掌をかざし、強く念じる。
空気がひんやりとする感触。……そこが起点だ。
肌を突き刺すほどの冷気が、空気に氷柱を作り出した。
「凍れ!」
吹きすさぶ風が氷の槍に姿を変えるのに時間はかからなかった。
数は十にも満たない程度の、死人の顔を借りたバケモノは一掃した。
そうして、気付けば……冷気を操作することを覚えて、一丁前に戦うことが出来る程度になったと思う。
事務所近くの裏通り。こんなにも近くで、奴等は生きた人間に牙を剥いていたのか。
「……これで、終わりか。あっけないもんだな」
一仕事を終えた達成感。それを感じながら帰路につこうとしたタイミングで。
聞き覚えのある声がした。
「そんなわけがあるか。……ここからが本番だろう」
声のした方に目を向けると、そこに見覚えのある黒ずくめの女と、赤毛の男が立っている。
「忠告はしたが、お前はこの街を出ないで。……それどころか、私の敵として眼前にいる」
「のどかさん!」
水原のどかがそこにいた。
「待ってくれ。……別に、俺はアンタと戦いたいわけじゃない」
昨日、命を助けてくれた少女は、掌からこぶし大くらいの火の玉を生み出している。
「言ったはずだ。二度目はないと。……随分と生き急いで、お前はそうして呆気なく命を落とす」
手をかざすと、炎のつぶてがこっちめがけて飛んでくる。
「チィッ!!」
横っ飛びをして、飛んできた火の玉をかわす。
シャツの袖に焦げ目がついたのがわかると。……それで悟るわけだが。これは、本気で殺る気満々なのでは?
「……様子見程度のご挨拶で、ほっと一息ついてどうする。戦うつもりはないらしいが、それはそうだろうな。ここから始まるのは、一方的な蹂躙だ」
赤毛の男もまた、動き出した。……そいつも体の周囲からいち、に、さん、よん、ご……もう、いいや。
数えきれないくらいの火の玉を作り出していた。
「無駄な足掻きをするな、とは言わない。……生きたいと思う、原初の欲求。生存本能がお前の眠れる力を高めるのなら、その願いの力も私が取り込んで、力にしてやるだけなのだから」
敵の数が増えた。……こっちをめがけて飛んでくる炎のつぶても、数を増す。
二方向から、同時に飛び交う火の玉をなんとか避け続けるが。
「フブキ! ……お前、どこにいる!」
「オーナー、さっきからずっといる! 命令もいらない、考えればいいだけ! そう動けるから!」
2対1では分が悪すぎる。……こっちも、守護者がいるのなら。それで戦うしかない。
昨日の命の恩人が、牙を剥いて襲ってくると言う理不尽。……ここまで忙しいと目が回るね。
「ようやくあちらも守護者を出したか」
「のどか、武装は必要か?」
「待て。もう少しだけ、このまま遊んでやろう」
昨日の路地裏での出来事で呟いた……アームズと言う単語。切り札らしき単語だ。
どうやら、彼女は全然。……寸分の本気も見せていないと言うことを理解した。
フブキにやってもらいたいことは。とりあえず。
盾役、と言うところだろう。彼女もまた、どうやら石の力を使えるのだから。
「アイス・ウォール!」
現状を整理してみる。狭い路地裏にて、挟み撃ちの形で襲撃を受けている。
命の恩人の彼女に対して、殺意を向けたい気になれないし、未だに石の戦いとやらの実感がどうにも湧かない。
状況さえ許してくれたら帰りたいくらいなのだ。
フブキが生み出した氷の壁は、たかだか3,4発の火の玉にぶつかったくらいで溶けて水にもどってしまった。
「だいたい……挟み撃ちって状況が不利なんだ。……行くぞ、フブキ」
数秒程度の時間稼ぎになってくれた氷の壁。それで考えをどうにかまとめた。
「……ほぉ、なるほど。舐めたことをするな。……自分で向き合おうとせず、ペットごときを私に向けるか」
「マイネームイズ、フブキ! ネバー・ギブアップ!」
のどかさんには、フブキに対処してもらい、こっちはあの赤毛の男を殴りに行く。
「……ってわけだ、イケメン! 俺はチャラチャラした男をぶん殴ってみたいと密かに思っていた。覚悟しろよ」
「所有者が守護者を叩きに行く。……いや、面白い発想だ。普通ならそんなことはしないからな」
まあ、正直に言うと。女の子を殴るって言うことに抵抗感しかないから。
これ以外に選択肢はないと思ったんだけどね。
こっちも命がかかっている。……一撃で仕留めてやる! と言う気概を持って、最初にやらかしたこと。
躊躇もなく、局部を狙う。足の付け根、股間に対して蹴りをぶちかましてみた。
「……いや、見事だ。これでもし人間なら……動けなくなっていただろう」
「は?」
手ごたえ、と言うか。物凄い勢い。躊躇もなく蹴り上げたスネがやっこさんの股間に直撃した感触はある。
「文字通りの命を賭した戦いに卑怯も辣韭もあるまい。……しかし残念だが」
平然とした、澄ました表情をした男は言う。股間を蹴り上げられたと言う構図がシュールにさえ感じる。
「守護者には生命がない。単なる願いの力の具象化、エネルギーの塊に過ぎない。何をされても痛みなど感じない」
そう告げると。炎を纏わせた手刀を振り下ろしてきた。
「……危ねっ! ちくしょう」
即座にかわす。……上から目線のアドバイスが飛んできた。
「守護者を相手に物理的な攻撃は悪手だ。……この戦いの本質は願いの選別だ。欲望をぶつけあい、純粋な願いが生き残る。だとすれば、守護者には石の力以外通用する道理もあるまい」
「ご忠告ありがとう! そんなアドバイスを敵に送って、アンタはいいのかよ」
「いや……問題ない。……何故なら、もう遊びは終わりだからだ」
そんなことを言った男はこちらの後方に指をさす。
「……おい、その手には乗らねえぞ」
「いや、素直にあっちを向け」
渋々ながらにも、騙し討ちを警戒しながら……人差し指の向けた方に目をやると。
「おい。格の差を思い知ったか? お前のペットも軟弱だな」
「フブキ!」
こっちが股間を蹴り上げた死闘をしている間に、フブキがのどかさんにやられたらしい。
足蹴にされ、踏んづけられてる構図。……あまりにも呆気なさ過ぎて笑えてきた。
「ホムラ。遊びは終わりだ。……来い」
のどかさんが来い、と告げた途端に。さっきまで対峙していた筈の守護者が姿を瞬時に消した。
「猛火の紅玉の所有者、水原のどか」
そう高らかに名乗る彼女の傍らに赤毛の守護者が瞬時に移動していた。
彼女は、守護者の首を。何を思ったか華奢なその手で締め上げ始める。
「……その、実現武装を見せてやる」
赤毛の守護者は、乱暴に締め上げられているのを意にも介する様子がない。
「まずい……! オーナー! このままじゃ絶対に勝てない!」
踏んづけられている着物幼女が叫ぶ。
おかしい。段々と、周囲の空気が熱くなっている……?
