初めて出会った時のことは昨日のことのように思い出せる。
最初に出会った時の印象? そんなの、わざわざ言わなくたって。最悪だ、って言う印象を抱いたのは口にするまでもない。
「……久しぶりだな、ティッシュマン」
ここは彼女と初めて出会った場所。
秋山公園通りのアーケード。
この機会を逃せば次はない。俺は彼女と話をするためにここに来たんだ。
「今、チラシは配ってないから。条例に引っかかることはないと思う」
「……迷惑条例違反だ」
相変わらずの減らず口。まるで変わらない毒舌っぷり。
「お前のお節介で人の話を聞かないところに、私は辟易している」
「アハハ……変わってなくて、安心する」
この戦いが、終わりに近付いている。
彼女と雌雄を決して、どちらかが勝つか。負けるか。
そんなことを今更やりたいなんて思っていない。
「のどかさん、質問なんだけど」
「なんだ」
「今でも、探偵は嫌いですか?」
「……ああ、大嫌いだ」
俺達が初めて会った時のことを思い出すように問いただすと、いつものような辛辣な答えが返ってきた。
「だが、物事には例外と言うものがある」
だけど、彼女らしからぬ台詞が続いた。
「底抜けにマヌケで、いつも金を無心して来るような甲斐性なしで。だが、自分よりもいつだって他人の事情に首を突っ込んで。毎度のこと痛い目を見る。なのに変わらないまま、真っ直ぐでいられるバカがいる」
「そんな奴、どこにいるんでしょうね」
「……今、私の目の前にいるな」
あれ、周囲に俺以外の人影はないんだけど。
「今更どういうつもりだ? お前と話すことなど何もないのだが」
「……俺は、光輝の柘榴石の所有者を倒しました」
彼女の注意を引くために、あまり言いたくないことを自分から口にした。
「ほぅ……甘ったれだと思っていたが、やる時はやるんだな。それで。次はようやく私の番か?」
「違う」
あの後味の悪さ。……美作のヤツは言うまでもなく、救いようのない悪党だった。だけど、俺はいまだに。
あんな奴に対しても、違う手段で救ってやる事ができたんじゃないか? などと図々しいことを考えてしまう。
まあ、ヤツの言い分に乗れば偽善者だろう。
この感傷はヤツを倒したことじゃなく。俺が手を汚した事実への後味の悪さを拭いたいだけに過ぎないのだから。
「それで痛感したんだ。俺には向いてない。あんなことはもう二度とごめんだ。だから、俺はこの戦いを降りる。……それを伝えに来たんだ」
「お前の諦めの悪さ、買っていたつもりだったが。……がっかりだな」
「それで。のどかさん……」
俺は何度目かの一世一代の大勝負に出る。
「ウチの事務所で働きませんか?」
「何を馬鹿なことを……」
そらそうよ。……そんな返事が返って来るくらい。想定通りだって言うのだ。
「仕事内容は、いたって簡単。この街に徘徊する甦死を駆除する清掃業です。給料もちゃんと出ます、安心してください」
「お前の口から金の話など、この街の裏側に巣食うクソどもの戯言より信用できるか」
「ですよねー」
でも、事実。この話は先輩に確認を取って、了承を貰った話なのだ。俺自身が一番びっくりしてるが。
「……くだらない戯言はもうおしまいか?」
「俺は!」
俺は、自分の手を汚して本気で痛感した。
「俺はこれ以上君に、人を傷付けて欲しくない!」
彼女が何をした。彼女は何も感じられない。
罪悪感も、嫌悪感も。……きっと、彼女は小枝を剪定するかのように向かってくる敵を殺めるだろう。
「……どの口が。私が戦う理由、その全てを知った上で口を挟むのならば」
そんなのわかった上だ。君の事情を知った上での俺のエゴだ。
「だって! あんなに後味が悪かった。ヤツの最期の言葉、まだ俺の耳に響いて来るんだ。アイツの言葉。今でも気を抜くと蘇ってくる! 先に地獄で待ってる……ヤツはそう言った! あんな気分悪いこと、二度とごめんだ! そして……」
俺の独りよがりは今に始まったことじゃない。
これは俺の原点だった。この気持ちに嘘をついて、見捨てていけば。同じ過ちを繰り返すだけだろう!
