俺は行き所のない苛立ちを覚えていた。
あの子は、悲しんだ顔さえ見せたことがなかった。
それ自体が、彼女にとっての悲劇そのもの。
彼女の笑顔を、見たことがなかった。
彼女の泣き顔も、怒った顔も。
仏頂面。鉄仮面のような無愛想で、面倒くさい女だな。
そう、思ってしまっていた。
感情表現が下手だ。もうちょっとかわいく振る舞ってくれればいいのに、なんて思ってた。
決して、言葉にしたことはない。
だが、口に出さずとも彼女はきっと見透かした。
そして、知らず知らずのうちに傷付いた。
傷付けないことさえも、ありもしない心に傷を付けた。
「畜生。……なんでだよ」
「人間以外にも欲望の石を扱うことが出来るかの実験だった。そして、戦闘力もご存じの通りだ。だが、何が気に入らなかったのだろうか。彼女は我が社の研究施設から脱走した。そんなに検体実験が辛かったのかな? ツラいと思う心の仕組みも持たないのに、おかしい話だ」
「笑えねえ。ちっとも笑えるか!」
俺は渾身の願いを込めた、氷の拳の一撃を。
やり場のない怒りを薬師寺にぶつけた。
「あえてノーガードで受けてみたが、想定した140%ほどか。やはり、君の才能。潜在能力は素晴らしい。よくも短期間のうちにそれほどの成長を見せてくれる」
……喋れる? 俺は、殺すつもり。文字通り、コイツの命を奪うつもりの一撃をぶちかましたのに。
「ああ、でも。流石に事前の投薬をしていなければ、万が一もありえた。だが、それでも」
薬師寺誠也は。……俺に殴り返してきた。
いとも簡単に俺は吹き飛ばされる。
しかし、だ。
ヤツは実現武装どころか、守護者の姿さえまだ俺の前に出してはいないのだ。
「僕に届くには至らないな」
「何者なんだ、お前は……」
「マサムネグループの統括主任だよ? 僕は研究者だから、上位幹部の中でも戦闘力は低い方さ。だが、弱くちゃ示しがつかないし。何より実戦データを取るのに自分でもやれた方が捗るじゃないか」
……なんだと? コイツさえ倒せれば、なんて言う甘い考えを持っていたが。コイツ以上の力を持つ能力者がもっといる、だと?
「おい、待てよ。欲望の石は12個しかない。だったら、お前以外の……幹部連中って何者だよ!」
「欲望の石と所有者? そんなちっぽけな戦いの舞台が世界の中心だと思っていたのかい? 確かに優れた才能ではあるよ? だが。例えば……君の慕うレディ・ハーミットの持つ才能は、欲望の石だと思うかね?」
「……っ!?」
俺は世界を知らなさ過ぎたのか。
「マサムネグループは、あらゆる才能を集め。研究し、人間の新たな可能性を探し続けている。イメージしやすい例を挙げようか。魔法、超能力。それらは実在するのはご存じの通りだ。あるいは、長い歴史を持つ裏の社会の住人、忍者。古来の伝承より、妖怪、悪魔の類の人外種。最新の科学力を結集した人体改造。とまあ、わかりやすい例だけでこれくらいは挙げられる。知られざる才能は無数に存在するだろう。……本気で僕達の。我がマサムネグループを始めとした裏の世界の抗争へと足を踏み入れるには、君の能力を持ってさえ、まだ青いよ」
俺は強くなったと思っていたが。まだ届かない?
時間を止めて、氷の現象を支配するほどの力ですら。
届かない次元の、深い闇が存在するなんて。普通は考えられない。にわかに信じられるもんじゃなかった。
「僕は純粋な善意で動いているだけなのに、不本意ながらね。僕の所有する欲望の石は悪意の橄欖石なんだよ。Mr.ダイヤモンド」
ヤツは、俺に屈辱的な事実を告げる。
「僕の事象の支配は端的に言うと『毒』だ。毒性を持つ物質の生成、化学反応を引き起こす。あるいは、人体の免疫反応などをある程度支配する。眼前の敵を殺すと言う前提であれば、そもそも僕は戦うと言う選択肢すら選ぶ必要がないのさ」
ヤツにとって、この瞬間さえ。俺とは戯れに過ぎないと言い切ったのだ。
「僕はもっと。純粋に君達の才能が輝くところを間近で見たい。それだけなんだよ」
……少なくとも、今の俺じゃ敵わない。
それだけは理解できた屈辱的な事実だ。
俺は圧倒的な力の差を前にしてもなお。
《凍結》
諦めたくはなかった。情けない自分が許せなかった。
何よりも、俺は。このままでは彼女に。
水原のどかに会わせる顔がない!
