こちらは第十一話~第十五話までの『一週間まとめ読み』となります。
『グンシン』はおそらく火星統合計画を進めているだろう。そして、その計画の目的は『はじめのひとたち』を完全に自分たちの下に置くためだ。下に置く……のならまだいい。僕はその先を考えてぞっとした。『犬』たちが僕に狙いを定めたあの瞬間があざやかに浮かんで、僕は体がこわばるのを感じた。
同時にいっしゅん、怜の顔が頭に浮かんだ。あと、ほんとうに苦々しいことにあの地球の男の顔もだ。
怜は『センター』が『はじめのひとたち』を消し去ろうとしていると言っていたけれど、それが本当ならいまは怜があの男と同じ地球人であることを願った。
怜とはどこかでまた巡り合うかもしれないけれど、それはいま考えるべきことじゃない。彼女はたったひとりでも戦える人だ。僕は僕でジーナを探さなければならない。
そして、僕の中には二つの大きな気がかりがあった。一つは怜が僕にくれたあのデータ、僕の母、山風明日香が遺したメモの意味だ。なぜ僕の母は犯罪者として『センター』に処分されなければならなかったのか。
そしてもう一つは……どこからジーナの存在が誘拐者たちに伝わったかだ。僕が自分の名前をボスに伝えたとき、ボスはなんの反応も示さなかった。つまり、たとえ僕のアパートを襲撃したのが『鉄のバケツ団』だとしても、少なくとも僕の名前は知らなかったはずだ。
僕はボスの膝にいた猫を思い出した。とにかく疑問だらけだった。
ジーナを誘拐したのも、ギャング団の仕業だとは言い切れない。開拓団とギャング団の間には微妙なバランスがある。開拓団とギャングは独立戦争のときは戦友だったから、『センター』をよく思っていないことでは共通しているはずだ。
それなのに、ボスの膝には『センター』が配るはずの猫がいる。だけどもしボスが『センター』と繋がっているなら、僕を生かしておきはしなかっただろう。
そしてたとえ僕とジーナのつながりを知らなかったとしてもなお、開拓団地域に放火するということは、開拓団の人々の信頼を失うということでもある。そんなリスクをなぜギャングはおかしたのか?
僕の知らない世界のかくれた歯車が、音を立てて僕をのみ込もうと近づいてきていた。だけど、僕はしっていた。怜もきっとどこかでこの音に耳を澄ませている。僕はおそらく、一人きりで立ち向かっているのではなかった。
屋敷の部屋に閉じ込められているあいだ、たっぷりの食事も清潔なベッドもシャワーも与えられていたけれど、他の人間と一言も話さないということは地上での暮らしと一緒だった。
いちど見張りの男が食事を持って入ってきたときに話しかけてはみたけれど、僕の少しさっぱりした姿(といっても髪も髭も伸び放題だったけど)をみて
「おまえそんなツラだったのか」
と一言いうだけで僕の言葉はすべて無視された。
その数日後、また別の男が入ってきたこう言った。
「こい、IDが届いたぞ」
僕はまたはじめにボスたちと会った部屋に連れて行かれた。だけど、こんどは中にはボスと斬三と呼ばれた若い男だけがいた。
僕を連れてきた男は、僕の腕を縛ることもせずに、そのまま普通に部屋を立ち去った。どうやら僕はボスに信用されたらしかった。
斬三と呼ばれた男がビジネスリングから資料を映し出し言った。よく見るとこの男はずいぶんと血気盛んそうで、いまは好奇心旺盛に僕の顔に視線を向けていた。
資料に目を戻すと、そこにはかつての僕の……サラリーマンらしいちょっとこわばった表情の写真が出ていた。
「山風亘平。所属『グンシン』公社。採掘坑よりマグマ陥入部に滑落、遺体不明。……髪の毛をわけろ、顔を確認する」
僕は左手で顔にかかった髪をできるだけ取り除いた。
「ずいぶんやせたな、右手はどうした」
「右手は脱出するときにはずれていらい、動かしづらい」
男はじろりと僕を見ると、
「医者を呼んでやる。治療は火星世代と同じものは期待するなよ。IDの医療記録には右手のことが書いていないから、バレたらまずい。医療記録のお前の遺伝子型は違うものだ。どうしても医者にかかることがあるなら十造(じゅうぞう)を通せ。おまえをさいしょにここに連れてきたあの男だ」
と言った。僕がうなずくと、ボスがこう言った。
「君の新しい名前は林恭介だ。だが私は君を『K』と呼ぼう。新しいIDを得たものは自分の新しい名前を必要以上に意識して態度が不自然になりやすい。それで……『K』、IDは君の持っている情報と引き換えだ。君の知っている『センター』の計画とはなんだ?」
「『センター』は開拓団地域を火星世代地域と統合しようとしています。その手始めが開拓団地域の電力不足を解消して、生活の格差を解消するというのが表向きですが……」
「他に何がある」
