ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。
センター:支配者である猫が管理する組織。
右藤(うどう):農場の肥料すきこみ班長
佐田(さた):ギャングの亘平の監視役。同じ班。
北川(きたがわ)・南波(なんば):同じ班の労働者
それに対して、佐田さんがすかさずこう言った。
「それならお前さんも『女房どの』の消息をさっさと確かめたらいいじゃないか。ええ、惚れてるんだろ、『女房どの』にさ」
それを聞いて僕はうなるしかなかった。凛々子さんは北川さんの本意を確かめるのが怖いのだ。まあ僕は怜の気持ちを確かめる必要すらなくフラれてはいたけどね。
「僕の探しているのは家族であって、女房じゃありません」
僕はそういうのが背いっぱいだった。佐田さんはふーん、とうなずくと、さらにこう言った。
「お嬢さんがここにあんたに会いに来るって言うのは、どっちにしろあんたにはいいことじゃないぜ」
と言った。凛々子さんはそれを聞いて佐田さんを恨めしそうに睨んだ。
「お嬢さん、あんた、この人をどうやって利用するつもりです? 今回ばかりは俺の方の仕事の邪魔ですぜ」
「北川のことはあきらめて『K』さんにするって言うわ。そしたら北川は助かるでしょ。斬三兄さんだって『K』さんは殺せないわ」
その『斬三兄さん』と言う言葉を聞いて、僕は思わずあっと声を上げるしかなかった。
「『鉄のバケツ団』の! 斬三さんの!」
道理で見たことがあるはずだった。凛々子さんは次のボスだと言っていた、『斬三』さんの妹だったわけだ。鼻から顎にかけてなんか本当にそっくりだった。それでもなぜ凛々子さんが僕を追いかけまわすのか、余計に状況が分からなくなったけれど、僕はビアクルを出す時間が来て焦りながら言った。
「ともかく降りてください、佐田さん、もしなんなら僕がぜんぶやりますから、北川さんの奥さんと一緒に降りてくれても大丈夫です」
佐田さんはあきれながらこう言った。
「あんたボスの娘が後ろに乗ってて、考えるのは野菜の配達だけかい。ビアクルを出せよ。このお嬢さんは素直に言う事なんか聞きゃしないぜ」
「そうですか、それなら出しますよ」
そう言うと、僕はビアクルを出発させた。農場ではここのところの頻繁な停電のせいで、ビアクルに使える電力も限られていた。凛々子さんも載せていることを考えると、最短距離でいかなければならない。
僕は距離を短く、かつなるべく裏道を通るルートを選択して走りはじめた。
「それで、僕はどうして北川さんの奥さんに追い掛け回されなきゃいけないんです?」
「私と北川は父に認められていないので」
「それで、僕に乗り換えたって言えばすんなりボスが信じるんですか! とてもそれは信じられない」
佐田さんがそれを聞いて愉快そうに答えた。
「それが、お嬢さんはあの男に会うまではそれはそれはとっかえひっかえだったのさ。むしろ自然だよ、なあお嬢さん」
凛々子さんは悔しそうにこう言った。
「北川の気を引くためよ 」
そう言うと、凛々子さんはあからさまに膨れた。僕はちょっとだけ、もしジーナが人間の女の子だったなら、きっとこんな風に分かりやすかったろうな、と思った。それにしても、ちょっと子供を卒業したような女の子と、北川さんが夫婦というのはあまりにも不自然なように思えた。
「……失礼ですが、北川さんとはずいぶん年が離れているように見えますが……」
凛々子さんはいきなり
「そんなことないわ!」
と早口にまくしたて始めた。
「わたし、わがままですし、顔立ちも幼く見えますが二十五になります。北川は十上だけど、そんなのいくらでもいるでしょう? 二百歳生きるうちの十年よ。それに、北川からアプローチされたことなんか一度もないわ。あのひと、いつだって何も言わないのよ」
それを聞いて佐田さんが誰に言うともなくこう呟いた。
「なんだ、北川は三十五なのか。斬三の若頭がそれぐらいだからそりゃそうか」
確かに北川さんはそれよりもだいぶ年のように見えた。僕はちょっと興奮気味の凛々子さんに聞くより、佐田さんに聞いたほうが早いと判断してこう聞いた。
「僕も巻き込まれたいじょう、状況を把握しておきたいんですが、凛々子さんと北川さんはどういうご関係なんですか、佐田さん」
「自分から首を突っ込むと抜けられなくなるぜ、『K』」
佐田さんの警告もむなしく、凛々子さんはどうやら僕の助太刀を求めて状況を話し始めた。