「だからこそのどかさんは、このまま戦っていくべきじゃないんだ! 本当は優しい子で、真面目で、真っ直ぐな君が、こんなことで……心を殺しちゃいけないんだよ」
「心? そんなものが。バケモノの私にある筈がないだろう」
いや、違う。君は気付いていないだけで。
そんなにも、その口から溢れた言葉は……まるで助けを求める叫びにしか聞こえなかった。
「なんでそんなに悲しそうに言うんだ……」
「悲しいとは思っていない。滑稽ではあるが」
「そんなふうに! 自分を誤魔化すのをやめてくれよ。君は人形なんかじゃない。優しい一人の女の子だ……」
俺の言葉に対して、彼女はやはり。物悲しそうな響きで言葉を返してきた。
「……女の子、か。わかった、少し場所を移そう。着いて来い」
俺達は出逢った。このクソッタレな街の片隅で。
互いに敵として。命を賭して叶えたい願いの為に、時には手を取り。時にはぶつかって。
だけど、それは全部間違っていて。
だからこそ。俺はいつしか彼女を救いたいと本気で願うようになったんだ。
彼女が抱える哀しみ、最大の爆弾を俺は目の当たりにする。
「懐かしいな。……まるで何もなかったかのように綺麗に片付けられたもんだ。血の滲み一つ残っていないか」
「ここは……」
俺が顔無しの甦死に囲まれて殺されかけた場所。
ここで俺は君に命を救われて、全てが始まった。
「お前なんてあの場で見捨てておけば良かった。……私の最大の失敗だな。さて」
水原のどかは何を思ったのか。突如としてその身に纏っていた黒尽くめのコートを脱ぎだす。
俺はあまりに突然の出来事で、頭の処理が追いつかずに咄嗟に目を逸らし……。
「目を背けるな!」
彼女らしからぬ、怒号であるかのような叫び。
「知ってるだろう。私に羞恥心などない。だが、それよりも」
彼女は一糸纏わぬ姿になった。要するに、ゼンラと言い換えてもいいかもしれない。……それで。
「お前は、『これ』を見て。まだ私が『優しい女の子』などと言った存在に見えるのか?」
俺はあまりのことに言葉を失った。
今までの人生で目にしたありとあらゆる出来事の中で、最も衝撃的なものを目の当たりにしたから、だ。
「……見たくもなかったが、たまにお前から下心が見えたことが幾度かあったな。『そんな真似』が出来るとも知らずにバカなヤツめ。それについては、何も思わないが。……お前はこれ以上、私に関わらない方がいい」
「ひどい。あんまりだ……」
「お前の甘さも、お節介も。正直うんざりしていたところだ。……これでお前も懲りただろう。こんなバケモノを相手に、時間のムダだったな」
全身のボディラインを覆い尽くすように全身をコートで覆っていた理由。……それは、誰にも明かしたくはなかっただろう彼女の秘密のはずだ。
それだけ告げると、彼女は俺の側からまた遠ざかってかいく。
その遠ざかろうとする背中を、このまま見届ける?
そんなこと。俺はまた、同じ過ちを繰り返すだけじゃないか! 俺は彼女の物寂し気な背中を、放ってなどおけない。
「なんで、そんなに悲しそうに言うんだ」
「悲しい? 悲しくなど……」
俺は……今ここで人生最大の勇気を振り絞って今の俺の気持ちを叫んだ。
「君は優しい女の子なんだ! 今までずっと、俺は君が側にいてくれたから。真っ直ぐでいられた! 真面目で優しくて、毒舌で容赦がない部分もあったりするけど。そこも含めて、全部! 君のおかげでこの戦いの中を歩いてこられた!」
「……それで?」
「俺は君の側にいてやりたい! 君が笑えないなら、君の代わりに笑ったり。君が泣けないのならば、代わりに涙を流したい。心がわからないのに、心をこれ以上殺しちゃいけない。俺が君の涙になってやる!」
冷静になって振り返ってみたら、これはまるでプロポーズに近いレベルのとんでもない告白になってそうだ。
そういう認識はなかったが、シラフに戻ると滅茶苦茶恥ずかしいな。
「……私の涙、か」
俺の言葉は届いてくれたのだろうか。
「お前みたいなズレた感性をした男にそれを任せるのは些か不安しかないが……」
「お前、本当にいいのか? 私のようなバケモノに一生を捧げるつもりか? 恋愛をして、家庭を築き。子供を育てるような……普通の人生は送れないぞ?」
「そんな普通、とっくに諦めてたところだ」
「青森りんご」
グサリ、と刺さった。
「ああ言うわかりやすい女の方がいいだろ」
「いや……パセリンは俺にとって憧れの対象であって。好きなアイドルと、恋愛対象は別みたいな……」
その名前を聞いて想像した昨日の1日デートが脳裏を過ぎる。……マズいですよ。思考を読むのどかさんには筒抜けですよ。
「フン。……お前の事務所で働く、だったか?」
彼女はクスリとも笑わず、笑えず。いつも通りの仏頂面で答えてくれた。
「前向きに検討するとしよう」
俺の想いが、やっと。差し伸べた手が、やっと。
救いたいと思った人に届いた瞬間だった。
「オイ。……相変わらず馬鹿丸出しだな。何を勝手に泣いている」
「だって……」
「私に心があったなら。こういう時、きっと喜びで満面の笑みを浮かべるに決まってるだろう」
……俺は彼女の悪態に、堪えきれずに笑いが溢れた。
俺の凍り付いていた時間が本当の意味で動き出した。
俺の切なる願いの一つが叶った瞬間だった。
この作品で1番書きたかったシーンです。
これにて完結です! と言ってもいいくらいです。
ですがもう少しだけ続きます。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!