを持っていることもあった。
本人はすごく急いでいるはずだったのに。
高校に入って、彼が別のクラスにいることに気づいた。
彼は、「私の存在」など知る由もなかった。
一方的に見ていたのは私の方で、パン屋での出会いや出来事など、覚えているはずもない。
だから、チョコレートを差し出す時、妙な冷や汗と緊張に苛まれた。
見知らぬ人間が、突然目の前にやってきて得体の知れないものを渡すわけだ。
勝負に負けたから仕方ないが、あっちからしたら「何事か」と思うだろう。
幸い「バレンタインデー」という日本の文化が根付いているおかげで、2月14日という1日の中だけは、突然のプレゼントにも対応してくれる「距離」が生まれる。
彼は当初驚いたようだったけど、女子からのチョコレートということを即座に理解したのか、両手を差し出してきて「ありがとう!」と笑顔で応えた。
私の方は、罰ゲームだからと半分投げやりに、「はい、これ」と軽い口調で、片手のまま手渡したというのに。
もし、彼にもう一度チョコレートを手渡せるチャンスがあったら、今度は罰ゲームなんかじゃなく、真正面から届けてあげたいなと思う。
それは彼が好きだからとか、バレンタインデーだからとかじゃなく、もっと、別のこと。
一度しかない学生生活の中で、近づけるタイミングがあるかもしれない。
その「時間」や「距離」に、少しだけ足を動かす。
そんな刹那のスピードに、踏み出せる一歩があれば。
そう思う期待と憂いとが、ささやかな日常の中に揺れ動いている。
少しだけ背伸びをすれば届くかもしれない場所に、手を伸ばせられること。
そんな奇跡に出会えることが、「当たり前じゃない」と知っているから。
(421.2015.2.14)
■ オマエ、どこから来たの?
それが捨て猫だとわかったのは、散らばった缶詰と、段ボールに貼られた置き手紙があったからだ。
見るからに痩せているその体を見て、その場に置き去りにするわけにもいかず、家族の賛同を得ないままその子を家に連れ帰った。
一晩だけ。
そうきつく言い聞かせて。
汚いその体をまずは拭かないといけなかった。
だから家に帰るなりバスルームに連れていった。
夜も更けて12時を回りそうになっていたし、音を立てるわけにはいかなかったために、玄関のドアノブを恐る恐る開け、声を聞かれないようにダンボールごと移送した。
靴下を脱いで髪を結ぶ。
家族の皆が寝静まる合間を縫って、響かせるシャワールームの水の音。
バシャバシャと汚れのついた鬣を洗って、小さなその体のラインに流れるお湯。
静かにしててと言っても言うことを聞かないから、バスタオルでぐるぐる巻きにしてシャワーの水で汚れを落とした。
暖かいお湯に気持ちよさげに体を預けて、うっとりとした表情を浮かべながらその子は、わけのわからないネコ語を発していた。
シャワールームを出て冷蔵庫の中を開ける。
コップにも入れずにその場でがぶ飲みした牛乳。
リビングの机の上でバスタオルに包んだ子猫がこっちを見ながら、ニャーとなにかを訴えていた。
鳴くなと言っても鳴き止まないから、困ったんだ。
冷蔵庫を掻き出したってなにかがあるわけでもない。
この牛乳は私ん家のものだから、オマエに与えるわけにもいかない。
それにこれは人間の飲み物だから、ネコのオマエに与えていいものかもわからない。
明日の朝牛乳がなくて困るのは家族の皆だし、これ以上減らしてしまうのもね。
ニャーニャー言ったって何かが出てくるわけでもないよ?
生憎うちの冷蔵庫にはちくわの1本も入ってない。
オマエのために私の数少ないお小遣いを崩すつもりもない。
こうしている間にもお母さんが起きて、こんな夜中になにやってんのとどやされる可能性さえあるんだから、ちょっと静かにしていてくれない?
子猫というだけあって、甘えたい盛りなのが分かるほど、離しても離してもすり寄ってきた。
中学の頃に飼い始めたその子は、顔に斑のように汚い模様があり、不細工な色合いをしていたため、「はずれ」という名前を付けた。
元々、飼うつもりはなかったのだけれど。
オマエのお母さんはどこ?
