ネコカイン・ジャンキー!2 ~仁義なき亘平編~

火星でのらの子猫を拾ったら特別な猫でした
スナメリ@鉄腕ゲッツ
スナメリ@鉄腕ゲッツ

【一週間まとめ読み-8】

公開日時: 2021年6月6日(日) 12:31
文字数:6,078

ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。

怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。

センター:支配者である猫が管理する組織。


右藤(うどう):農場の肥料すきこみ班長

佐田(さた):ギャングの亘平の監視役。同じ班。

北川(きたがわ)・南波(なんば):同じ班の労働者

農場で長く過ごすうち、僕は自分の感覚がどんどんと鈍って、濁っていくような気がしてならなかった。僕はあの火星の夜明けを全身に感じたとき、自分がジーナを取り戻すことはまったく疑いが無いように感じていた。

 一つの山を登り切ったあと、もう一つの山はあまりにも高く、手掛かりもつかめないまま時計の針だけが進んでいく。

 あまりここには書かなかったけれど、ほんとうはその焦りは言葉に出来ない、すさまじいものがあった。眠れないというより、脂汗だけがじりじりと伝う時間の積み重なりだ。

 

……ジーナはどうしているんだろうか。誰に誘拐されたとしても、猫が殺されるというのはあり得なかった。それだけは、たとえセンター、火星世代、開拓団、どこに生まれたとしても人間ならばやることのできない犯罪だ。

だけど、もしジーナが、僕のいないところで僕のことを考えながら丸まっているとしたら。もしもジーナが、僕があさ目覚めたときに胸の上にぽっかり空白を感じるように、おなかの下に空白を感じているのだとしたら。それは許されることではなかった。

ギャングだろうが誰だろうが、僕はジーナを連れ去った奴のところへ行って、必ずジーナを連れて帰らなければならない。

 

僕は強くなりたかった。ジーナを守れるようになりたかったし、怜ともしもう一度だけでも会うことができたなら、そのときは火事のときに泣きながら弱音を吐いた僕ではなく、運命のために戦える僕でありたかった。

 

「家族を失って、言われるままに家を後にして……。じゃあ、あなたはどうするつもりなの……? 泣くことなら誰だってできるわ」

 

 僕の胸の中に、ずっとあのときの怜の言葉が刺さったままだった。いまなら怜の言葉の意味が僕にもわかる。……僕はたまに鏡を見る。あのころの亘平とは似ても似つかない容貌の男がそこにいる。落ちくぼんだ自分の目の中に、その中に誰かの面影を見る。父にも少し似ている。母のことは思い出せない。

いったい誰のかげかと言えば、怜なんだ。 

……そうだ、僕はいまやすべてに対して怒っていた。小さなジーナを僕の所へ連れてきて、そして奪っていった運命に、それから怜に出会わせた運命に。なにより、弱さから何もかも失ってしまった自分、そして無力から、まだ何も取り戻せないでいる自分にね。

僕はいま、怜の瞳の中にある炎を自分の中にも感じることができた。あれは孤独な怒りの炎だ。怜はいったい何を失ったというのだろう……。

 

今回の手紙を書き始めたころ、もうすぐ農場を出なければならないと言ったね。あれから状況はますます悪くなって、もうまたしばらくは書き送れなくなるかもしれない。状況が悪くなって……か。でも僕にとっては希望もある。

いま、僕はたぶん南波さんを殺した人間を知っている。でもその事実を信じたくはない。そして、僕は怜とふたたび巡りあった。

なぜそんな大きなことを今まで言わなかったかって……? これを書き始めたときは、彼女だって確信が持てなかったからだ。期待が大きければ大きいほど、違ったときの落胆もまた大きいだろう……? 

