弦を弾く振動が空気中に漂いながら、光の進む方向が変化する。
水滴が肌にぶつかる瞬間に、膨張する気流の変化が、光と波の狭間に硬直する。
その中心を、風が一気に駆け抜けた。
空気はまだそこにあったんだ。
口の中に侵入する酸素が血管の内部へと駆け巡り、指先がヒリヒリと熱くなる。
肥大化する気流が体を押し上げ、動いていく視界の断片を引っ張る。
ボンッという破裂音。
めくれ上がる雲粒。
反転する視界のそばで、回転する「空」があった。
雲を突き抜けて飛び出た体が、対流圏の底を突き。
穴。
落下する体の上で、雲に穴が空いていた。
それは一瞬の変化だった。
雲の下に飛び出た先で、回転する空気が、雲の底に垣間見えた。
地平線がどっと近くなる。
地球の形に沿って伸びていく、風の輪郭。
真横から差す光は、地上の曲線に沿って世界を照らしていた。
青を。
地上と空の、——境界を。
…え?
目を疑った。
地上には広大な海が広がっていた。
巨大なうねりを持ちながら、世界の“全て”を動かしている。
擦れていく地殻。
盛り上がる水面。
クジラの背骨のように、波が逆巻いていた。
——いや、水の流れは一定だった。
にも関わらずそう見えたのは、青白く浮かび上がる地平線が、ゆったりとその体表を押し広げていたからだ。
山のようにせり上がる波間が、水平方向にぶつかる影と交錯し、巨大な割れ目を作っている。
絶えず入り混じる潮の流れ。
青ペンキで雑に塗りつけたような濃い色調。
限りなく穏やかな海原が、腹這いに倒れていた。
霞んだ輪郭も、——形もなく。
目を疑ったのは、その悠然とした海面のなだらかさに、気を取られてしまったからじゃない。
視界の隅に映った斜線。
それは水面の表面を穿つように、高く聳え立っていた。
渚が白く弧を描いて、地上の底を揺らす。
空気の振動が直に伝わりながら、光の襞が空間の奥へと屈折する。
「塔」が見えたんだ。
どこまでも広がる海の中に、ポツンと背を伸ばしている白い建物が見えた。
それは地上の上で一際際立ち、まるで世界に穴を空けているようにさえ見えた。
見渡す限りの広大な水面の上で、異常なまでに凛としていた。
海と、空と、巨大な雲と。
それ以外に何も無い視界の真ん中に、細長い被写体が近づいてくる。
塔の高さは、今まで見たどんな建物よりも大きかった。
風が吹けばぽっきりと折れてしまいそうなほど、長く屹立していた。
表面には苔が生え、ずいぶんと月日が経ったもののように見えた。
頂上にはドーム型の屋根に、金色の鐘のようなものがぶら下がっていた。
落下していく速度が速いせいで、うまく焦点は合わなかった。
けど——
…なんだ、これ
どうして海の上にそんなものが建っているのか、わからなかった。
人工物にしてはあまりに大きく、それでいて古い。
周りに陸地は見えない。
どうやってこんな場所に…?
というか、なんでこんなものが…?
疑問に思っているのも束の間、あっという間にその物体の真横を通り過ぎた。
塔に近づくに連れて視界の変化は加速し、風景の一部が切り裂かれていく。
不思議と怖さはなかった。
このまま海面に打ち付けられれば、間違いなく俺は死ぬだろう。
だけどその予感は、頭の中にはなかった。
声がしたんだ。
地上へと落下するスピードのそばで、「手を伸ばして」という声が。
雲間から伸びてきたその声を頼りに、俺は振り向いた。
…千冬?
信じられなかった。
俺はよく知っている。
アイツの「声」を。
聞き間違えるはずはなかった。
その「声」が、聞こえてくるはずがなかった。
空の彼方から落ちてくる一粒の影が、遥か上空を飛ぶ鳥のように飛翔していた。
対流圏を抜けてやってきたその“手”を、俺は必死に追いかけた。
自由の利かない空中のなかで、日差しの向こうにやって来るその影を、捕まえようとした。
地面へとぶつかるまでの時間と、——距離と。
目測を誤れば、もう2度と触れられないかもしれないその一瞬を、追いかけ。
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