これは、僕がいま書いている手紙はいつごろ届いているかな……。設定では二日ほど遅れたかと思うんだが。実は前に送ってからはずいぶん時間がたってしまっている。それで、手短にとはおもうんだけど、いろいろなことがあったので少し長くなるかもしれない。
状況としてはとても危険な状況だ。おそらく、近いうちにこの農場は出なくてはいけない。僕の班の人間が死んだ。……殺されたんだ。僕に関係することなのか、何か全く別のことなのか、それはまだよくわからない。ともかく確かに佐田さんの言ったとおり、この農場というところは思ったより危険な場所なんだ……。
あれから僕は、開拓団の街へ営業に行く仕事をもらった。二人組で、第四ポート周辺にある三つの大きな食料品店に品物を並べに行く。さいきん、停電が多いので少し納入スケジュールがずれがちだった。
三つあるうちのいちばん大きい店がこれでとても怒っていて、僕はその日もウチワサボテンを並べているときに、店の仕入れマネジャーに呼び止められた。
「つぎの納入はいつになるんだ『K』。それとな、店が開く前に並べ切ってもらわないと、あんたのその恰好で店をうろつかれたら困るんだが」
この担当についてからは、食料品を扱うには開拓団地域からみたって格好がひどすぎるというので、僕なりに髭や髪の毛(目はなるべく隠すようにしていた。とにかくどこかで『センター』に認識されたらすべて終わりなんだ)を出来るだけ整えるようにしていた。
それでもこのマネージャは僕のことが気に食わないようだったけれどね。それも仕方ない。だって、僕たち農業労働者は、何とも言えない鉄臭い土や肥料のまざった独特の匂いがするんだ。食料品を売るときにはまさしく邪魔になるんだろうな、と言うことは理解できた。
僕は納入予定スケジュールを手元の端末で確認した。ちなみに、火星世代や、開拓団でもいいところに勤めている人たちはビジネスリングを使うけれど、農場の下っ端労働者たちはほとんどビジネスリングを使っていなかった。作業の邪魔だし、ビジネスリングはそこそこ高い。それに肥料を扱うしね。(その代わりに作業着の下にビジネスリング代わりのネックレスのようなものを身に着けている人が多いよ)
僕がやはり三日ほど遅れるようだ、と答えると、マネジャーは大きなため息をついた。もし納入の量を増やしてくれるなら、取引のトークンの『量』を大幅に増やしてもいいと言い始めた。
「ええ、何が何だか分からないが、さいきんは地球からの食料が減って、『センター』からもサボテン類が買われるらしい。うちに入る量が少なくなって困ってるんだよ」
地球からは火星ではとれない果物や野菜が運ばれてくるという話は聞いたことがあった。それはでも、『センター』の人々のためだ。それが減っているだって……?
地球からの積み荷が、もし食料から武器に代わっているのだとしたら……。僕は思わずしばらく手を止めて考え込んだ。
マネジャーはそれを見逃さずにこう言った。
「あんたに担当がかわってから、作業が遅くてかなわないよ。もしあんたがウチへの納入を増やせないんなら、苦情はきっちり出させてもらうからな」
それはなかば脅しだった。僕は肩をすくめて頭を下げると、残りをさっさとならべ終えて、次の注文の希望の量を聞いてから店を出た。
最後の店に行くのには、第四ポート駅の中心街(なつかしい『かわます亭』のある通りだね)を通るのが早かったけれど、僕はいつも一つ奥まった道を行くようにしていた。それは鳴子さんたちに会わないためでもあった。
ビアクルで開拓団の街をいくとき、鳴子さん……遥さん。仁さん。珠々さん。懐かしい人たちの顔が次々に浮かんだ。ジーナをよく遥さんのジャンクヤードに迎えに行ったっけ。かくれんぼが好きだから探すのに手間取ったよね。
そして怜……。とそこまで考えてから、あの男がいつも怜の横に顔を出す。あのイニシャルの男だ。僕より背が高く、顔立ちもいい! しかも『地球人』の男だ。僕はすっかり苦い気持ちになって別のことを考える努力をする。いつもその繰り返しだ、滑稽だけどね!
