こちらは第十六話~第二十話までの『一週間まとめ読み』となります。
僕の持ち場は専用のトラクターでまかれた肥料を土と混ぜ、少量の水をあげる『すき込み』というものだ。広大な畑を、一日ずつ場所を変えながら作業していく。畑を耕すのや、収穫は機械がやるから、実は『すき込み』がいちばん体力のいる作業だ。つまり、農場の新入りが任される場所というわけだね。
一方で肥料をまくトラクターは、すき込みよりだいぶ楽で、経験を積んだ人間が担当する仕事だった。結果的に、その農場のしたっぱマネジャーがやることになる。
うちの班では金歯の男だよね。男の名前は右藤(うどう)という。計画ではこの男の協力がどうしても必要だったんだけど、問題が一つあった。右藤さんは僕を毛嫌いしていたんだ。
理由は簡単だった。自分のふるさとの話をしていたときに、自分たちの女房の話になって、どこで出会ったかという話題になった。僕は何の気なしに、大学で出会った(というかIDの中にしかいない自分の配偶者の話だからその場でとっさにそう言ったんだけどね)、と言ってしまったんだ。男はそれから僕を生意気な奴だと決めたようだった。
なにかというときつい仕事をあてがって、食事のときになればあからさまに僕のぼろぼろの姿を話にあげ、辛気くさいと言い出す。
ところが、右藤さんの協力が計画にはどうしても必要だと来たわけだ。それで僕は僕の監視役の十造の手下(佐田という男だけどね)にこう聞いた。さすがギャングのツテで、宿舎まで隣に配置されていたから、話しかける機会はいくらでもあった。
「右藤さんはずいぶん僕のことを嫌ってるが、どうすれば怒りがおさまるんだろうね」
佐田はいつものようにネコカインかなにか分からないものをふかしながら、僕をいんけんな目で上から下まで見回した。
「ああいう手合いはあんたがたとえ土下座したって喜ぶばっかりで、許す気はないんでさあね」
そう言いながら佐田はかわいた笑いをもらした。僕はこの男もきっと僕のことを良く思っていないのだな、と直感した。
それでも僕は引き下がるわけにいかなかった。このままではジーナを探すこともできないまま、農場で人生が過ぎてしまう。農場で金をかせいだところで、僕には金を使うあても、金を送ってやる家族もない。
「何かいい案はないかな」
と僕が食い下がると、佐田は口の端にタバコをくわえたまま、
「ああいう手合いにはこれだね」
と右ストレートを打ち出す仕草をして笑いを浮かべ、こう言った。
「まあ、あんたはノされるのがせいぜいだろうが[F1] 」
僕は思わず眉をしかめてこう聞いた。
「わからないな、僕が右藤さんを殴れば、右藤さんの僕への怒りがおさまるのかい?」
佐田はますますニヤニヤしてこう言った。そして興味深そうに僕をもういちど眺めまわした。
「俺たちと話をつけたいときは、俺たちの言葉を使ってもらわなくちゃあねえ」
何が面白いかは分からなかったけれど、僕は佐田さんがウソを言っているとは思わなかった。ウソを言っている人間が笑いを浮かべながらも、こんなに真剣に僕を眺めまわしているとも考えづらかったからだ。(でもその真剣さのどうしようもない理由はあとでわかったんだけどね)
「あんたが本気で右藤とやるなら、殴り方ぐらい手ほどきしてやるぜ」
佐田さんがそういうので、気乗りは全くしなかったけれど僕はうなずくしかなかった。他に案はなかったし、右藤さんが僕を嫌ったままでは計画は進まなかったからだ。そして、佐田さんが僕に教えてくれたのはケンカの仕方と言うよりはむしろ逃げ回り方というか、距離の取り方だった。基本的な打ち方だけは教わったけれど、どうにも様にならなかったのは認めるしかない。
とにかくがっしりとした体つきの右藤さんと取っ組みあったらそれで終わりなわけだから、僕に残されていたのはリーチの長さだけだった。
僕はすぐにでもさっさとこの殴り合いと言う名の『話』をつけたかったけれど、佐田さんはそれを押しとどめた。やがて宿舎を歩くとだれかれとなく僕をじろじろと見つめ、ときには愛想よく挨拶をよこすようになった。佐田さんはそれを聞いて、
「ケンカは勢いってのもあるんでさ、ヤジがこっちに有利なら相手もひるむもんでね」
と言って笑った。なぜ佐田さんが僕に急に親切にしてくれるか分からなかったけれど、もしかしたら僕の熱心さで情がわいたのかもしれないと思って、ありがたくその親切を受けることにした。
二週間ほど佐田さんは僕にそうやって簡単な『てほどき』とやらをすると、僕にこう言った。
「あした、食堂で俺が口火を切るから、おまえさんはそれにのって相手にケンカをふっかければいい」
まあ、そう言われても相手を殴るどころか、殴られる予感しかしない僕はただ気が重くなっただけだけどね。なんどもなんども頭の中で相手の動きをくりかえして、ともかく冷静に、距離をとって、殴られるにしても至近距離でパンチを受けることだけは避けようと考えていた。
