研究室のドアをノックする音。
妙だな。こんな時間に来客の予定はなかったはずだ。
「統括主任、失礼いたします」
女性らしき声だ。身なりはきちんと整っているが。
いかにも実につまらぬ無能な人間が僕の前に現れたものだ。
「何の用かな」
僕の時間を奪っていいのは、対等な。
素晴らしい才能の持ち主だけである。
無能には興味など微塵もない。時間を割いてやる義理もだ。
「……先日の予算会議の補足資料……」
口を開けば飛んでくる声も実にくだらぬ事務手続か。
あまりにも興味がなくって、話をさっさと切り上げくなって。僕は恒例のフレーズを使う。
「いやぁ、忙しい中済まないね。コーヒーでもいかがかな」
僕の手には、突然入ってきた招かれざる客が足を踏み入れた時から黒い液体で満たされたコーヒーカップがあった。
「……いえ、仕事中ですので」
「ふぅーん。忙しい時間を割いてまで来て貰ったけど。暇な僕の厚意なんて受けるに値しないって訳か」
ちょっと臍を曲げたフリをした。ああ、僕は勿論のことながらマサムネグループでも研究開発の部門におけるトップだ。名も知らぬこの女なぞ取るに足らない。
「あ、いえ。いただきます」
「……よく味わうといい。天国に昇るほどの味わいさ」
案の定、すぐさま泡を噴いて倒れたゴミ。
ああ、なんてつまらないんだ。
少しくらいもつようだったら、次のお人形遊びの素材にしてやってもいいかと思っていたが。やはり無能は無能か。すぐ壊れるガラクタでは木偶にもなるまい。
アーモンドの風味がするだけの、ブルーマウンテンのブレンドコーヒーを口にしただけだろう。
「高濃度シアン化カリウム。青酸カリ入りのコーヒーですか。……趣味が悪いですね。パワハラはおやめください」
「味覚を破壊されて何にでもマヨネーズをぶちこむような人間よりはマシさ」
僕は、痺れるような風味のコーヒーを飲み干した。
この味に理解を示してくれる人間がほとんどいない。まさに孤独なグルメだな。
この味わいは、フグの不可食部の次くらいにお気に入りだと言うのに。
「風祭クンを始末したのは、ちょっとだけ失敗だったかもなあ。瑣末なゴミの相手をする時間が気持ち、少しだけ増えた気がする」
過ぎたことは仕方ないな。
招かれざる客人とは言えどもてなさねば。
私の前に現れた年端も行かぬ少女は、腑に落ちないのだが。役職だけ見たら対等な上位幹部であるのだ。
「苦言もやむなし。また人的資源を無駄にしましたね。薬師寺主任」
「ガソリンも電気も、浪費すればこその贅沢だろう。違うかな無能クン。……キミがわざわざ僕に挨拶に来るとはね。五郎の世話はいいのかい」
「会長を呼び捨てとは、如何にあなたといえど……」
「ハッ! ……無能なゴミだったキミを、最低限使えるように仕立て上げたのはこの僕だ。逆らうならば自爆スイッチでキミの活動は……」
「自爆機能? 薬師寺誠也が自分の作品を自分の手で壊すはずがないでしょう。……気狂い才能オタクが」
僕のハッタリをすぐ理解できる機転は、ちょっと意外だ。
「……よくわかってるじゃないか。無能のくせに、そういう部分は認めてやるよ。……ところで、キミはまだ無能なお姉さんの作ったレジスタンス、壊滅させてないの? いつやるの? いつ終わるの? 出来ないの?」
アンチマサムネの活動団体。ソードブレイカーユニオンと言う組織がある。
マサムネグループの兵器開発、死の商人としての側面を危惧し、剣を砕く者。あるいは、中世期に用いられたとされるカギ付きの防御用の短刀からその名を取ったらしい。そんな抵抗組織があって。ノエル・ソードブレイカーを名乗る少女を指導者に置いているようだ。
それが、目の前にいるこの無能な小娘の実姉であるわけだ。
「……つまらない口喧嘩で時間を浪費するのはあなたも不本意でしょう。……言われずとも、その件については動いています。私も貴方に感謝は少しはあれど、気が合わないのはお互い様。本題に入らせてもらいましょう」
「……是非そうしてくれ」
案の定だ。会長秘書の少女は、才能の育ての父とでも言っていいこの僕に対して生意気な口を叩いた。
「では、薬師寺主任。……最近、貴方のチームにおける我が社への貢献が足りないと言う件を」
「……何を。僕達は研究者だよ。経常利益だの、売上だのと言った部分は全部、営業部が果たすべき仕事だ。何が金だ。輝かしい才能、未来ある可能性。それをどう磨くべきか。その筋道を立てることに対する責務は十分過ぎるほど果たしている」
「会長が言っております。……薬師寺主任の遊び心やこだわりには理解を示すが。その為には成果を上げろ、と。……あなたが遊び呆けている間に作ったもの。実物を見せていただきましたが。なんですか、あのゴミは」
凡人が天才のやる事に口を挟んだところで理解も出来ないだろう。約束の地と呼ばれる平行世界を生み出す鍵。
