俺は、色々なものを諦めて生きてきた。
将来や、夢。なりたい自分なんてものも今は遥か彼方。
だけど。誰もが貫き通すのが難しいことに挑んでいる。
自分を曲げず折れず。正しく生きていくって言うこと。
俺を俺たらしめる、過去の呪縛からも、逃げずに立ち向かう。
「そのご褒美なのかね……夢みてぇだ」
今まで、何の生産性もなく、ただただ時間を浪費して生きてきた無気力な殻。それが俺だった。
素寒貧なままの俺が、今。胸を張って。
あの東條のファッション通りを歩いているのだから。
「あー。お兄ちゃん! 遅刻だよ!」
「ごめんなさい、パセリン」
「ダメだよ。ボクのことはりんごって呼んで?」
キュンと胸を締め付けるような上目遣いで彼女が言う。
「……ッ!?」
ごくり。喉が鳴った。
年上のお姉さんと待ち合わせ。
そうして今から、俺はデートである。
何がどうして、こうなったんでしょうか。
それは、理由があって……。
「美作陽のことですよね」
「そ。……ウチの情報力総動員して、アレの居場所を探ってみた訳だけど。……なんとびっくり」
先輩は、驚きのヤツの居場所を告げる。
「アンタやウチに正体バレたにも関わらず、何の変化もないまま普段通りの日常を送っていたの」
「それは凄い」
まあ、ヤツの本質。本性については知ってしまったものの。内面の奥深くとか、根底にある生い立ち含めて理解した訳じゃないからわからん。だが、なんとなく。
ヤツは未だに俺を待っているような気がするのだ。
「……ヤツの住処はわかったんだけど。誘き出す方法はやっぱり。……アンタ、なんか気に入られてるみたいだから目立つ行動か、ヤツを挑発すればホイホイ出てくると思うの」
「どう言う方法で?」
先輩は冗談めかしてありえない提案をする。
「まあ、万が一にもありえないけど。アンタが可愛い女の子を連れ歩いてたら、ヤツはいても立ってもいられずに襲いかかってくる。なんて……」
おいおい、相手がいねえよ。と……俺が答えようとしたタイミング。まさに、その刹那である。
ここで、突然。パセリンが口を開いた。
「美作さんって誰? ボクも会ってみたいんだけど」
……俺と、先輩の会話が瞬間。止まった。
「いや! ダメです! あまりにも危険過ぎる……」
正気を取り戻した俺は、即座に却下しようとする。
「……セーギお兄ちゃん。君はボクを誰だと思っているんだい? 白雪りんごは、どんな逆境だって逃げずに立ち向かって。最期まで信じるべきものを貫き通した」
いや、担当声優だったのは記憶に新しいけども。いや10年近く前だが。
いくらなんでもキャラクターと声優を同一視はできん。
「だからボクもこの戦いから逃げないよ。この願いだけは曲げないつもり。……ボクはこの戦いを止めるんだ」
言いたいことは伝わる。それでも、俺は個人的な心情として。あんなおぞましい邪悪に、純粋無垢な魔法少女を会わせたくはなかった。
「美作陽は危険なヤツです。犯罪者だし、自分の快楽や思想の為に人を傷付けることに、何の躊躇いもない」
「ボクのことを気遣ってくれるのは、嬉しいけど。ボクは! これ以上目を背け続けるわけにはいかないもん」
先輩がとんでもないことを言う。
俺は操作もしていないのに、先輩の声がスピーカーフォンに。彼女に聞こえるように言う。
「……東條のファッション通りで、そこのバカと。……オトメルヘンのヒロインがデートと言う名目でアレを煽れば。嫉妬に駆られて出てくるんじゃない?」
俺が何か言おうと口を開けると、それよりも先に。
「なるほど、いい案だね。デートコースはフミお姉さんに任せていいんだよね?」
「勿論です。……ああ、支倉さん?」
先輩が、俺達2人を励ます見送りの言葉を告げる。
「ウチの妹もあなたのファンなので、必ず生きて帰ってください。サインも出来たら一緒に。あとそこのバカ。万が一にもそこの妹系お姉さんが傷物になったら、どうなるか覚悟しとけよ?」
「もう……ボクは声のお仕事してないのになあ。最近、ボクのファンにたくさん出会えて嬉しいよ」
俺が口を挟む余裕も時間もナッシングだった。
なにこれぇ。とは思ったものの。
「終わったら、アンタとのどかちゃんがきちんと話せる場所を用意するから。……アンタも必ず生きて帰ってきなさい」
待ち合わせの場所とは、ヤツとのデートにも使わせていただいたパンのうまい喫茶店、であってたっけ?
あの忌まわしい記憶が至福のひとときで上書きされていくのを感じる。
悪夢の始まった場所で、俺は輝きを失わない魔法少女がおめかしをして走り寄って来ることに感動を覚えていた。
白い帽子、緑色のワンピース。
お姫様のようなヒール靴ではなく。動きやすいスニーカーを履いているお転婆お嬢様な理由は、もちろん本当の目的の為と言うのは嫌でもわかる。
だが、それでも俺は。
白雪りんごではなく、支倉凛子でもない。
青森りんごと言う、夢を叶えた少女本人に目を奪われたのだ。
彼女の背丈は俺の顎くらいまでしかないため。常に俺を見つめるときは上目遣い、見上げるような形になる。
やっべ。……俺の彼女、かわいすぎだろ!
