ザァァァァァァ…
「…え?」
一瞬、耳を疑った。
ここは街の中だ。
それなのに、まるで砂浜にいる時のような音が聴こえた。
——そう、瀬戸内海の海岸。
あの海の岸辺で流れ着く波の破音が、交差点の中央で響き渡る。
泡が弾けていく質感が鼓膜を揺さぶって、何重にも重なった分厚い層のような厚みが、空気の切れ間の中を凄まじい勢いで駆け抜けていった。
空気が押し潰されていくような重低音。
それから、波線。
ビルというビルのコンクリートが崩れ、中の鉄筋が剥き出しになろうかとしていたその時、その“消失”は、地面にも及び始めていた。
アスファルトの表面が剥がれ、その下にある地面の土が浮き上がる。
道路に敷かれた白線は、浮き上がる土と一緒に、消失する街の中に呑まれていった。
空間の内側へと沈んでいこうとしていた。
空間のずっと奥、——深いところに。
全てが、“ほどけて”いく。
みるみるうちに形が失われて、まるで水に流れていくような滑らかさが、目まぐるしい変化の渦中に広がっていた。
遠ざかっていく何か——
気配はすぐそばにあった。
何かが消えていこうとする気配が。
…だけど、それを視覚の中に捉えられるほど、はっきりとした感触をすぐに見つけることはできなかった。
世界が透けていく。
「線」の外側へと何かが逃げていこうとしている。
風も、街の音も消えた空間のそばで、次第に空が暗くなり始めた。
そして、揺れが続いている地面の、——上には。
眼球の表面。
その水晶体の真上を泳いでいく1つの影が、光の屈折の中に届いた。
入ってくる光の量は、世界を見渡すには十分すぎた。
網膜の内側で形成される像。
鮮やかな色調と、——実体。
ピントは合っていた。
空とその色を、直視できるほどには。
巨大な影が、瞳の中を通りすぎる。
ガラスに反射する街の景色のように、それは確かな線を持っていた。
だけどそれを“影”と呼ぶには、あまりにも大きな存在感を放っていた。
見渡す限りの青い空に、“それ”はやってきたんだ。
時間の猶予も感じないほど、速く。
空からやってきたとは感じないほど、近く。
…隕………石………?
不意に女の言葉を思い出した。
鼓膜の内側に触れる雑音。
ノイズがかかったような声色。
…でも、そんなバカな…
“それ”は成層圏を抜け、地球の重力に引っ張られるように、強烈な空気抵抗を携えながら近づいてきた。
あり得ない速度で。
陽射しのトーンを変えてしまうほどの、大きさで。
まさかと思いながら、瞳のレンズに映るその巨大な物体を、——追った。
空に浮かんだ2つの星。
月じゃない、もう一つの、「星」を。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
落下してくるその星の下で、世界の端が、ドミノを倒したように傾き始めた。
轟音を立てて沈んでいくビルと、地面。
アスファルトには亀裂が入り、倒壊する建物の向こうに、雪崩のように膨らんでいく巨大な放物線が見えた。
津波だ。
ビルよりも高い波が、世界の端から迫ってきてた。
濁流に持ち上げられる水飛沫と、形容し難い音。
何もかもが破壊されていくような音が、削岩機のように鳴り響いた。
爆発的に伸び上がる放物線。
水の躍動。
街が飲まれていく。
ものすごいスピードでぶつかってくる白波が、高く飛び散って宙に舞い上がり、ザザザザと蠢きながら千切れていく。
コンクリートの壁に波が砕け、うねりがまくれ込みながら、白く崩れ落ちる。
目も眩むほどの速さで走り上がってくる。
阪神高速線の高架下をくぐり、かたやセンタービルの頭上を乗り越え、空にも達するほどの勢いで。
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