再会はほとんど一瞬だった……それでもなお、僕は彼女だと思った。

僕にとってジーナも、彼女への思いも、とても真剣で、簡単には名前を書くこともできない存在なんだ。そうだよ、これは小説じゃない。僕と言う人間が生きている証そのものなんだから。

 

 なんでこんなことになったのか、まだ状況を整理することが僕にもできていない。そうだ、たった数日のうちに、状況が大きく動いた。農場の暮らしが良かったとは言わない。だけど、それですらどんなに穏やかだったかと今になって思うよね。

 ただ今はジーナに近づいたと信じるだけだ。ジーナを誘拐した奴らはだいたい目星がついた。その可能性を考えていなかったわけではないけれど、取り戻すのがより困難になったことは間違いがない。

 

 すべてが動き始めたのは、いつものように僕が開拓団の街へと出かけているときだった。その日は南波さんと一緒で、第四ポートの駅のとなりと言っていいほど、街の中心にある店が目的地だった。

 当たり前だけど、そういう店に行くのは僕にとっては危険がある。新しいIDを手に入れて、姿かたちを変えているとはいえ、骨格まではごまかせない。街の中心部には監視装置も増えるから、なるべく表通りは通らないようにしていた。

けれど、一方で困ったこともあった。相つぐ停電で、ビアクルの電力も節約するように言われていたんだ。入り組んだ裏通りばかりを通ると、距離がかさんでビアクルの電池も減る。火星世代のビアクルは大気や水の二酸化炭素と水素を合成した燃料を使っているけれど、ここの開拓団地域ではそれよりも原始的な電気自動車しかない。

もちろん、合成燃料には莫大なコストがかかるから、たとえセンターと言えど湯水のようには使えないよね。だから電力増産計画を必要としてるわけだけど……。

 

まあでも監視カメラだってビアクルの中まで写すわけじゃないから、何も問題はないはずだった。僕はビアクルの中でぐうぐうと眠りこける南波さんを横目に、凛々子さんからもらった情報を考えていた。

凛々子さんが言うには、あの火事については『鉄のバケツ』団も調査していて、他のギャング団にも探りを入れたけれど、どこも否定している、ということだった。

 

そして、もうひとつ『鉄のバケツ』団には気になっていることがある、と凛々子さんは言った。それはギャング団がかかわらない『殺し』が横行しはじめているという事だった。『センター』が管理する世界において、人間の『命』はそもそもが『センター』の所有だった。僕たちはこう教わる、人間は自分たちの『命』を自分たちのものだと考える、だからこそ傲慢にも自分の命を危険にさらし、他人の命をうばっていいと考える、それが戦争だ、と。

しかし、人間はせめて猫に服従するほどにはかしこかった。猫が教育を受け、人間よりも高度に哲学を発達させることができたので、人間は救われた。猫は人間の助けを借りてこの世界を統治し、かわりにネコカインを与えて人間の中の『戦争への意思』を封印する。それが人間と猫との『契約』だった。


もちろん、それはギャングも例外じゃない。だけど、彼らにはセンターも一部、『殺し』を認めていた。凛々子さんによれば、それはギャングがずっと死体処理や食糧生産といった『命』に係わる仕事を引き受けてきたからだ。

センターは、ギャングたちの掟で殺されたものは関知しなかった。また、ギャングたちは闇市場に流入したネコカインをセンターに上納する役割も果たしていたので、センターは自分たちのやることに反抗しない限り、ギャングのやることを見逃していたんだ。

それはある意味で賢いやり方だった。なぜかって、ギャングはもともとセンターに対するレジスタンスだったんだからね。自分に抵抗しなければ少し目をつぶる、というのはいままではうまく行っていたわけだ。

 

けれど、凛々子さんが言うようにギャングの知らない『殺し』が横行しているというなら、それは奇妙なことだった。しかも『鉄のバケツ』団が管理するこの地区だけでなく、他のギャング団の地域でも起きているというのだから。

センターがそれに対して動かないのは、センターに『よく管理された』火星世代の僕にとってはものすごく奇妙なことに思えた。

 