「北川は父に拾われた男です。『鉄のバケツ』団と他のギャングの抗争に巻き込まれて死んだ人の子供でした。私と斬三兄さんと北川はあの屋敷で、ちいさいころから一緒に育ちました。念のため、もういちど言いますけど、北川はわたしに自分から言い寄ってきたことはありません。
……でもあの人、ほら、けっこう顔がいいでしょう……? だから、わたしのまわりではとても人気があったの。学校では優等生で通っていたのよ。父に追い出されるまでは、兄の片腕になるはずの人だったのよ……。
それから、いまあんなに仏頂面ですけど、昔はほんとに兄と一緒にころげまわって遊んでました。子猫みたいに! だから、あの人が追い出されて、農場なんかに行かされたのは、ぜんぶ私のせいだわ……」
凛々子さんは北川さんのことになると話が止まらないようだった。佐田さんが否定もせずに聞いているところを見ると、ぜんぶ本当のことなのだろう。それにしても、凛々子さんが一方的に片思いしていたなら、あのボスが北川さんを追い出すとは考えにくい。
それに、なぜ二人が夫婦なのかもわからない。
「それでね、……『K』さん!」
ぼんやり考えごとをしているところにとつぜん大声で自分の名前を呼ばれて、僕は思わず運転をあやまるところだった。(まあ半自動だから問題はないんだけどね)
「あなたがあの屋敷の部屋で気を失っていたとき、誰が料理なんかを運んだかわかります……?」
「……いいえ」
「私です! だからあなたは、私にはちょっとは恩があるはずよ」
僕はそんな無茶苦茶な、と思いながら必死の凛々子さんにこう言った。
「それは本当に感謝しています。……だけど、なんども言いますが、僕は巻き込まれるのはごめんです。僕には探すべき家族がいます。そのために命を危険にしてまで『鉄のバケツ』団のところへ行ったんですから」
「いいわ、もし頼みを聞いてくれるなら、あなたの欲しい情報を手に入れるのに、私も全力で手伝います。ほんとになんだってするわ」
凛々子さんの目は真剣だった。佐田さんはあきれ顔でビアクルの天井を見ていて、僕は僕で言葉に窮していた。だけど、ジーナにつながる情報は確かにどこからも聞こえてこない。僕にとって、あの火事騒ぎと関係があるかもしれないギャング団の情報は、喉から手が出るぐらいほしいものだった。
「いったい、あなたの頼みっていうのは何なんですか?」
僕がそう言うと、凛々子さんは
「私とあの屋敷にいちど戻ってほしいんです。あなたはただ黙っていればいいわ。何か聞かれたときには、話はぜんぶ私がします。それで、農場に私が自由に来られるようになったら、なんとか北川との時間をください。あなたにはぜったい迷惑をかけないようにします」
と言ってから、最後にこう聞いた。
「それで、『K』さんのご家族についてもお話してもらえますか」
僕はしばらく何を言うべきか迷って、黙った。真実を話さずに、凛々子さんに納得してもらうには、どんな伝え方をするべきか……。凛々子さんはその沈黙を誤解したのか、佐田さんを見てこう言った。
「佐田さんは大丈夫ですよ、この人が誰かの秘密について口を割ったって聞いたことがないもの」
佐田さんは頭の後ろで組んでいた腕をのばして反論した。
「俺はこの秘密について誰にも話さない、とは言ってないぜ。お嬢さん、こんどはほんとに仕事の邪魔ですぜ、ほんとに……」
僕は二人のやりとりを聞きながら、ゆっくりと口を開いた。
「血はつながっていませんが……いちばん近いのは、そうだな、うまい言葉がありません。口うるさい女兄弟のようでもあり、わがままな娘のようでもあり、僕は……彼女がいなければ、自分が孤独だとすら気が付かなかった。そういう存在です。僕はあなたのお父さん、ボスにすら誰かを伝えていません。あなたにも、佐田さんにも伝えません。ただ、僕はあの開拓団の街であった火事の情報が欲しい。それだけです」
佐田さんは口を開きかけて、また閉じた。たぶん、僕に何かを聞いてもそれ以上言わないと分かったのだろう。凛々子さんはこう言った。
「なんだっていいわ。私もあなたも他に方法がないことは確かだもの。あなたは娘さんと、それから私は北川と幸せにくらす方法を何としても見つけ出す。私もそれだけよ」
凛々子さんのその決意に満ちた口調に、僕は少し感動した。そうしたら、佐田さんがまるで僕の心をそのまま代弁するようにこうつぶやいた。
「強いなあ、女ってのは……」