だが、世界の時は。動きを止めず。
「いや、便利だね。《打消》は。それはそうとお客さんが増えたようだ」
黒坂美影。結果的に俺が殺したも同然になってしまった女の力を平然と使い出して。……一体何様なんだ、コイツは。
そう思っていたところで。俺の背後から、大きな音。
壁が崩れたような……。
「お兄ちゃん!? 大丈夫?」
そこには、何故か店のお仕事中であった筈の青森りんごと。
「……いや。この期に及んで馴れ合うつもりはないが」
いざこざあって喧嘩中の水原のどかが何故かいたのだ。
「派手なご登場は嫌いじゃあない。ああ、はじめまして。お会いできて光栄だよ、オリジン。それと、久しぶりだね。ルビー・クイーン」
水原のどかは、ノータイムでカグツチと言う炎の刃を持ってして薬師寺誠也に斬りかかった。
「貴様だけは、私の手で殺してやる。その時をどれほど待ち望んでいたか……」
薬師寺はひょいとかわすと。まるで、興味もなくのどかさんに冷たい目を向ける。
「Mr.ダイヤモンドやオリジンと違ってね。ルビー・クイーン。僕はとっくに君に興味はないんだよ。甦死は感情を持たない面から、所有者としての成長が見込めないこと。それと、《悔涙》と言うつまらない手品。火の能力も高速戦闘の能力もありきたり過ぎて、データを取る必要は皆無。欲望の石の検体実験の際は本当に世話になったが。……君はとっくに用済みなんだ」
薬師寺は、俺も。パセリンも。のどかさんも無視して。
「なんで、アタイもこんなトコに来たんスかねぇ……」
いたの? と思った途端の事だった。
「いやはや。なんだ君は。才能を愚弄するかのような、度し難い怠慢。自らの実力、欲望にそぐわぬちっぽけな願望。可能性ある者だけが、選ばれるべきだろう。……僕は才能に胡座をかき、磨く事もしない有能の皮を被った無能ってヤツが一番嫌いなんだよ」
成り行きか何か知らないが。
……等々力響子の腕が飛ぶ。咄嗟のことで、誰一人として追いつけなかった。《加速》の力を持つのどかさんでさえも。
「お前のようなゴミに、見せてやるだけありがたく思いたまえ。実現武装……オロチ」
ヤツの白衣が、突然として無数の手術用メスのような小型の刃物でびっしりと埋め尽くされていた。
「え……」
「稲妻の黄玉の才能。別に必要とは思っていなかったが。腐らせるくらいなら、その才能を引き継ごうか。君は不要だ」
等々力響子は、一瞬で薬師寺の手で命を落とした。
無数の刃によって血に染まり、無惨なもの言わぬ姿になった。
理解が追いつかなかった。何故、殺したのか。
あるいは、理由さえも理解できないだけか。
「……ああ、君達。僕はこの後、本社で会議が入っているからそろそろ失礼するよ。予算を決める大事な会議で遅刻は出来ないからな。Mr.ダイヤモンドを助けに来たんだろう? 用事は果たしたはずさ。僕も名残惜しいが手術もしたし、長いこと歓談をするのも久しぶりで少し疲れてしまったな。近いうちにまたお会い出来ることを願っている」
俺は、言葉にならない叫びをあげて、ヤツに突っ込んでいった。だが、結果は。……容易くあしらわれただけ。
「僕は君の才能に惚れ込んでいる。……今は届かずとも牙を研ぎ、爪を磨けばあるいは、ね。今日は楽しかったよ。見逃してあげるから、次は遊びに来てくれたまえ」
俺は。俺達は。
ただ、自分の無力さを痛感した。
「……助けに、来てくれたんですか?」
「いや、違う。あの男がいると聞いて、黙ってはいられなかっただけだ」
俺は水原のどかに、ひどいことをたくさんしてきた。
彼女は笑えないし、泣けないし、怒れないのに。
それを知らないことを免罪符に、無自覚なことをずっと、言葉に。あるいは、思いながら。
「俺は知らなかった。のどかさんは……ずっと!」
何を背負って戦っているか。それを知ったところで、何も変わらないかもしれないと思っていた。
だけど。もう、彼女を見るだけで本当に申し訳なさが胸をこみ上げてくるんだ。
「知ってどうなる。知ってどうする。私の望みなど今更、口に出したとしてお前が納得したいだけだろう」
水原のどかは、頑なに口を閉ざしていた自らの願いを口にする。
「私の願いは。復讐や争い事とは無縁な、ただの『普通の女の子』になりたい。楽しければ笑い、腹が立てば怒り、悲しければ涙を流せる。それだけの些細で、ちっぽけな。つまらない願いだ。……どうだ。拍子抜けしただろう」
「俺は!」
「だから、私はお前にだけは知られたくなかった」
一人で背負うには重過ぎるのに、誰にも共感してもらえない孤独を背負い。水原のどかは、それでも戦いに身を投げる。
「ちっぽけな、無力な俺を。いつだって見捨てないでいてくれた。のどかさん、俺は……」
「そして、お前とのこれ以上の馴れ合いは必要ない」
彼女はそう呟くと颯爽と去って行った。
その背中に追いつけなくとも、俺はただ。
飛び去った方向に駆け出して。追いかけて。見失った。
「俺は……何も。知らなかったんだ」
戦うべき巨悪も。守りたいものも。
ようやくわかった。
だが、今の俺はあまりにもちっぽけで。
「……響子ちゃん」
呆然と立ち尽くす、もう一人。彼女もようやく、俺達の戦いの末路を見て、実感をしたのだろう。
「ねぇ、お兄ちゃん。何がなんだか。……ボクは、これまで遊んでいたつもりでも、なんでもなく。本気で。ただ必死に生きてきたつもりだったのに。……ボクのやってきた事って何だったのかな?」
無力なだけの自分。
何も知らなかった頃の自分。
あの頃の自分と比べて、今の俺は。
何か変わっただろうか?
変われただろうか?
ただ、ひとつだけ言えること。
問いかけの答えと言うよりも、自分自身に言い聞かせるように唱えた。
「それでも、前に進むしかないんだ」
物語も折り返し、次から最終章です
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