ジーナ:僕と一緒に暮らしていた猫。あらわれたとき、火星では禁止されている「野良のこねこ」だった。
怜(とき):『はじめの人々』? それとも『センター』? 亘平の惚れた謎の美女。
センター:支配者である猫が管理する組織。
右藤(うどう):農場の肥料すきこみ班長
佐田(さた):ギャングの亘平の監視役。同じ班。
北川(きたがわ)・南波(なんば):同じ班の労働者
農場で長く過ごすうち、僕は自分の感覚がどんどんと鈍って、濁っていくような気がしてならなかった。僕はあの火星の夜明けを全身に感じたとき、自分がジーナを取り戻すことはまったく疑いが無いように感じていた。
一つの山を登り切ったあと、もう一つの山はあまりにも高く、手掛かりもつかめないまま時計の針だけが進んでいく。
あまりここには書かなかったけれど、ほんとうはその焦りは言葉に出来ない、すさまじいものがあった。眠れないというより、脂汗だけがじりじりと伝う時間の積み重なりだ。
……ジーナはどうしているんだろうか。誰に誘拐されたとしても、猫が殺されるというのはあり得なかった。それだけは、たとえセンター、火星世代、開拓団、どこに生まれたとしても人間ならばやることのできない犯罪だ。
だけど、もしジーナが、僕のいないところで僕のことを考えながら丸まっているとしたら。もしもジーナが、僕があさ目覚めたときに胸の上にぽっかり空白を感じるように、おなかの下に空白を感じているのだとしたら。それは許されることではなかった。
ギャングだろうが誰だろうが、僕はジーナを連れ去った奴のところへ行って、必ずジーナを連れて帰らなければならない。
僕は強くなりたかった。ジーナを守れるようになりたかったし、怜ともしもう一度だけでも会うことができたなら、そのときは火事のときに泣きながら弱音を吐いた僕ではなく、運命のために戦える僕でありたかった。
「家族を失って、言われるままに家を後にして……。じゃあ、あなたはどうするつもりなの……? 泣くことなら誰だってできるわ」
僕の胸の中に、ずっとあのときの怜の言葉が刺さったままだった。いまなら怜の言葉の意味が僕にもわかる。……僕はたまに鏡を見る。あのころの亘平とは似ても似つかない容貌の男がそこにいる。落ちくぼんだ自分の目の中に、その中に誰かの面影を見る。父にも少し似ている。母のことは思い出せない。
そして昔のように鏡の中の自分の隣に怜を並べてみる……。
……そうだ、僕はいまやすべてに対して怒っていた。小さなジーナを僕の所へ連れてきて、そして奪っていった運命に、それから怜に出会わせた運命に。なにより、弱さから何もかも失ってしまった自分、そして無力から、まだ何も取り戻せないでいる自分にね。
僕はいま、怜の瞳の中にある炎を自分の中にも感じることができた。あれは孤独な怒りの炎だ。怜はいったい何を失ったというのだろう ?
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