俺は目を瞑ったんだ。
“間に合わない”と思ったから。
次の瞬間にはもう、電車の機体が女を呑み込んでいると思った。
フェンス越しに巨大になっていく機体。
回転する車輪の音。
何もかもがスローモーションに見えて、それでいてあっという間だった。
あっという間に、風を噴き出すような音が近づいてきた。
数メートル。
あとほんの少しの“間”に向かって突進していく機体が、レールを軋ませながら通り過ぎようと、
——していた。
うわああああ
目を閉じた先で、同時に耳も塞いだ。
次に何が起こるのかが、簡単にイメージできたからだ。
絶対に死んだッ……!
電車にぶつかって、……それで……
………
……
…
「目を開けてみて」
………………え?
その言葉が届いたのは、目を閉じてから数秒が経った頃だった。
女の声がする。
だけど妙にすっきりした、音。
空気が透き通っている。
そう思ってしまうほどに滑らかな声色が、鼓膜のすぐ表面にまで飛んできた。
「…なんだ、…これ」
目を開けると、そこにはあり得ない光景が広がっていた。
地上に落下してくる雨粒が空中で止まり、その「球体」は、空気抵抗によって底が潰れていた。
それを“知れた”のは、重力に沿って落ちてきた1つ1つの粒子が、今にも地面に到達する速度で、ブレーキをかけたように目の前に静止していたからだ。
透明なその粒子は、360度、世界を覆っていた。
そしてその向こうで、電車が立ち止まっていた。
さっきまで動いていたはずのあらゆる物質が、その輪郭を失うこともなく硬直し、音もなく停止しながら。
まるで写真を見ているかのようだった。
そこに“動き”は無い。
色も、音も、形も、線も、少しの振動もなく、その場に滞留している。
その“繋ぎ目”には、何もなかった。
そう思えるほどの深い沈黙が、目の前に広がっていたからだ。
灰色の空の下で。
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