ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
グンシン:亘平の勤めていた地下資源採掘会社。火星の歴史資料庫をもっている。
犬:『センター』が治安管理のために所有する四つ足ロボットの総称。
街で食べ物を確保したら、地上に帰ってきて岩の間に隠しておいた通信機と、ビジネスリングを確認する……、それの繰り返しさ。
それで……思い出したのは、『野良猫』のことさ。
2021年にはまだ野良の猫はいるのかい?
昔の本を読んだときに、外で寒さをしのぐ猫たちのことが書かれていたよ。まるで僕はその猫たちと同じ暮らしをしていた。
でも少しその猫たちがうらやましく思ったこともある。だって彼らには『ゴミ』というものがあったろう?
栄養資源の限られた火星では、すべては極限までリサイクルされている。特に食料廃棄物はね。
僕はそのときまで、ほんとに何もわかっちゃいなかった。この火星で、いったん社会からはじき出されたら、次の瞬間から一口の食べ物すら手に入れることはできないんだ。
盗みに入るとき、僕は身に着けるものを巻いていた布で顔を覆った。顔を誰にも見られないようにね。
狙うのはなるべく倉庫を持っている中規模の店だ。盗まれたものに気づきにくいし、警備員がいないからね。
そして、店の近くの通気口まで行ってそこから通路に出る。開拓団の街は治安が悪いから、夜遅くに出歩いている人は少ない(まあ僕も治安を悪くしていた一人だよね)。そこからはただ忍耐強く待つのみさ。
……軽蔑したかい? 言い訳はしないよ。僕のやったことは間違いなく犯罪だ。
僕はそうせざるを得なかった僕自身の弱さを軽蔑する。
ジーナも守れなかった僕自身の弱さを軽蔑する。
ともかく、店の倉庫に最初に横付けにするのは肉工場からやってくるコンテナだ。人工肉の細胞は光にとにかく弱いからね。
そこで警備が一人ぐらいで、人が運びこんでいなければなお好都合だ。僕は闇に紛れて、肉のふりをして倉庫にしのびこむ。倉庫の中も、肉のコンテナの近くはたいてい、うす暗くしてあるから隠れやすい。
それで、一日目は終わりだ。僕は倉庫の中で一日を逃げ隠れしてなんとか過ごす。そして、その夜、ひとがいなくなったら食料を抱えて脱出、というわけさ。
僕はいまいちどきり、もう僕の人生できっと二度と話すことはないみじめな話をしようと思う。僕は、倉庫を出るときに必ず一枚だけトークンを置いていた。誰かが落としたみたいに見せかけてね。
泥棒じゃない、生きるために仕方ないんだ、僕はそう言いたかった。
言い訳はしないと言いながら、言い訳ばかりだ。そのときの僕のみじめな気持ちは言い表しようがない。
そうやって二か月以上、三カ月近く過ごしたかな。そしてあるとき、倉庫のなかで僕は鏡を見つけた。
僕は、その鏡の中の人間が自分だとはとても思えなかった。髪は目を隠すほどぼさぼさに伸びていたし、髭は顔じゅうを覆っていた。それに、缶詰ばかり食べていたせいで痩せていた。それで僕は、もう誰も僕のことを『山風亘平』だと気づかないだろう、と思った。
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