気持ちだけは焦ったけれど、ジーナにつながる情報は入ってこなかった。ジーナが誰につかまっていたとしても、人間が猫を傷つけることはあり得ない。もしもギャングに連れ去られたなら、どこかで大切にされているはずだ。だがもし、もしギャングが犯人でなかったら、そう考えると僕の胃は心配できゅっと痛んだ。
第四ポート駅の周辺はだいぶ緊張感が漂っていた。自警団のような人々が見回っていたし、ギャングはこのところ活動を控えているようだった。
もし僕が『かわます亭』にはいれたなら、もっと情報収集は簡単だったろう。一杯ひっかけながら、周りの人たちの話に耳をすませばそれでいい。
だけど、現実にはそんな危険は冒せないし、そのうえそもそも農業労働者には飲みに入るような金もなかった。
僕がこの数週間で仕入れた情報と言えば、開拓団地域では野菜が足りないこと、それから『鉄のバケツ団』への不信感が高まっているという事だけだった。
この数百年、『センター』と『火星世代』、『開拓団』は微妙なバランスでこの火星の社会をかたちづくってきた。けれど、理由はわからないけれど開拓団地域の治安は悪くなり、そのバランスが崩れようとしている。そして、『センター』がしかけようとしている『はじめの人たち』への戦い……。火星で誰にも気づかれずに何かが起きようとしてる。
僕は一つの変化も見逃すまいとした 。
農場に帰って、僕は右藤さんに納入を増やせないか話してみた。すると、右藤さんは他にもそういう話がたくさんあって、農場では手が回っていないのだ、と教えてくれた。僕が上に話してくれるよう頼んだけど、右藤さんは面倒くさがって首を縦に振らなかった。
でもそれでは店に断ることもできない。それでしかたなく、僕が話をしに行け、ということになったんだ……。
農場主はふんぞりかえったまま僕の話を聞くと、首を振ってこう言った。
「つべこべ言いやがるなら、もっと少ない納入でもっとトークンの『量』をふんだくるまでさ。ああいった奴らはな、何かと農場をバカにしているくせに、困ったときには高飛車に命令すればなんとかなる、と思ってやがるんだ。足元を見られるだけだぜ、まったく。さあ、出て行け、仕事だ仕事!」
意外だったのが、この話を聞いた南波さんの反応だった。
「あんたすごいな、農場主に掛け合ったのかい」
いつもオドオドしている南波さんが、そうやってはじめて僕に話しかけてきたんだ。南波さんは小柄なひとで、どうしてもいつもあたりを警戒している火星リスを思い出させた。
どうやら、南波さんにとっては、労働者が(しかも食堂を水浸しにして目をつけられている労働者が)上に直談判しに行くなんて、とうてい信じられない話らしい。南波さんはちょっと僕を尊敬のまなざしで見ていて、僕はちょっと居心地が悪かった。
なにせ、それから何かって言うと僕に良くしてくれるし、それにいつも何か話しかけたそうにしている。それで、僕はなんとなく南波さんと目を合わせないようにしていたよね……。
南波さんは昼飯のときにも僕の横に座るようになって、あるとき何か思いついたらしく、目をちょっと輝かせてこう言った。
「すごいなあ、『K』さんは、右藤さんともケンカするわ、農場主とも話しをしちまうわ。俺にはとてもできないなあ。……でもまあ、もしだよ、もし俺が納入しろって言われたら、肥料にまぜちまってるあれはもったいないな、とは思うがね」
南波さんはそう言うと、周りを見回してからこう僕に耳打ちした。
「あの捨てちまう脇芽をさ、ときどきちょっと頂戴して、煮て食ってるんだ。芋みたいでけっこううまいぜ」
ちなみに、芋って言うのは火星の土壌ではとにかく育ちにくくて(あれは空気の中の窒素がとても必要なんだ)、割と高級なものだってことは言っておきたい。僕はその話をきいて、南波さんからちょっと脇芽をもらって食べたけど、確かに不味くはなかった。もちろん、特別おいしくもなかったけどね[F3] 。