無断で連れ帰った「はずれ」を見ながら、聞いた。
当然、それには答えてくれなかった。
「キミが何者でどこからきてどこに帰るべきなのかを、明日までには見つけなきゃいけない。
うちは動物を飼っちゃダメなんだ。
そういう厳格なルールがあってね。
今だけはそのルールを犯してキミを安全な場所に連れてきてる。
迷子の児童がいたら、暖かい暖房のついた交番の部屋に待っていてもらうように。
さて、キミのお母さんの名前を教えてくれるかな?」
その言葉に、はずれは困ったような顔をしていた。
季節は寒い冬だった。
新しい季節が来る前触れの風が、冷たい時期だ。
そんな厳しい時期なのにはずれは一人ぼっちで、夜の公園に座っていた。
温かいスープに温かい毛布。
体を震わしていて弱っていたから、なにかできることはないか探したんだ。
都合がいいことに次の日は学校がなかった。
そこで私は、とりあえず自分の部屋に匿うことを決めた。
明日の夕方くらいまでは、親にも見つからず安全かもしれないと思い。
行く宛もなく街に飛び出て、眠れない夜の向こうに、はずれがはじめて家にやって来た日。
キミを助けなければいけないと感じたのはどうしてだろう。
名前も知らない赤の他人のはずれを横に座らせ、やり場に困る視線。
あの子と出会ったあの夜に、まだ眠らない街の喧騒の背後から 、息もつけない時間がここにある。
難しいことが嫌いな訳じゃない。
だけど良心の呵責が働いた、なんてバカげたことも言いたくない。
私のしたいこと。
しなくちゃいけないこと。
それはきっと、キミを「助ける」ことではないことは、明白だったんだ。
(447.2012.2.21)
■ 花火大会の会場につくと、人はすでに溢れかえっていた。
着物を着ている人も、屋台のたくさんの美味しそうな食べ物を持ち歩いている人も、こぞって一つの場所に集まっていた。
呆然と立ち尽くして、息を切らしている私は、会場の入り口から、人が出たり入ったりしている建物や壁の向こう側を目指して、奥に奥に進んでいこうとした。
たこ焼きのいい匂いがする。
牛肉にイカにタコにラーメン、様々な食べ物が屋台のテントの下で踊って、焼かれて、白い煙があちこちに散漫していた。
若干暑苦しい気もした。
だけど私は、プリン以外何も食べてこなかったから、お腹が空いて、思わずつまみ食いしてしまいそうになるくらい、片っぱしから屋台に充満する匂いの袂にがっつき、キョロキョロとテンパった。
誰か分けてくれないだろうか。肉を分けてくれないだろうか。
せっちゃんと待ちあわせをしている時間には、まだ余裕があるので、私は何か食べようと思い思い、屋台が集まる周りをウロウロしていた。
ゾンビが一匹、ここにいますと言わんばかりに、食欲旺盛の一人の人間が、うぞうぞと徘徊する。
縦に縦に、屋台と屋台の間を区切っていって、なにかないかな?と色々物色する。
お腹が空きすぎて、へんに腰が曲がっていた。
はたからみたら不細工な子供だった。
はしたない歩き方をすると、お母さんに、コラ!って叫ばれて、そのたびにはい!って背筋が行儀よく返事する、あのスタンス。
ウヴー、と叫びながらお腹を押さえて、私は一つの屋台を選ぶことにした。
クレープ屋さん…、の隣の、ちょっとゴージャスな店構えの牛串屋さん。
なぜ、クレープの横に、牛がいるんだと思って不思議そうに眺めていたら、もう牛のことしか考えられなくなっていた。
うん、もう牛しか食べたくない。
そう心に煌めくものがあって、さっと財布を手に握りしめていた。
700円。…ちょっと高い気もしたが、まあ仕方ない。
牛さんありがとうと、屋台の店長に心の中でぼそって言って、その場を立ち去った。
店長は牛さんではありません、ってあとから気づく。
その頃には口の中に肉汁がブワーッと広がっていた。
たまらなく美味しい。美味しすぎる。
せっちゃんはもうあと30分もすれば来るだろう。私は牛肉を手に持って、会場の隅にぽつんと設置されていたベンチに座り、足組みしながら、ささやかなバケーションを楽しんでいた。
牛が、私の口の中で暴れていた。
そのたびに歯と歯の間で、上手に挟み込んであげる。
シュレッダーだ。
私は肉汁を弾いて、綺麗に口の中で細かく肉を切り裂く専用シュレッダーだ。
胃の中に肉がこぼれていった。
会場の人たちは騒がしかった。
行ったり来たり、建物の中からぞろぞろと出てきたり、花火も上がっていないのに、帰っていく人がいたり。
空気に酔って、目が回り始め、気持ち悪くなってしまったから、一度外に出て深呼吸でもしに行ったかな?