「『センター』は『犬』の増産もすさまじい勢いで進めています。電力は『犬』の駆動にも必要だ」
ボスはしばらく黙ると、机の上の箱をあけて葉巻型ネコカインの吸い口をかみ切った。斬三がタイミングよく火をつけ、しばらく全員が黙っていた。
ボスはしばらくしてフウっと煙を吐き出すと、
「戦争でも始めるつもりか」
と言った。
斬三がイライラした調子で部屋の中を歩きまわりはじめた。
「『センター』のやつ、何かを企んでやがると思ったら、とんでもないことを始めやがった。開拓団が火星世代に飲み込まれたら、俺たちギャング団はどうなる? 奴らの思惑はなんだ!」
とつぜん斬三は大声でそう言った。ボスはそれを憂鬱げなまなざしで見つめると、葉巻を消して僕の方を見た。僕はそれを自分の意見を求められているのだと思った。
僕は怜が言っていた『はじめの人たち』が本当の狙いだという話を慎重にさけながらこう言った。
「地球による支配を強めるためだと思う。でもあなた方が目的ではない」
「『センター』にとっては、我々など生かすも殺すも気分次第……といったところか」
ボスがそう言うのを聞いて、斬三は舌を打ちながら椅子を蹴った。(木製のをね!)
「だがそれは我々を見くびりすぎだな。『犬』の具体的な頭数はわかるか、『K』」
「僕が追われた時点ですでに3000の増産が決まっていました。そのために『グンシン』は『犬』の銃身に必要なイリジウムの増産を急いでいます。計画はマリネリス峡谷からはじまって、クリュセ、アマゾネス、そして高山は除きます。それぞれの都市圏の中心部からやるつもりでしょう。最後にカセイ峡谷だ」
斬三は舌打ちしながらまた歩き回った。
「こっちは銃弾にさえ事欠いているってのに」
ボスは静かに言った。
「落ち着け斬三、奴らが仕掛けてくるにしてもまだ先の話だ。それにまだ増産するつもりとなると……」
ボスは僕をじっと見た。
「知っていることはこれで全部か、『K』」
僕は答えた。
「僕が言えることはこれが全部です」
「言えることは、か。いいか、『K』。君はとても正直な人間だ。だから私は君を信用する。しかし、正直な人間は『センター』につかまる前に始末せねばならん。私たちのことも正直に言ってしまうからな」
僕は身構えた。ボスは首を振った。
「我々はいつだって名誉を重んじる。君は出せるものを出し、これ以上は命を引き換えにしても口を割らんだろう。それならばそれでいい。IDのための金は自分で持っておきたまえ、どうせその状況では大した金を持ち出すことはできなかったろう」
僕はボスの意図していることが分からずにそこにただつっ立っていた。斬三はまったくの無表情で僕を見ており、ボスは意地悪げもなく、にやりと笑った。
「君は私との約束を忘れていないだろうな、恩人との約束を」
つまり、僕にはいつかイヤとは言えない『お願い』が下される、ということだった。僕は静かにうなずいた。
それから僕は十造と言う樽腹の男が監視役について、ここに流れ着いた、というわけさ……。そうだね、君にはまだ『ここ』がどこか知らせていなかった。
『ここ』はほとんど地上だ。農業用ドームだからね。太陽の光は地球よりも弱いから、四方から照明がこうこうと照っている。それはまぶしくて容赦がないぐらいだ。
居住区は農場のすぐ地下にある。このあいだ言ったように、せまくるしい鉄の錆びた壁に囲まれて、いい暮らしとはとても言えない。それでも食堂でありつく食事は悪くない。農場で育てた新鮮な植物を口にできるからだ。
僕はいま開拓団地域のはずれにある、農場の下働きをしている。IDの記録ではこうだ。僕(つまりギャングからもらったIDによれば林恭介という男)は、オリンポス山のふもとのユリシーズ地溝帯の開拓団村で生まれて、出稼ぎ労働者としてこの農場に来ている。どうやら故郷には妻がいるらしいんだが、もしかしたらギャングに始末された人間のIDを渡されているのかもしれない。いくら信用されていても、これについて深くは聞かないようにしている。
誰にも亘平だとわからないように、いまだ髪は伸ばしっぱなしだし、髭もそれほど剃らない。むさくるしい格好だけれど、ここではむしろそっちの方が目立たないんだ。なぜならここにはそんな出稼ぎ連中ばかりがそろっているからね。
IDの遺伝子情報と、ホログラムだけは僕のものと合成されている。つまり、簡単な輸血は受けられても、iPS点滴なんかは受けられないわけだ。
僕の右手はギャングの連れてきた手荒な医者の『骨接ぎ』で多少はマシになったけれど、まだ薬指は動きにくい。それでも仕事に支障はないよ。
農場での仕事はほとんど肉体労働だ。生命にかかわる仕事は『開拓団』の人々だという話をしたよね。農場もその一つだ。農場の仕事にも階級があって、僕の所属しているのは下の下の方だ。
どういう意味かって?
