ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
グンシン:亘平の勤めていた地下資源採掘会社。火星の歴史資料庫をもっている。
センター:支配者である猫が管理する組織。
犬:『センター』が治安管理のために所有する四つ足ロボットの総称。
「君の望みはなんだ、客人よ」
ボスは膝の上の震えるかたまりを撫でながら言った。ジーナにしては小さすぎる、僕はとっさにそう思った。でもなぜここに猫がいて、それを隠しもしていないのだろう。
そう思った瞬間、僕はここに来たことの意味を悟った。隠していないのではなく、最初から奴らがここから僕を出すつもりがないのだとしたら。……僕はもう死んだも同然だ。
ボスは壮年の男で、威厳があった。この男の前ではどんな問題も小さく見えるだろう。僕はゆっくりと言った。
「IDが欲しいんです」
ボスはそばにいた一人に耳打ちすると、そばにいた一人がビジネスリングからボスの手元に何かを映した。
「去年からの開拓団地域で行方の知れない人間は二十五人だ。芦田、棚橋、趙、ムタリカ……」
彼は顔も上げずにゆっくりと全員の名前を読み上げた。そして最後にゆっくりと顔をあげると、僕の顔をじっと見つめた。
「この中に君の名前はあるか……?」
僕はだまって首を振った。自分から火星世代だと言い出すのがいいことか悪いことかは判断がつかなかった。
「IDの偽造は中でも危険な仕事だ。はっきり言おう、君はここで新しい人間となって出ていくか、それとも……」
「死体になるかですね」
僕は短くそういった。猫が膝の上でじゃれていた。ボスは言った。
「金は必要だが、金だけの問題じゃない。いちばんの問題は君が信用できるかということだ」
IDを出すということは、それだけ危険な仕事だということだろう。ここにIDを求めてきた人間のうち、何人が本当にIDをもらえたのか誰も知らなかった。
もしかしたら全員が金だけを奪われて死体になったのかもしれなかった。ボスはじっくりと僕を見据えて、僕の疑いを見透かすように饒舌にこう言った。
「もし我々が君にIDを渡せないと判断したら、君はリスクを冒したことの代償を命で払う。我々は君の金には手を付けない。君が何を考えているかは私には手に取るようにわかる。しかし君がIDを求めて私のところにきたなら、我々は何を重んじているかぐらいは知っているだろう。
……我々は何より名誉を重んじる」
それはおそらく本当だった。というのも、開拓団とギャングのあいだの約束が破られたというのは聞いたことがないからだ。かといって、僕は自分の名前を明かすわけにはいかなかったし、ボスの信用を得るにはどうしたものかとボスをにらんだまま立ち尽くさざるを得なかった。
しびれを切らしたのか、樽腹の男が僕にむかって銃を見せた。
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