ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。
センター:支配者である猫が管理する組織。
右藤(うどう):農場の肥料すきこみ班長
佐田(さた):ギャングの亘平の監視役。同じ班。
北川(きたがわ)・南波(なんば):同じ班の労働者
凛々子さんも訳が分からず僕を見ている。あれほど切望していた怜の視線は限りなく冷たい。僕はやぶれかぶれでこう叫んだ。
「おまえ、ちょっと二人で話がしたいから宿舎を出よう!」
そのときの怜と凛々子さんの顔はむしろ無表情だった。僕にはもう、怜に触れる勇気はなかったよね。ただ不自然にみえないように、僕は怜のほうに腕を伸ばした。怜はその腕をちらりと見ると、さっさと先へ歩いて行った。そうとう怒っているな、と僕でもわかった。……まあ女房に捨てられた男に見えるよね……。右藤さんたちは哀しげに僕たちを見送っていた。
怜は宿舎の門をでてしばらく農場へ上がるエレベーターの方へ歩き続けた。僕は周囲をみまわして、誰もいないことを確かめてこう呼びかけた。
「怜……!」
怜は振り返ると、手を伸ばして僕に何かを投げてよこした。それは僕の通信メダルだった。
「畑に行ける? とにかく人と離れられるところ」
怜はいつもの口調で言った。まるであのホテルでのケンカはなかったみたいな話し方だった。僕は自分が先に歩いて、農場へのエレベーターを操作して乗った。
「怜……どうしてここに来た? あのとき偶然に街で……?」
僕はそこまで言いかけてから、怜の横顔を見ながらそれ以上何を聞いていいか分からなくなった。エレベーターは上へぐんぐん登っていく。彼女はあまりにも深刻そうな顔をしていた。
「畑で話すわ。もう作業は終わってるんでしょ」
「明日の作業開始まで見回りの人間しか来ない」
「それって間隔はどれくらい?」
「二時間かな」
「じゅうぶんね。畑の監視カメラのないところへ連れて行ってくれない?」
それから地上へ着くまで、僕たちは数分のあいだ無言だった。あのいっしゅん、思わず怜を抱きしめた瞬間の近さがうそのように、僕たちのあいだには見えない隔たりが横たわっていた。
エレベーターを出ると、照明のある地下とは違い、農場の照明は暗く落とされていた。
畑の奥の列には、挿し芽をとるために数種類のサボテンの母株が大きく茂らせてある。カメラもそこまでは見渡せないはずだ。僕は怜をカメラの死角になるところまで連れて行った。
もう既定の日照時間は過ぎていて、農場の照明は暗く落とされていた。長くのびる圃場には、人工的とはいえ人間ではない生命のいぶきが満ちていた。ドームの天井ごしに火星の空が見えた。
怜の表情はサボテンの影になっていて、よくわからなかった。怒っているのか、冷たいのかさえも。
僕は言った。
「ここなら大丈夫だ。怜……さっきのことだけど、君が僕を亘平と呼ばないかと思ってあわてたんだ……、ごめん」
怜は落ち着いた声でこう言った。
「呼ばないわよ。メダルの中をみたもの。新しいIDでは結婚してるのね、農場の人たちが誤解してたけど」
「話が進んでるってのも、あの凛々子さんって言う人には別の人がいて……」
「大丈夫、バレやしないわ」
怜は僕の言葉をさえぎって、またふらりと話をごまかそうとしていた。それを聞いて、僕はなんども、なんどもあの夜から心の中で繰り返した言葉を怜にぶつけた。
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