佐田さんは絨毯の山をひょいひょいと下りてくると、
「ヘベス・カズマ」
とだけ言った。カズマとは裂溝帯(れっこうたい)のことで、つまり断崖絶壁に囲まれた谷の地域のことだった。ヘベス・カズマは僕たちの今いる場所からはだいぶ北に位置していた。僕はグンシンの会社員だったころ、地質調査になんどか地表を旅することはあったけど、それは車に積んでいるエネルギーがふんだんにあったからできたことだ。
とにかく時間がなかった。僕はビジネスリングにそのころのデータが残っていないか探した。すると、かなり古いものだが地図がみつかったので、その縮尺から必要なエネルギーを割り出すことにした。あの車に積めるだけの電池を積んでいったとしても、百五十キロが限界だった。ヘベスにはあと数キロ足りない。だけどほんとうの問題は、ビアクルの車輪だ。あの古いビアクルはエルグ(小石砂漠)の地面を走るためのもので、エルグが分布していると想定される地質をたどると(こういうときにつくづくグンシンにいて良かったと思うよね)、ヘベス・カズマから十二キロのところで燃料切れになる。
酸素が薄いなかでそこから歩くとなれば、食料と水が必要だった。そして、もう一つ大きな問題がある。
「佐田さん」
「ああ?」
「あのビアクルで今すぐヘベスに行こうとすると、佐田さんを乗せる容量がない」
佐田さんはちょっと焦った顔でビジネスリングから映された地図をのぞき込んだ。
「そいつは困る。俺にも仕事ってもんがある。ボスからどんなことがあってもあんたを生かせって言われてるんだぜ」
「でももし佐田さんを乗せるとなると、歩く距離が1.5倍になる。酸素も少ない中で」
「このいちど東に行き過ぎて、戻るところは近道できないのか? この幅はせいぜい三キロだろう。それに奴らは外の人間を絶対に信用しない。おまえさんだけで行ったってスグ殺されちまうぜ」
「だけど、ここはおそらく細かい砂が風に乗って流れ込む谷底になっているはずだ。もしそのショート・カットの五キロで車輪が埋まれば……僕たちは車を捨てることになる。そうなったら、ミイラが二体になるわけですが。それより、いったい『鉄のバケツ団』はどうやって『はじめの人たち』と取引を? お互いが商売の相手だとどうやって見分けているんですか?」
佐田さんは首から自分のメダルを外すと僕に見せた。メダルにはブリキのバケツと、その中に火のついたダイナマイトが彫金されていた。
「この中にキー(暗号)が仕込んである。ギャングの中で奴らと取引できるのは幹部級の人間だけだ。あのことがあるまでは北川も担当していたんだがな」
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