それとも買うものだけ買って、そそくさ退場していったのだろうか。
だとしたら、なんともまあ、忙しい人たちですこと。
ベンチに座って、花火会場に行き交う人たちを見ていた。
もうすぐ、せっちゃんが来る時間だ。
19時24分。
2時の方向。
時計を見た。今は、19時15分。あと10分を切ったところだ。
私はベンチからサッと起き上がって、せっちゃんが来る場所に向かおうとした。
正確な場所がどこか、頭の中ではわかっていたし、せっちゃんとこの夜に、どこで鉢合わせたか、近い記憶の中に思い出すことができた。
べンチに座っていた場所から、少し離れた小さな公衆トイレの周辺に足を向かわせた。
コンクリートで覆われた、灰色の壁が印象的で、とくに凝ったデザインもないそのトイレは、簡潔だ。
簡潔に、敷地内に設置されている。
業務用、というような感じ。
そのトイレは、会場からはちょっとだけ逸れた部分にあるので、人はそこまで多くなかった。
けど、トイレの目の前には駐車場スペースがあるから、車のエンジン音と排気ガスと、ヘッドライトの集合が、車の出入りがあるたびに、忙しく動く。
切れ切れになった光の螺旋を、遠くから目で追うように、私はトイレに到着して、会場とは反対側の街の方を見た。
会場の入り口から、その向こうに見える住宅街の一部は、お祭り一色のムードとは打って変わって、静まり返っているように見えた。
手をかざして、その指の隙間を覗き込む。
入り口から外側は、寒い風が吹いていて、そのあとを追うように、細い道が何本か見えた。
会場の、この裏側の、ちょっぴりくすんだ空間の隙間から、人が一人、花火を見にやってくる。
車のヘッドライトが、夜の暗闇を引き裂いていく。
私はトイレから見える、この裏側の会場の入り口に、せっちゃんが現れることを知っていた。
24分に、私はこのトイレのすぐ近くで、せっちゃんが入り口から楽しそうに手を振っているのを“見たことがあった”。
なんでそんな正確な時間を知っているのかって?
そりゃあ、せっちゃんが入ってくるところからすぐ左側に、一本の背の高いアナログ時計が、駐車場と隣接して置かれているから、何時何分にせっちゃんご到着ー!って、入り口と風景と、重なりながら見ることができたからだ。
せっちゃん、けっこう時間にルーズだったからさ、その時私は、思わず時計を見上げてしまった。
ちゃんと時間守れているかなって、シビアにチェックしようと思っていて。
でもこの日、せっちゃんは花火大会の会場に来ることはなかった。
着物を着て、ゲタを履いて、コツンコツンと地面を鳴らしながら、美しく参上したあの姿を、もう一度目にすることはできなかった。
それもそのはずだ。
私とせっちゃんは、その時にはもう、”同じ世界、——その時間にいなかった“のだから。
(392.2013.8.14)
■ 「来年の大会は、絶対優勝するけんな」
歩きながら、なかみかと話した。
なかみかって言うのは、「田中みか」の略だ。
なかみかと私は、同じ高校で、同じソフトボール部に所属していた。
今年の夏の成績は、2回戦進出。
なかみかはチーム1の運動神経だったから、2年生でもうレギュラーだったんだけど、私は補欠だった。
だから私の来年の目標はレギュラーを取ることだった。
『優勝』なんてチーム事情は、まだ全然考えられなかった。
自分のことで精一杯だったから。
「レギュラーなんてすぐ取れるって」
そう簡単に言うけどさ。
私の他に2人もいるんだよ?
