「知ってた?
走るのには、何もいらないんだよ?」
初めてアイツと出会った時、顔には絆創膏が貼られていた。
ズボンは土だらけだった。
街の公園の隅で、人知れず壁に向かってボールを投げ続けていた。
何度も、…何度も。
公衆トイレの壁はボールの跡がこびりついていた。
1日や2日じゃ、絶対につかないような跡だった。
何しとん?
そう尋ねると、彼女は、顔色ひとつ変えずに俺の方を見ていた。
“邪魔すんな”
そう言わんばかりに。
先週も、女に連れられて千冬に会いに行った。
でも、やっぱり目を瞑ったままだった。
どうしたらアイツにまた、会えるだろう。
もう無理だと分かっていても、まだ、心の中にあるんだ。
——もしかしたら
そう思う気持ちが…
ジリリリリリリ…!
目覚ましを消すと同時に、カーテンが開く音が聞こえた。
ドタドタドタという足音。
階段を上り下りする生活音。
瞼の向こうに揺れる人影のそばで、小気味のいい鼻歌が聞こえてくる。
〜♪
朝は二度寝するって言ったろ。
わざわざ人の部屋のカーテンを開けにくるバカ。
女は「はよ起きろ!」と無理やりシーツを引っぺがし、目覚まし時計ばりの騒がしさで眠りを妨げてくる。
ここ最近はずっとだ。
たまに俺より起きてくるのが遅い時があるが、大抵は先に起きて朝の支度を始めている。
慣れてきたと言われれば慣れてきた。
女の騒がしさにも、慌ただしい朝の時間にも。
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