それに関しては社内には公にする気がなかった所もあるからな。僕だけに都合の良い部分は独り占めさせてもらうつもりだった。知られたら背信行為とか横領とか、あらぬ誹りを受けるだろう。しかしリスクはあれどリターンは大きい。まあ案の定そこのデータを伏せたらあれらの人工所有者は単なるオモチャ扱いも妥当な評価か。
「……ったく、仕方ない。本当ならもう少しせっつかれてからあげるつもりだった研究さ。開発区のイシエネルギー供給を円滑に進められるだろう次世代イシカプセルと、その供給源にするための生体コンピュータ製造の素体用ホムンクルスのデータ。これを持って、とっととお帰り願おうか。五郎によろしく」
僕は仕方なく専用金庫に閉まっておいたデータを入れたメモリを投げ渡す。
すると、彼女は自身に埋め込んであるコネクタ端子にメモリを差し込み。……データを確認し始めた。
「なるほど。まぁ、今日の所はこれくらいで勘弁します」
それ持ってさっさと帰れ、無能なガラクタ人形め。
「ところで、データの最終更新日時が半年近く前なのですが。……どうしてです?」
そんなの決まっているだろう。とっくに終えた研究だ。
「現行の旧型イシカプセル。僕のお気に入りだから。完全移行は出来る限り遅滞させたかった。本来の意味でのサボタージュだよ」
……まったくもって、度し難いほどに。世間は無能で、弱者が溢れている。そんな連中を一掃して、未知の才能と未来の可能性だけが生きていける。そんな世界が待ち遠しいものだ。
「どうせ、無能と弱者は価値がない。……社会の礎になってくれると言うシステムに組み入れてやるだけ慈悲があると思って欲しいものさ」
「言っていることは理解は出来ます。ですが、共感は出来ません」
「そりゃ、君が無能の側に立っているからだろう。僕が手を加えてやった外付けの才能を取っ払ったら、君はこの会社にいられないだろうからな」
マサムネグループにおける出世の条件はシンプルだ。
才能さえあればいい。……そして、誰にも負けなければいいのだ。
ゆえに僕は不安定な上位幹部と言う立ち位置にどっしりと構えて座っていられる訳だ。素晴らしい才能とその研鑽と研究を怠らない。だから僕はマサムネの幹部だ。
「すみません。最後に一つ。会長からの質問です。……龍鏡にて、莫大なイシエネルギーの観測があった。薬師寺主任であれば、何か経緯を知っているのではないか。とのことですが、報告をお願いできますか」
この小娘に言われるまで、僕は迂闊にも気付かなかった。Mr.ダイヤモンドの遺した最期の力を。
「ん? 初耳……だな。数日中には詳細を送る。用事は済んだだろう? あ、すまない。……そこのゴミ、処分してくれるかい?」
「……如何にマサムネと言えど、人間一人を処理するのには莫大なコストがかかるんです。才能ない人間とは言え、安易に処分をしないで欲しいですね」
「……それは、僕の方もお願いしたいね。無能な人間を迂闊に僕の前に立たせるな。……近付かせるな。それを意識してくれたら配慮はしてやるよ」
僕が好きな物は、才能。可能性。
僕が嫌いな物は、無能。
そして。僕が許せない物は別にある。
遺物とか言う年代物と、それをありがたがる原始人だ。
人間は神や英雄に縋り、また。神も勇者もそれに応えてきた。現実に今、巨龍が存在せず。悪鬼妖魔の類が見られなくなったのはその証左だ。感謝もあるが、その反面。
いつまで人間を神の下に置くつもりなのだ。
人間の可能性はいずれ神をも超えるはずなのだ。その信念こそが、僕の研究者としてのスタンスである。
僕はそれゆえに。Mr.ダイヤモンドの最期の姿に心が震えた。
「俺は最期の最期まで! 一縷の望みを胸に抱いた欲望の石の所有者だ!」
彼は神の力。断罪の力など知ったことかと。その力を捨ててまで。最後までその自らの才能と可能性を訴求し続けた。その姿を観測することが出来た僕は。
彼の取った選択と、その力に敬意を表することにした。
僕はとある高校の管理部署に直接連絡を取る。
「マサムネグループは今後、片桐雛と言う少女の経過観察を打ち切る。その為に手配した人員も時期を見て段階的に引き上げることにしよう……よろしく頼んだよ」
Mr.ダイヤモンド。君の生き様は素晴らしい。
僕なりの敬意だ。安心して眠っておくれ。
「あ。あくまで、マサムネグループに所属する者だけでいい。独自に動こうとする者、指示を聞こうとしない者などは一切関与しないでいい」
そう言えば。片桐雛と言う少女の近くには。
ルビークイーンの生体実験から生み出した副産物が放たれていたような気がするな。
まあ、僕の知ったことじゃないか。
「ELD計画か。……アレは失敗だったなあ」
そして、僕は。
彼への義理立てを済ませた後には。
次の興味を惹く研究、追求したい可能性を探すことに目を向けた。
この世には未知の可能性、知られざる才能はごまんとある。僕にとってこの世界は飽きることのないオモチャ箱みたいなものなのだ。
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