だけど翌日、僕が経験したのは予想外のことばかりだったよ。彼らのコミュニケーションは、じっさいに相手に体当たりをしてみて、本音を隠させないってことなんだ。僕はあの日、それこそ文字通りそれを体に叩き込まれたわけだ[F2] 。
労働者にとって畑仕事が終わったあとの夕食は、唯一の憩いの時間だ。作業の合間に書き込む昼食と違って、ようやく席について腹を満たすことができる。ところがだからこその問題があって、食事を配る列はいつもいらだっているわけだ。
佐田さんは、そのときをねらったかのように右藤さんを横目に僕に話しかけた。
「ここのメシはマズかないが、家に比べりゃ物足りねえな。おまえの家はどうだ」
「ここので上等ですよ」
僕がそう答えると、右藤さんはまた吐き捨てるように
「インテリ女房はメシも作らねえだろう」
と嫌味を言った。佐田さんはへっへ、と笑うと、さらに僕にこう言った。
「それならきっと美人なんだろう。なんかいいところが無くっちゃあなあ。いったいどこに惚れたんだよ、あんた」
この質問に、僕はほとほと困った。そもそも佐田さんは僕のIDが偽物であることを知っているはずなのに、なんでこんな質問をするのだろう、とも思った。
「ええ、まあ……どこに惚れた……」
「一目ぼれか。それとも女房があんたにぞっこんか」
それを聞いてプライドの高い北上(きたがみ)さんがボソボソとこう言った。
「この男が女に惚れられるご面相かよ。髭すら剃りゃしない、頭はいつも洗いざらしときたもんだ。女房だっていまごろ逃げてるか知らんぜ」
佐田さんはへへへ、とまた笑うと、しつこく僕にこう聞いた。
「まあまあ、あんただって女房のいいところの一つも言えないようじゃ、女房がかわいそうじゃないか。どこに惚れたんだよ」
僕はもう答えようがないまま、なんとく胸に浮かんだ言葉を口に出した。
「目のきれいな……うそのない人です」
班でいちばんおとなしい南波(なんば)さんがようやく渡された野菜スープをトレーにのせると、僕をちらっと見た。
佐田さんもスープを自分のトレーに乗せてこう言った。
「ふうん、どう思います右藤さん。目のきれいなうそのない女房だそうですよ。さらに頭がいいと来てる。あんたもなかなかやるじゃないか」
右藤さんはスープの横にさらに肉用の大きな皿を置きながら、
「さあどうだかな」
と言った。それから感情のない目で僕を眺めると、こう続けた。
「こんな男を選ぶ女なんだから、ろくな女じゃねぇよ。目がきれい? うそがない? そんなこと思うのはてめぇばっかりで、女房がまともなら今ごろてめぇよりいい男とねんごろになってら。聞いてみろ、いまいい仲の男はいるかってね。正直にてめぇより好きな男がいますって言うかもしれねぇぜ、知らぬは亭主ばかりなり!」
それを聞いて、僕の心が急激にざわめき立った。佐田さんの罠にはまった、と気づいたときはもう遅かった。僕は怜の目を思い出してついそう言ってしまったんだ。
僕はまっすぐ右藤さんをにらんでいた。
「なんでえ、目つきの悪いやつだなバカヤロウ」
僕の顔つきを見た右藤さんは少し面食らったようにぼやいた。だけど、僕は右藤さんから視線を外さなかった。視界の外で佐田さんのヘヘッ、という笑い声が聞こえ、それが右藤さんを刺激したのか、右藤さんはいきなり胸を張って僕を押した。
「その目は何だって言ってんだろうが!」
「おうい、ケンカだぞ!」
誰かの嬉しそうな声が響いた。右藤さんはトレーを僕に投げつけ、僕は熱いスープを頭から浴びた。僕は頭に来ていたから、自分のトレーの上にころがった右藤さんの器を右藤さんに投げつけた。
いっしゅんの沈黙が流れて、それが殴り合いの開始の合図になった。右藤さんはまるで体を黒い山のように怒らせて僕に近づいてくる。横倒しの一人乗りトラクターを起こせるぐらいの筋力の持ち主だから、捕まったらひとたまりもない。
「右藤、右だ右!」
「逃げろ『K』、右藤は腹を狙ってくるぞ!」
「頼むぞ右藤、そのヤセヒョロインテリをのしちまえ!」
外野が生き生きとしてヤジを飛ばして来るのとは対照的に、僕と右藤さんはものすごい形相でにらみ合っていた。二人とも頭に血が上っていて、作戦もへったくれもない。
僕が届く範囲になるとこぶしが宙を飛んでくる。僕はそれをなんとかして避けて、後ろに回り込んだ。
佐田さんがジェスチャーで後ろから押せと指示を送る。僕は前のめりになった右藤さんに後ろからタックルをかけるつもりで肩から突っ込んだけど、
「そこだ、『K!』 やっちまえ!」
と時ならぬ応援のせいで右藤さんがくびすを返し、僕はふりかえった右藤さんの腹に突っ込んでいく羽目になった。
右藤さんが僕の肩をむんずとつかんで、いきおい押し返した結果、いちばん避けたかった組み手の形になってしまった。右藤さんは人間トラクターのごとく僕を押しまくり、僕は踏ん張る足ごと後ろに後退させられた。