「紅玉炎術……燎原」
先ほどまでの遊びと称していた時間。さっきまでとは段違いに危ない予感しかしない。
彼女の近くに満ちている、願いの力と称しているエネルギーが比べ物にならないほど肥大化しているように思えた。
路地裏が、炎で包まれている。……ご都合主義なのか、燃え広がるとしても。
建物に延焼をする気配などはないまま。空間そのものが燃焼を起こしている。
「願いの力の使い方。戦い方もロクに知らないまま私に出逢ったのが運の尽きだな」
彼女の隣には、既に男の姿など微塵もなく。
その代わりに現れたのは……一本の巨大な大剣。
熱く燃え滾る地獄の業火をそのまま、一本の剣の姿に変えたかのような……その武器を握りしめて。
「見えるか、カグツチ。……『炎』の時の実現武装だ」
彼女がそう呟くと。こちらに飛び込んできた
スピード。パワー。あるいは、生み出す火の玉の熱量から
何から何まで……全てがさっきの『お遊び』とは桁外れ。
まず、こっちは猛烈な勢いのタックルで吹き飛んだ際に、漫画的にアバラが逝ったか……くらいの衝撃は受けただろう。
先ほどから辺り一帯が、炎に包まれ。生み出される熱量は……。
「今、周囲の気温がどれくらい上がっているか。お前は分かるか」
「きっと……サウナよりは熱いと思うけど」
わからない。人間にサーモグラフィー機能なんてないでしょうに。
「少なくとも、水が液体の形ではいられない程度には上昇している……」
人間の体の7割くらいは水で出来ているって言う話は聞いたことがあるが。
えっと。……仮に、それが事実とすると。
何で、この体は気化していないんだろうか。
「このまま、ここを火の海にしておくだけでもお前の願いの力が底を尽きれば、命を落とすだろうが」
炎の剣を、こっちに向けて。彼女は言った。
「私はそんなに気が長い方じゃないんだ。……その首を切り落とす」
「やめてください。そんな、死ぬじゃないですか」
「……とっくに、最初から。殺すつもりだと!」
彼女が炎を操ると言う割には、物凄くドライでクールで冷たくて厳しい一言を言い放つ。
結局、とどのつまり。
まだ、自分が何をしたかったのか。……何の為に、こんな戦いに巻き込まれたのかもわからない。
なんで、どうして。……理由を知りたかった。
「フブキ!」
彼女が振り下ろした刃が、氷の石の守護者の背中を貫いた。
「無駄な足掻きだが、守護者を盾にする発想は悪くない。で、次の一手に何を考える? 考えたら、私には手に取るように分かることは……昨日のうちに実証済みだ。閃きや、本能に身を委ねるがいい。起死回生の一手がなければ」
「オー……ナー。リアライズ……アームズ……」
フブキが身を挺してまで、守ってくれた。
だが、次の一手?
何故だ、どうしてだ。……どうして、こんなことになってしまった。
知りたいと思うことが、罪だったのか?
深入りすべきじゃないと、背を向けて。また、逃げて。
行きつく果てが、どこに繋がると言うんだ。
この期に及んで。他人事のように。
凍り付いていた時間が、溶け落ちたのに。まだ、……のことではないなんて。
これは、他の誰の物語でもない。
「フブキ! 俺は……」
――同情なんてしないで!!
あの子の背中を追えなかった自分。手を差し伸べたかった。
「俺は!!」
過去をなかったことにはできない。
あの時感じた悔しさ……無力さ。惨めさ。
あの時、先輩が呟いた一言。……独り言ちて、ふっと漏らした、風と共に消えた。
なかったはずの音が、今更。俺の耳に蘇る。
「アンタの父親が死んだ理由は、あの女の子の味方になろうとしたからだよ」
俺は、手を伸ばしたい。自分の無力さに、打ちひしがれたあの時の悔しさを見つめなおしたい。
これは、紛れもなく。俺の物語なのだ。他の誰でもなく……。
倒れたフブキを抱きしめた俺の手に……。
「お前! まさか……」
のどかさんの握っている、大剣と同等のモノであろう。
俺の両手は、永久凍土を固めたかのように……冷たくも透き通る巨大な手袋がはめられていた。
「実現武装……スサノオ。これが、氷の実現武装……」
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