僕はそのときにはもう食料品店から脅されて、別の人間と代わってもらうぞと言われていたから、南波さんの案をなんとか実現したいと考え始めていた。
ところが右藤さんに話をもっていこうとしたら、南波さんはとたんに臆病になって首を振るんだ。
「いや、俺はいいんだ、あんたの案にしなよ。それより、俺もちょっと息抜きに開拓団の街に出たいんだが、右藤さんに一緒に掛け合ってくれないか」
それを耳ざとく聞いていたのが佐田さんで、佐田さんも開拓団の街に出たいと言い出した。佐田さんはもちろん僕が監視できない場所に行くのがちょっと気に食わないからだと思うけれどね。ひんぱんな停電で植物の成長が遅れていたせいで、前の畝の収穫がまにあわなくてすき込みが休みになることも増えていた。
そうなると仕事は減るから、佐田さんか南波さんが僕と一緒に街に出ることは簡単だった。そして農業主は増産というか、出荷量をふやすことに積極的ではなかったけど、労働者のほうでは違った。
なんて言ったって、生産が遅れれば人手があまって、そうなれば自分の首がかかってくるからね……。それで農場の中では、生産を増やそうという隠れた機運が高まっていたわけだ。だから、僕たちが増産について話し合っているのは農場の労働者たちからはこっそり支持されていた。
班の中ではいつのまにか僕と南波さんと佐田さんがセットで動いていて、プライドの高い北上さんがひとりマイペースに仕事をこなすようになっていた。
北上さんはちょっと遠目から見ればすらっとした背で、優しげな顔をした男だった。だけど性格のほうは独特というか、孤独を好むひとで、僕たちの話に自分から入ってくることはまずなかった。いつもじっとどこかを睨んでいて、決して僕たちに話かけてくるわけではないのに、その目では何かを話しかけているような人だ。
佐田さんはそういう距離をとるのがうまい人だったから、たまに宿舎では二人がネコカインをふかしているところにも行き会ったけどね。
北上さんは開拓団の街に行きたいということも言い出さなかったし、家族もどうやらいないようだった。なにせプライドが高くてとっつきにくいので、他の労働者たちもほとんど交流がないという感じだった。
……殺されたのは北上さんかって? いいや、違うよ。僕と親しかった南波さんだ。今でもビアクルに乗ると、あの南波さんの気恥ずかしそうな笑みを思い出して哀しくなる。もう彼はいないんだ。この火星にも、この宇宙のどこにもね[F4] 。
僕はそのころ、南波さんと出荷スケジュールの試算をしてみるのに忙しかった。僕たちはすき込み作業班だったけれど、正確に話をつけるために他の収穫班なんかとも相談した。それで納品のほうは量は増やせないけれど、いま肥料にしてしまっている脇芽を集めて出荷すればなんとか出荷スケジュールの遅れは取り戻せそうだ、という話になった。
僕は右藤さんにその件を伝えたけれど、右藤さんはあいかわらず農場主とは話をしたがらなかったので、僕がまた行く羽目になった。思えば、僕は少し警戒心を忘れて目立ち過ぎていたのかもしれない。
僕が農場主の部屋を訪ねてノックすると、部屋から「どうぞ」と言ったのは女性の声だった。その声があまりにも若かったので、僕は部屋をまちがえたかと思って一瞬、体を引いてドアをもういちど確認した。もちろん、部屋は合っていたけどね。
「どうぞ!」
僕が入って行かないからか、内側からもういちど声がした。僕は意を決して部屋のドアを開けた。すると、いつも農場主がすわっているデスクには誰もおらず、デスクの前に少し古風な開拓団の格好をした女性がいた。古風と言うのは彼女がドレスを着ていたからだ。開拓団の人たちは、男も女も動きやすいようにゆったりしたズボンをはいているし、ドレスと言うのは僕はほとんど見たことがなかった。ほとんど民族衣装と言ってもいいぐらい珍しいものなんだ。そして、その古風なドレスには似合わないほどに彼女は若かった。ほとんど少女だと言ってもいいぐらいだ。
