出発からしばらくは起伏もはげしくなく、それから速度も出さなかったので、ボスの屋敷に行ったときに比べれば格段に楽な道行だった。実は火星の地表の問題は別にある。……まえに、僕が遥さんのバイクで迷ったことは覚えているかい?
そうだ、あれはノクティス・ラビリントスの砂漠だった。火星の地下はポートがその地区の目印になっているんだけど、実は地表まであがるポートは数少ない。そして、火星には衛星もあまり飛んでいないし、実際、それにアクセスできるのはほとんど『センター』に限られている。だから、君たちが使っているようなGPSみたいなものは僕たちには使えないんだ。
そして火星には地磁気もないから、コンパスも役に立たない。つまり、火星でいちばん役に立つのは地球の原始の船乗りたちと同じ技術だ。夜は星の位置と時間、そして昼は地形と距離だ。
僕はグンシンの測量士たちのようにそんなに精確なことはできなかったから、木星と金星の位置からだいたいの方角を割り出すことしかできなかったけれどね。
それにしてもビアクルから眺める砂漠の夜空は美しかったよね。その日は風もなかったから、天の川が空の中心からすべてを包み込むように天頂から地上まで広がっていたし、木星や金星を見失わないように目を凝らしていると、まるで宇宙が僕に迫って来るように見えた。(まあ、その横で佐田さんがしきりにネコカインを一服したいと懇願するのでそれには閉口したけれどね)
ビアクルの中に不穏な空気が流れたのはそれから二時間ほどたってからだった。夜の間は、地形で目印になるものがほとんどないから、僕はクリュセ平原の巨大誘導灯を目印の一つにするつもりだった。それは火星の中でももっとも背が高いもののひとつで、地球からの連絡船のためにいくつか設置されているものだ。夜になると誘導灯が目立つので、目印としてはもってこいだった。
ところが、そいつは僕が想定したより、3度ずれて地平線に現れた。僕はそれを見て、佐田さんにこう言った。
「佐田さん、ここで夜明けを待ちましょう。どうやら僕たちは思ったより北にずれたようだ」
佐田さんはかなりのんびりした声でこう言った。
「じゃあもう少し南に進路をかえればいいじゃねぇか」
「いえ、僕の地図には昔の起伏しか入っていません。もしこの地形が風で相当変わっていたら、ビアクルはもっと前に乗り捨てなくちゃならなくなる。それはあまりに危険です。とにかくここで夜明けを待ちましょう。ここをやり過ごせば計画通り、ヘベス・カズマに近づけるはずだ」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!