「科学装置が発明される前の遠い過去では、「夏」はまだ、この世界に残っとった」
夏が、…世界に…?
それは今もだろ?
今年だって、まだ秋じゃないぞ。
「いいや、もう夏は来ない。来年も、再来年も」
「どういうこと?」
「私たちは今、「海」の中におるんや。深い海に」
「は?」
「“変えられない事象”って言うのは、もうすでに“過ぎ去った時間”のことを指す」
「過ぎ去った…時間…」
「今年の夏は、もう二度と戻ってはこん。そうやろ?」
「…まあ」
「せやから、あんたを連れて行ったんや」
「どこに?」
「あの世界に」
女はベンチの上に寝そべり、優しく瞬きをする。
電灯の明かりが少しだけ暗くなった。
夜は、さっきよりもずっと深い。
けど、時間の流れは、ずっと穏やかなままで——
「あの世界で、私たちはまだ出会ってなかった。それは世界の記憶の一つなんや。未来が失われた、——世界の」
「“私たちが初めて出会った場所”、…確か、そんなこと言ってたよな?」
「私とあんたがこうして話しとるのも、「今日」であって、「今日」やない。まだ“出会ってない”。それに近い「時間」というか…」
「出会ってないって…。じゃあいつ出会うねん」
「さあ、わからん」
「わからんって…」
「冗談に聞こえるかもしれんけど、真面目な話」
「真面目には聞こえんけどな?」
「はいはい」
千冬を救う方法。
それがなんなのかを、今すぐに知りたい。
どうやって救うんだ?
何をすればいいんだ?
そんなことばかりが頭の隅にチラついて、騒がしかった。
女はそれを見透かしたように、俺の言葉を遮ってきて。
「で、どうやって…」
「結婚」
「…は?」
「あんたとキーちゃんは、未来で結婚してた」
何が聞こえたのか、一瞬わからなかった。
聞き慣れない言葉が聞こえた気がした。
だからもう一度尋ねた。
そしたら——
「結婚。意味わかるやろ?」
「ケッ、ケッコン!?」
…意味が、わからない…
…いや、意味はわかる。
言葉の「意味」は。
でも、…どういう…
「世界にまだ「未来」が生まれる前、「夏」が、まだこの世界に存在した日。あんたとキーちゃんは、あの海辺にいた。雨上がりの空の下で」
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