僕はほんとになんというか……恥ずかしいけれど久しぶりに女性と一対一で話さなくちゃいけなくなって、何といって良いか分からなくなった。ましてやそんな若い女性ならね。
「あ……新しい農場主の方ですか」
僕がようやくそう言うと、彼女は何も言わず僕をまじまじと見つめた。僕はその女性につい最近、どこかで会ったことがある気がしたけれど、いくら考えても思い出せなかった。そもそも女性と会ってないんだから、そんなはずないんだけどね。
女性はまだ幼いと言ってもいいぐらいの顔立ちで、ふっくらした頬も傷一つない手も、とても農場と関係のある人には見えなかった。
「夫に会いに来たの。あなたは農場主に会いに来たのね。農場主ならいまに来るわ。そこのソファにでもかけていて」
とその女性が言うので、僕は自分の汚い服でソファにかけていいものか考えてしかたなくソファのそばに立っていた。
しばらくして農場主があらっぽくドアを開けて部屋に入ってきたけれど、女性を見るなり態度が変わった。
「凛々子お嬢さん……」
明らかに農場主は何かの理由で焦っていた。僕にはまだ気が付いていないので、それを隠そうともしない。凛々子と呼ばれた女性は農場主と軽くハグするとこう言った。
「宋おじさん、お久しぶり。元気そうで何よりです」
宋おじさんと呼ばれた農場主は、困ったとばかりにはげしく頭をかいた。
「わざわざおこしで」
女性は農場主を見つめて目をそらさなかった。
「おじさんも知ってるんでしょう? わざわざ来ないと、あのひとからは会いに来られないじゃない。 あのひとに会いたいの」
「今日は仕事で農場に出てますよ。お嬢さん、こんなゴロツキばっかりのところにお嬢さんみたいのが一人で……、俺の首が飛ぶ……」
『宋おじさん』は頭をかかえ、僕は出荷の相談をするどころじゃなくなって困り果てた。なにせ、もう次のすき込みの作業時間が迫っていたからね。凛々子と呼ばれた女性は僕をちらっと見ると農業主にこう言った。
「あの人に会わせてくれれば話はすぐ済むわ。それで、こちらの方がおじさんをお待ちのようでしたけど」
それを聞いてはじめて農場主はソファの前につっ立っている僕に気が付いた。
「なにやってるんだ『K』!」
農場主の顔にみるみる血が上って、僕は早々に退散するためにドアの方ににじり寄った。
「すみません……来るタイミングが悪かったようで……」
「この人が『K』……?」
そういうと女性は僕を驚いたように見た。まさかこの人がジーナの手がかりになるとはそのときは思ってもみなかったけれどね。
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パダムパダム、同名の韓国ドラマがあるようですが、私のはエディット・ピアフのでござる!
ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
グンシン:亘平の勤めていた地下資源採掘会社。火星の歴史資料庫をもっている。
怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。
センター:支配者である猫が管理する組織。
オテロウ:『センター』からグンシンに来ている猫。亘平を警戒して犬を放った。
犬:『センター』が治安管理のために所有する四つ足ロボットの総称。
珠々(すず)さん:有能なオテロウの秘書。グンシン取締役の娘。亘平に思いを寄せる。
山風明日香(やまかぜあすか):亘平の母。『センター』により犯罪者として処分された。
右藤(うどう):農場の肥料すきこみ班長
佐田(さた):ギャングの亘平の監視役。同じ班。
北上(きたがみ)・南波(なんば):同じ班の労働者
ダイモスとフォボス:火星の二つの衛星。月。
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