「もう一度戻ってみんか?」
「…は?」
「もう一度、あの世界に行く。その覚悟はある?」
……
………
…………は?
……………もう一度?
一瞬、耳を疑った。
「戻る」…って、どこに?
「キーちゃんのおる世界」
「…ほんまに言うとんか、それ」
「冗談言っとるように見える?」
「…いや、でも…」
戻るって言ったって、そんな簡単に戻れるもんなのか…?
仮にそうだとしても、さっきお前は…
「なんや?」
「こことは「別の世界」って、言うてなかったか?」
「そうやで?」
「そうやで」じゃなくて、戻ったって千冬が助かるわけじゃないんだろ?
あくまで別の世界のことだから、——そう言ってたよな?
「そうやが、そんな単純な問題ちゃうねん」
「どういう問題?」
「数学的な問題」
「数学ぅ!?」
言うにことかいて数学とか
完全に哲学だろ
哲学でもないか…
かといって、社会でも理科でもない
うーん…
「質問する」
「はい」
「9回裏ツーアウト、あんたの投げる球は?」
「ストレート…」
「なんで?」
「なんとなく」
「どこに投げるん」
「アウトローいっぱい」
「真ん中ちゃうんかい」
真ん中のストレートなんて、打ってくださいって言ってるようなもんじゃん。
せめてコースギリギリを狙わないと。
何番バッターか知らんけど。
「投げ直すことができんとしてもか?」
「だからこそやろ。打たれたらどうするん」
「期待した私がバカやったわ」
弱腰になるなと、彼女は言う。
そんなつもりはない。
打たれないコースを攻めようとしてるだけで…
「世界は変えることはできん。けど、世界を“変えよう”とすることはできる。そのために必要なもんはなんやと思う?」
「必要なもの…?えっと、勇気と希望…的な?」
「まあまあやな」
「そうなん?」
「でももっと簡単なことがあるやろ」
「もっと…?」
「“振り返らない”ってことや」
“振り返らない”
力強くそう言って、握った拳をポンっと胸にぶつけてくる。
過ぎ去った時間は、もう取り戻せない。
だけどこれから生まれる「時間」は、まだ、あんたの足元にある。
——そう、言って。
「それで、ど真ん中に?」
「ちまちまコースついてもしょうがないやん」
「セオリーって知ってる?」
「知ってます」
「ど真ん中に投げる時があってもええが、基本はアウトローかインコースやろ」
「誰が決めたん?」
「過去のデータに基づいております」
「そうですか」
なんか文句あんのか?
一応キャッチャーやってたんでね。
打たれないための勉強をしてるんですよ。
ええ。
「一番すごいバッターに、自分の一番すごい球を投げる。その発想はないんか?」
「その発想やん」
「コース突こうとしとるのに?」
「それのどこが悪いねん」
「相手が一番打てるポイントで、打てない球を投げる。それが“ピッチャー”ってもんやろ」
「それはバカのすることや」
ど真ん中で勝負できるほど、野球の世界は狭くない。
それはピッチャーやってて思うよ。
とくに、最近は。
「まあええわ。とにかく、振り返らずに前に進む。メモっとき?」
「メモったあとは?」
「キーちゃんを助けにいく」
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