ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。
センター:支配者である猫が管理する組織。
僕は思わず眉をしかめてこう聞いた。
「わからないな、僕が右藤さんを殴れば、右藤さんの僕への怒りがおさまるのかい?」
佐田はますますニヤニヤしてこう言った。そして興味深そうに僕をもういちど眺めまわした。
「俺たちと話をつけたいときは、俺たちの言葉を使ってもらわなくちゃあねえ」
何が面白いかは分からなかったけれど、僕は佐田さんがウソを言っているとは思わなかった。ウソを言っている人間が笑いを浮かべながらも、こんなに真剣に僕を眺めまわしているとも考えづらかったからだ。(でもその真剣さのどうしようもない理由はあとでわかったんだけどね)
「あんたが本気で右藤とやるなら、殴り方ぐらい手ほどきしてやるぜ」
佐田さんがそういうので、気乗りは全くしなかったけれど僕はうなずくしかなかった。他に案はなかったし、右藤さんが僕を嫌ったままでは計画は進まなかったからだ。そして、佐田さんが僕に教えてくれたのはケンカの仕方と言うよりはむしろ逃げ回り方というか、距離の取り方だった。基本的な打ち方だけは教わったけれど、どうにも様にならなかったのは認めるしかない。
とにかくがっしりとした体つきの右藤さんと取っ組みあったらそれで終わりなわけだから、僕に残されていたのはリーチの長さだけだった。
僕はすぐにでもさっさとこの殴り合いと言う名の『話』をつけたかったけれど、佐田さんはそれを押しとどめた。やがて宿舎を歩くとだれかれとなく僕をじろじろと見つめ、ときには愛想よく挨拶をよこすようになった。佐田さんはそれを聞いて、
「ケンカは勢いってのもあるんでさ、ヤジがこっちに有利なら相手もひるむもんでね」
と言って笑った。なぜ佐田さんが僕に急に親切にしてくれるか分からなかったけれど、もしかしたら僕の熱心さで情がわいたのかもしれないと思って、ありがたくその親切を受けることにした。
二週間ほど佐田さんは僕にそうやって簡単な『てほどき』とやらをすると、僕にこう言った。
「あした、食堂で俺が口火を切るから、おまえさんはそれにのって相手にケンカをふっかければいい」
まあ、そう言われても相手を殴るどころか、殴られる予感しかしない僕はただ気が重くなっただけだけどね。なんどもなんども頭の中で相手の動きをくりかえして、ともかく冷静に、距離をとって、殴られるにしても至近距離でパンチを受けることだけは避けようと考えていた。
だけど翌日、僕が経験したのは予想外のことばかりだったよ。彼らのコミュニケーションは、じっさいに相手に体当たりをしてみて、本音を隠させないってことなんだ。僕はあの日、それこそ文字通りそれを体に叩き込まれたわけだ。
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