はっ。……何を図々しい妄言を語る。
彼女は、みんなの妹なのに。
「じゃ、行こうよお兄ちゃん」
あ、ダメだ。理性が音を立てて崩れていくのを感じた。
高額な絵画の購入提案されても断れる自信ねえわ。
俺が。俺こそが、青森りんごのお兄ちゃんだ!
「スッゲ……夢見てる気分だ……」
るんるん気分で歩いていたら。靴紐を思い切り踏ん付けてこけてしまった。
「もう、お兄ちゃんったらしょうがないなあ」
……はずみでほどけた靴紐。それを彼女はしゃがんで結び直してくれたのです。
女神か! 天使か! 聖母か! ……声優か。
「○ァック!」
「面白くないですね……」
なんか、かなり離れた場所から和服のチビ助と慇懃無礼系のカフェ店員さんの視線を感じた気がしたけど。
単なる血の迷いでしょう。勘違いさ多分。
「あ、電話だ」
「出ていいよ?」
……それは、先輩からのメッセージ。
ヤツの動向を探って貰う。今回のデート大作戦は美作陽を誘い出すのが目的なのだ。
当然のことながらヤツの動向抜きに青森りんごに付き合って貰えるならむせび泣いて喜ぶけどさ?
「もしもし」
「アレの居場所だけど。商業施設、街頭の防犯カメラなんかから探って突き止めたところ。……前にアンタが連れてかれたアパレルショップあったの覚えてる? そっちの方面に向かって」
覚えているけど、忘れたい。人間は矛盾を抱えて生きているんだなって。
「了解」
と言うわけで、俺はさりげなく彼女の手を引いて。歩き出した。
「こっちに、一緒に行きたい場所があるんだ」
「うん、いいよ」
屈託ない笑顔を見て、俺はこの人をあらゆる悪意から。危険から守りたいと思った。
俺は女の子に縁があった部類の人間じゃなかった。
俺の短い人生の中で、一番優しくしてくれたのって、多分この人なんじゃないかなって。
殺そうとする人、殺そうとする人。殺そうとする人。ここ数日だけで文字通りの女の敵として、何度命の危険に遭遇したことか。
俺の味方でいてくれるだけで、どれほど救いになっていることか。
人間不信にならずに済んでるの、このお姉さんのおかげです。
「それにしたって、お兄ちゃんってばだらしないなぁ。……そのよれたシャツ、一昨日も着てなかった?」
「あ、ごめん。お気にって言うのもあったけど」
「チェック柄シャツ……無難だけど、オシャレを感じないよね。よぉし。ボクがコーデしてあげる!」
……え? やばくない?
デートって、こんなに素敵で素晴らしくて感動的なの?
手段が目的になってきた。俺の中で、この時。
確実に言えることは。
あのクソ野郎のことなんて頭の中からすっぽり抜けていたくらいで。憧れの人が隣で笑っていてくれること。
ああ、なんて……ハッピー。
青森りんごのチョイスしてくれる洋服は、ファッション通りの中、庶民的なお値段でありながらも。
「……え? こんなん着こなすの?」
「面倒くさがりなのは知ってるよ。でも、この色とこの色だったら、見栄えがいいじゃない。カッコよくなるよ」
俺の懐事情を知っているからか、これ。樋口一葉先生お一人でお釣りが来る。
……あのさ、こう言うこと言うのアレですけど。
彼女、世界最強級のいい女じゃない?
笑顔が眩しいし裏も表も見えない。ひたすらに優しい。
だからこそだ。彼女の笑顔は、この命に替えてでも。
守らなきゃならねぇって。
「危ないっ! りんご!」
嫌な記憶は忘れたくともなかなか忘れてくれないみたいだ。
数日前に、一度襲われたあの願いの力の感覚。
光の矢が、彼女を狙っていたのに気付くや。
俺は刹那で時を支配し、《凍結》を使う。
おそらくコンマ1秒気付くのに遅れていたならば、彼女の額に焦げ目が付いていた。
あんにゃろう。絶対に許さねえ。女の子の顔に傷を残そうというのなら。……その歪んだ根性叩き直してやる。彼女は世界中のオトメルヘンファンの妹なんだぞ。
「……久々に逢えたじゃない? ダーリン、アナタと一緒にいる、そこのかわいいコ、誰かしらぁン?」
何をふざけたことを。
「美作ァ……久しぶりだな。テメェ、俺のカノジョにナニしてくれようってんだァ! 百万回しばいてやろうかァ!?」
目的は達した。ヤツはホイホイ、俺たちの前に姿を見せる。
俺とヤツとの因縁、終止符を打つのにいい頃合いだ。
更新忘れていた先週分と合わせて2話アップです
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