やがて僕はテーブルに追い詰められ、そのまま右藤さんが腕をひきこんで僕を背に乗せるように放り投げた。
ところがこのケンカの本当の誤算はここからだった。投げられた僕は食事を配る寸胴鍋の並んだところに突っ込んだ。夕食のメインは見事に床にぶちまけられ、重ねられた食器が大きな音を立ててそこら中にちらばった。
そして間の悪いことにそこには、農場でいちばんの大男が並んでいた……。つまり大男のメインディッシュは目の前で床を舐め、おまけにその横には僕がノビていたわけさ。
食事の直前はみんなイライラしているものだけれど、大男の怒りはすさまじかった。と言っても、大男の怒りが向かったのはノビてる僕じゃなくて、右藤さんにだけれどね。僕がようやく身を起こすと、男はおおおおお、と野太いうなり声をあげながら右藤さんに向かって行っている。そこへ誰かが止めに入るけれど、男の勢いで跳ね飛ばされる、右藤さんはまるで僕と立場が入れ替わって逃げ回るから、当然巻き込まれる奴らも出てくる。
僕は愉快になって僕から離れた騒動を数秒眺めていたけれど、やがて騒ぎはあっという間にこっちに跳ね返ってきた。あわてて周りをみると、どこもかしこもどつきあいだ。
右藤さんが逃げたとみるや大男は誰彼かまわずなぐりかかり、食事の席についていた班にまで被害は及んだ。見かねた農場の見張り役たちが間に入ろうとしたけれど、気の立った労働者たちがそれでおさまるはずがない。見張り役はあっという間に引きずり込まれ、もみくちゃにされていた。
要するに食堂はいつの間にか大乱闘になっていた。もう誰一人としてどいつを殴って、どいつに殴られたか覚えちゃいない。
そこかしこであがるののしり合いの中で食器は宙を飛び、そこら中に食べ物が飛び散った。大きな農場の労働者たち、全員分の食事だからね。それはひどいものだった。
やがて農場主まで姿をあらわしたけれど、そのことに気が付いたのは、当の農場主が巻き込まれたあとだった。
「だれか、この騒ぎをなんとかしろ! わしは農場主だぞ!」
そのときには僕はなんとか佐田さんと落ち合って、食堂の端のテーブルの下にたどり着いていた。
「どうします、これ」
「どうするったって、どうしようもねえよ」
佐田さんは頬の傷を確かめながら愉快そうに言った。僕はとりあえず全員をシャットダウンするアイディアを思いついて、佐田さんに耳打ちした。佐田さんはうなずくと僕にライターをくれたので、僕は全速力で配管のある壁まで走り、よじ登ると、ライターで火災センサーを作動させた。
それからは大音量の警報と、それから農場主の叫びもむなしく降り注いだ『恵みの雨』のおかげで、食堂のケンカはひとまず収まったというわけさ。
まあ、そのあとは農場主が聞き取りをして、僕たちの班が首謀者ということになった。右藤さんはじめ班の人間は聞き取りのためにおんなじ狭い一部屋に閉じ込められて、その日はベッドも何もない場所で毛布一枚渡されて寝るしかなかったよね。
そのときほど、体中は痛いわ、腹は減ったわで苦しかったことはなかった。部屋は(たぶん僕たちが暴れないように)夜じゅう明かりがついていたけど、その日も停電があって、数時間は暗くなった。
その暗い中、右藤さんが唐突に笑い出したので、部屋にいた人間はなんとなくつられて笑ってしまった。ひとしきり笑うと、誰ともなくいびきをかきはじめ、僕もいつの間にか眠っていたよ。
そして次の日には、そうだ、佐田さんの言う通り右藤さんは僕をもう目の敵にしなくなっていた。
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BGMはプロ野球珍プレー好プレーでお願いしたい。
ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
グンシン:亘平の勤めていた地下資源採掘会社。火星の歴史資料庫をもっている。
怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。
センター:支配者である猫が管理する組織。
オテロウ:『センター』からグンシンに来ている猫。亘平を警戒して犬を放った。
犬:『センター』が治安管理のために所有する四つ足ロボットの総称。
珠々(すず)さん:有能なオテロウの秘書。グンシン取締役の娘。亘平に思いを寄せる。
山風明日香(やまかぜあすか):亘平の母。『センター』により犯罪者として処分された。
右藤(うどう):農場の肥料すきこみ班長
佐田(さた):ギャングの亘平の監視役。同じ班。
北上(きたがみ)・南波(なんば):同じ班の労働者
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