 あの火事が『鉄のバケツ』団と他のギャングとの争いでないのなら、この新しい無法者たちの仕業とも考えられないか……。僕はそんなことを思いながら、電気を節約するために表通りへとハンドルを切った。そして、駅の近くの店で南波さんと一緒に荷物を店に並べると、それを最後に農場へ帰る道を選択した。

 そのとき、僕は確かに予備のバッテリーが積んであることを確認していた。もしも開拓団の街で立ち往生したら、僕はたくさんの『知り合い』がいるかもしれない地域で人の目に触れることになる。もう古いビアクルでもあったしね。

南波さんは、最近よく起こる停電のせいで、夜が寒くて眠れない、とぼやいていた。それで僕は予備のバッテリーを見込んで、温度を高くして南波さんが帰り道、眠れるようにした。もちろんほとんど自動運転なんだから、僕もうとうとしたっていいわけだけど、リスクを小さくするために僕は必ず起きているようにしていた。

街に出るっていうのは、僕にとってはそれなりの緊張感を感じることなんだ。

そして事件は起きた。第四ポート駅から農場へは表通りの方が早かったので、表通りを通らざるを得なかったんだけれど、そこでバッテリーがいきなり切れたんだ。ほんとうにいきなりだったので、車を裏道にとめることもできなかった。

バッテリーが切れるのは初めてのことじゃなかったけれど、いきなり止まるというのは経験がなかった。僕は後ろからバッテリーをとってくると、切れたバッテリーと差し替えた。バッテリーの交換は挿すだけで数秒でおわるものだったから、寝ている南波さんを起こさずにそのまま車を動かそうとしたけれど、車はピクリとも反応しなかった。

街で大通りをビアクルが許可なく塞いだ場合は、三十分ほどでセンターが除去に来る。それは火星世代の街でも、開拓団の街でもおんなじだ。

ビアクルのソフトの問題かと思って、何度も立ち上げなおしたけれど、電源すらつく気配がない。十分をすぎたころから、僕は本気で焦り始めた。南波さんを起こすと、僕は車の下に潜り込んだ。グンシンで少し採掘機をいじっていたから、簡単な断線程度だったらなんとかわかる。でも工具はない。

そのうちに街の中で何人かが立ち止まり始めて、僕たちは注目を引き始めた。いまのいままで農場で安全に暮らしていたけれど、それはあまりにももろいんだってことは覚悟してたつもりだった。ここで南波さんを置いて逃げたとしても、すぐに農場の誰かに怪しいと見抜かれるのは分り切っている。

でも、ひとつだけ僕にはラッキーなことがあった。そこは、いったいどこの近くだったと思う……? 

 

 遥さんのジャンクヤードの近くだ。僕が行くわけにはいかない。そこで僕は南波さんを叩き起こした。

 

「南波さん、悪いんですが……、ビアクルが故障しました」

 

南波さんは眼をこすると、文字通りあたりを見回した。

 

「バッテリーは交換したかい……? ああ!」

 

とつぜん、南波さんは大きな声で叫んだ。

 

「俺……昨日のうちにバッテリーを充電しておかなかった!」

 

 僕ははじめて、南波さんに対して少しだけ怒りを覚えた。だけど、声を抑えながら言うしかなかったよね、だって急いで遥さんのところに行ってもらわなければならなかったんだから。

 

「いや、それはもういいです。とにかく、これから僕のいうところに行って、工具を借りてきてほしいんです」

 

南波さんはまだ少し眠そうな声でこう言った。

 

「……それより、センターの修理を待った方が早いんじゃないのかい? 修理なんか難しくて出来ないよ……」

 

 僕はもう話しながら同時にせわしなく頭を回転させた。

 

「僕はオリンポスでちょっと機械をいじってたので、工具を借りてもらえればなんとかなります。あと……今日はほら、凛々子さんが待ってるんですよ、農場で。この地図をみてください、このジャンクヤードなら、たぶん工具があります」

 