凛々子さんが僕をあの屋敷に招き入れたことで起きた変化は大きかった。僕は縁を切ったはずのギャング団にまた取り込まれるのじゃないかと心配していたけれど、それは起きなかった。なぜなら、まさに北川さんと凛々子さんが反対された理由がそれだったからだ。
凛々子さんがボスの前に僕を連れて行ったとき、ボスは反対しなかったどころか、僕を丁重に扱った。
僕はむしろIDを求めてここに初めて来た時より、冷や汗をかいていたけどね。僕は凛々子さんの隣で、言われた通りただ黙っていた。凛々子さんはこう言った。
「北川のことはともかく、わたし今は『K』さんとのことを考えはじめています。宋おじさんに聞いたら、農場の生産調整だって『K』さんに任せてるって言ってましたわ」
そして凛々子さんは、いままで見たことのない冷たい表情でこう言った。
「それに、しばらく北川を追いかけてみて分かりました、あのひと、ほんとにつまらないわ。いつも誰かの言うなりですもの、斬三兄さんだったり、私だったり」
そしてこうつけ加えた。
「ですから、将来のことも考えて、もう『K』さんをここの仲間にしようなどと考えないでほしいの」
それを聞いて、ボスは拍子抜けするほどあっさりと首を縦に振った。
「お前はまだ若い。やり直しはいくらでもきくだろう。そしてもはや『K』は我々とはかかわりのない人間だ。北川を忘れるならそれが何よりだ」
そう言うと、ボスは手で僕と凛々子さんを招いた。そして右腕で凛々子さん、左腕で僕を抱擁すると、僕たちを祝福した。(この時ばかりは僕の陰気なのびきった髪に感謝したよね!)
つまり、ボスは娘をほんとうはギャングに嫁がせたくなかったのさ!
ましてや北川さんは斬三さんの弟分で、ギャングの中心にいた人だ。たぶん、娘に危険な場所にいてほしくなかったんだろう。そしてあまりにあっさり凛々子さんの計画が成功した裏には、どうやら僕が鳴子さんのお気に入りだということも関係していたらしかった。
宿舎では、僕と北川さんで話し合いが行われた。僕は北川さんに凛々子さんの計画をすべて話した。僕は北川さんに単刀直入に凛々子さんへの気持ちを尋ねたけれど、北川さんはあいまいにはぐらかすばかりだった。(ちょっと凛々子さんが可哀そうになったよね)
凛々子さんは僕の素性に気が付いていたけれど、北川さんはそうじゃない。凛々子さんも一応、ギャングの娘らしく口は堅いらしかった。北川さんは僕がオリンポス山のふもとからきた出稼ぎ労働者だと信じて疑っていなかった。
僕もどこまで話していいのか分からなかったから、それ以上は北川さんの考えを確かめられなかった。
「凛々子が君がいいならそれでいい」
といつでも北川さんは一つ覚えのように言った。僕は五回目にそれを聞いたとき、すんでのところで北川さんに怒りをぶつけるところだった。
「いいですか、北川さん。凛々子さんは北川さんが好きなんです。僕は……詳しくは言えませんが、凛々子さんにいわば人質を取られているんです」
北川さんはそれを聞いて、力なく笑った。僕にはどうして北川さんが(どうみても心の中では)愛している女性にたいしてこうも消極的になるのかまったく分からなかった。
もしも怜が僕を愛してくれるなら、僕はたぶんなんでもするだろう。けれど北川さんは、凛々子さんの気持ちを知っているはずなのに、そして自分も凛々子さんを愛しているはずなのに、一歩を踏み出せないでいるんだ。
そしてこの凛々子さんの登場は、停電続きの農場にちょっとした話題を提供した。もちろん、凛々子さんが誰の妻かというのはみんなは知らない。ただ、ギャングらしい古風なドレスを着た(しかもとても若く見える女性が)僕をしょっちゅう訪ねてくるという事実が人々の耳目を集めた。
やがてその噂には尾ひれがついて、どうやら僕が出稼ぎのあいだにギャングの男に妻をとられた腹いせに、ギャングの女に手を出した、ということになったらしい。
それを言いに来たときの佐田さんの笑いっぷりったらなかったよ。僕は火星リスのように逃げ回ってなんとか暮らしている男なのに、宿舎ではどうやら虎のように勇敢な男だということになったそうで、佐田さんは面白がって僕をさらに強く見せる嘘八百をながして楽しんだんだそうだ。
もうそれから二三日はしょうじき言って眠れなかったよね。大男にケンカを吹っ掛けられてのされる夢をなんども見たよ。
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