僕の農場では食用の多肉植物を育てているんだけど(水が少なくて済むからね)、栄養価を高めるために肥料が必要だ。けれど、火星には植物に必要な窒素がほとんどない。
それで……火星は高度にリサイクルしているという話はしたよね……。僕は汚水から取り出された『窒素』を畑に供給しているわけだけど……。
まあ地球のように窒素肥料工場があるわけじゃない。僕のやっていることはもっと原始的だ。まず汚水をためてあるタンクがあって(ああ、わかってるよ、君たちの時代はそれを肥だめと言ったんだろう? それとも、もしかしたら火星の方が原始的なのかな……)、それを水分と汚泥に分ける。
そのままだと塩分が強いから、アイスプラントという塩を取り出す多肉植物を植えてから、塩を抜き取って残りを食用サボテンやグラパラリーフに回すわけだ。
まあ僕がやっているのはとにかくひたすら肥料を畑にまいて、育てて、それから収穫することだけだけどね。
給料は『グンシン』に比べればスズメの涙だ。かといって、住むところと食べ物を抑えられてしまっているから、抜け出す道がない。そうだね、奴隷労働と言ったら言い過ぎかもしれない。せめて週に一度は休みがあって、それを僕はジーナを探す時間にあてていた。だけど、やがて一日だけでは何もできないということが分かってきた。
だって顔を合わせるのはいつもの労働者の面子ばかりだ。かわりばえのないあいさつ、かわりばえのないグチ、奴らも出かけることすらないから話題もかわりばえがないというわけさ。
農場では息を合わせる仕事も多かったので、班のメンバーが決まっていた。僕の配属された班は五人で、一人のマネジャーと四人の下っぱがセットだった。マネジャーの男はまるで四角い箱で型をとったみたいに顔から体つきまでどこもかしこも角ばっていて、どこで手に入れたのかことあるごとに金歯を見せて豪快に笑う男だった。
一人は樽腹の男の手下で、仕事が合わないのか体も僕以上にやせ、いつも青白い顔で具合が悪そうにしていた。僕の監視の役もやっていたから、もしかしたらジャンキーなのかもしれなかった。残りの一人はとてもおとなしく、一人はひどくプライドが高かった。下っぱの四人は僕を含めて全員同じ時期にこの農場にやとわれていた。まあ三人は別の農場から流れてきたようだったけどね。
それでも故郷の話はそれぞれで面白かったよ。それぞれの家族の話を聞いていると、僕もなんとなくその家族の一員になったつもりで楽しめた。だけど、宿舎に戻ってくれば暗い部屋に一人だ。
自分の正体がばれる危険性を考えればビジネスリングは捨てたほうが良かったけれど、どうしてもそうすることはできなかった。この送信機とビジネスリング。これだけがかつての山風亘平につながるものだ。
通風孔で寝泊まりしていたときはあまり夢も見なかったけれど、人間、面白いもので寝床で眠れるようになったら夢を見るようになった。たいていがとりとめもない夢だったけど、おきがけにジーナが喉を鳴らしているような気がして、それが錆びついた水道管が震えているだけだったりしたときは、さすがにこたえるよね……。
僕はやがて、農場労働者にはどこにいるか分からない自分の家族を探す時間なんてないんだってことに気が付いた。そうなると、働いている時間をなんとかしなければならない。それで僕は、一計を案じた。農場で働きながら、あるていど自由に活動できる立ち位置を手に入れるためだ。
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ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
グンシン:亘平の勤めていた地下資源採掘会社。火星の歴史資料庫をもっている。
怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。
センター:支配者である猫が管理する組織。
オテロウ:『センター』からグンシンに来ている猫。亘平を警戒して犬を放った。
犬:『センター』が治安管理のために所有する四つ足ロボットの総称。
珠々(すず)さん:有能なオテロウの秘書。グンシン取締役の娘。亘平に思いを寄せる。
山風明日香(やまかぜあすか):亘平の母。『センター』により犯罪者として処分された。
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