同じポジションに。
なかみかみたいに運動神経良くないし。
少し歩いたところで、私たちはベンチに座って、バスを待っていた。
どこに行くかはわからない。
だけどここじゃない場所へ行こうとしてた。
バスを待ちながら、私たちは話し合った。
「まあ、あんたはちょっとフライを取るのが下手すぎやな」
神妙に語るその口ぶりからは、現実味が帯びる。
「鈍足なもんで(苦笑)」
「鈍足っていうかあんたの場合、ボールを目で追ってるやん」
「ボールは目で追うものやろ」
「そこがあかんねん」
「どこがあかんの」
「あんたの下手な関西弁と一緒」
私は元々岡山生まれだったから、生粋の関西弁を取得できていなかった。
言葉と言葉の間に、時々へんな音が出る。
気にしたことはなかったが、自然な言葉使いの淀みのなさと、フライの取り方の上手さが、どう関係あるのか知りたかった。
「関西弁をマスターすれば、フライもちゃんと取れるの?」
「そうやな」
本気で言ってんのかこの人。
なかみかは生粋の関西人だから、冗談なのか冗談じゃないのかわからない時があった。
信じる私の方もバカなんだけど。
私はまじまじ聞いた。
「じゃあまずは関西弁を取得すればええんやね」
「いやそこはフライを取る練習せえや」
だからそのフライを取るために関西弁を取得すればいいんでしょ。
空に上がった白い球が視界からいなくなる。
だから私は目を切らないで、ボールを追いかける。
監督は目を切れという。
目を切るというのは、ソフトボール用語で、落下地点に素早く到達するために、打ち上げられたボールがどこに落ちるかを先に予測して、一旦ボールから目を離しながら全速力で球が落ちる場所に行くってこと。
つまり未来を予測しなきゃいけないってこと。
そんな超能力が使えるのは現代の科学では不可能でして。ええ。
「あんたが下手くそなだけやん…」
ボールが落ちる場所を先に予測する。
こんな聞いただけでも難しいことを下手くそという一括りで片付けられる世の中が憎い。
随分人類は進化してきたんですね。
生まれる時代を間違えた。
私はまだ白亜記時代の恐竜レベルです。
口を開けて大きい牙で敵を噛み殺す。
そういう素朴な力強さだけなら、なんとか習得できそうな気がするけど。
「打ったボールがどこに飛んでいくかなんて未来でもなんでもないし、ただの物理」
「その物理が私には不可解でして…」
困惑する顔の私に向かって、なかみかは優しく説いてくれた。
バッターが打ったボールがどこに飛んでいくか。
その一瞬の判断が、勝敗を分ける。
ボールは風に乗る。
風の中に私たちはいると言った。
なにを言ってるんだろうこの人はと思いながら、上手くなりたい私はうんうんと頷いてその言葉を真剣に聞いていた。
一番重要なことは、ボールの速度と、打球の音だとなかみかは言った。
「ええか、ボールは目で追うもんちゃうねん。肌で感じるんやで。スピリチュアルやスピリチュアル」
うん、なるほど、わからん。だいたい物理ってさっき言ってなかった?
いつからソフトボールは霊的なものに変化したんだろう。
ますます訳がわからない。
サッちゃんの支離滅裂な説明に気が滅入りそうになりながら、焦る心。
私は真剣だってのに。
「物理…ですよね?」
まじめに聞いている私がやっぱりバカなんだろうか。サッちゃんの答えは爽やかだった。
「スピード。流れの中にボールは飛んでる」
かっこいいことを言ってるつもりなんだろうか。
だけどなんとなく、言いたいことは分かった。
分かるから、その難しさも分かった。
物理でもスピリチュアルでもない、シンプルな難しさがそこにはあるってこと。
案外、「スピード」という言葉にすべてが凝縮されている気もした。
そういう気持ちに不意にさせられてなんだか悔しい気持ちになった。
私の頭の中で冴えない打球の音が聞こえた。
「ようするに、練習あるのみってことね」
「センスがあるかないか、ってことで」
「私向けの発言でよろしくお願いします」
「ほんなら、ボールを目で追うな」
バスに乗った私たちは、そのまま海岸近くを走りながら、できるだけ遠くまで行こうとした。
夏の季節が終わる。
その先に見える秋の背中が、積乱雲の向こうに青い空を広げていた。
私たちは知らない場所にいた。
知らない土地の色を見ていた。
打ち上げられた打球が、私たちの未来に向かって進んでいるとするなら、私は全力でそれを追いたい。
ボールをキャッチできるかどうかギリギリのライン線上に、たった1つの未来がある。
だから私たちは、ボールから目を切らなければ行けないのかもしれない。
グラウンドの一番深いところにボールが飛べば、ボールを目で追っているうちは、そこに追いつけない。
たった一度の瞬間。
ボールとバットが当たった瞬間。
その一直線上の刹那の先に、ギリギリの未来がある。
そのスピードを、今すぐに体現したい自分がいる。
どこに行きたいのかがわからない訳じゃない。そんな簡単なことくらいわかっていた。
私が向かいたい場所が、このバスの向こうに続いているかどうか。
そのことを、今すぐに理解したいわけじゃなかった。
…ただ、だからといってじっとうずくまっていられるほど、私の心は強くできていなかった。
「明日」の世界に行きたい。
その思いが、未来に途絶えているってこと、そのことを信じたくないから、私は走っていた。
この世界のどこかに、この世界の「確かなもの」を探してた。
空に上がった白球が、まだグラブの届く所にあることを信じて。
(218.2015.5.04)
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