 南波さんはゆっくり頭をかきながらビアクルのドアを開けて遥さんの工場にある言って言った。僕はそのあいだ、ビアクルのチェックシステムで故障個所を探そうとしていた。

 そのときにはビアクルの周りにちょっとした人だかりができていて、近くの商店から出てきた男が僕に「大丈夫か」と声をかけたり、ビアクルで店の前をふさがれた女店主が邪魔だと文句を言いにきたりしていた。

 ところが、完全に電力がアウトしていて、ビアクルのチェックも効かない。こうなると僕にはどうしようもなかった。僕はビアクルの外に立って、車の下に入って自分の目で確かめるべきか迷っていた。だけど、それ以外にセンターの修理を回避する手立てはない。

 やがて人だかりが二手に分かれて、工具箱を手にこちらに向かってやってくる遥さんの姿が見えた。誰か親切心で本人を呼びに行ったらしい。僕は大慌てで車の下に潜り込んだ。

 

「これかい、そのビアクルってのは」

 

 なつかしい声がそう南波さんに聞いた。南波さんの足と遥さんの足がビアクルの外にならんでいて、僕は下から出るに出られなくなった。遥さんの修理は的確だった。ビアクルの主電源が動かないのを確かめてから、外部システムチェッカーを配電盤につなぎ、五分もしないうちに故障個所がつきとめられた。

 

「電池の安全ラッチを誰か乱暴に壊したね。センサーごとやられてるよ」

 

遥さんはそう言うと、おもむろにしゃがんだので、僕は思わず車の下からうつぶせで逆側にはい出た。

 

「なんだ、もう修理したのかい?」

 

遥さんは僕が亘平だとも気付かずそう聞いたので、僕は口をつぐんだままただ首を横に振った。遥さんはそのまま、ビアクルのそばに足をなげだして座り込んで修理をはじめた。手際よく壊れた安全ラッチの蝶番を取り換えると、今度はしっかりとセンサーが働くことを確かめて、南波さんの方に振り返った。

 

「修理代はあとで払いにおいで。バッテリーも込みだよ。安かないけど、急いでたんだろ?」

 

 そう言ってから、遥さんはふと確かめるように僕を見た。そのときだった、目深に帽子をかぶった労働者風の若い男がよそ見をしたまま歩いてきて、僕をつき飛ばした。ついでに店の前の売り物をぶちまけたので、近くの人びとが拾うはめになった。

 若い男はあわてた様子で手伝ってくれた人間に手ぶりで感謝を伝えると、そのまま何処かへ立ち去った。

 

 そのおかげで、僕は遥さんに背を向けてしゃがみ込むことができた。そして首尾よく南波さんは遥さんを工場へと送っていった。

 僕は遥さんが見えなくなったあとすぐにビアクルに乗りこんだ。僕は間一髪のところでビアクルが動いたことに胸をなでおろしながら、一方でさっきの若者について考えていた。

 ほんのいっしゅん、その若者が去りぎわに僕をふりかえった気がしたのだ。目深にかぶった帽子の奥に、僕は自分が切望していた瞳を見た気がした。……だけど、あまりにそれは突然だった。遥さんに助けを求めなくちゃならなくて、懐かしくなった僕は都合の良い幻想を見たのでは、と思った。

 そう思えばあまりに滑稽だ。でも、それは自然なことに思えた。あれが怜に見えたなんて。人間は孤独になりすぎると、幻想を作り出すのかもしれない。

 遥さんに名乗れないこともつらかったけれど、見も知らない人間に怜を見るのもつらかった。僕は知らないうちに笑っていた。南波さんが驚いて僕を見たけれど、僕はちっともかまわなかった。いまだけは亘平でいたかった。

 

 その夜、ぼくはまんじりともしなかった。僕をつき飛ばした感触は、どうしても若者にしては少し華奢におもえて仕方なかった。錆の匂いの立ち込める狭い宿舎で、だんだん孤独によって自分が狂っていくような気がした。狂気でしか怜に会えないという事実が、くらやみのなか僕を打ちのめした。


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