女性は遠慮ない視線で僕をじろじろと見回すと、訳の分からない笑みを浮かべた。
「いいわ、おじさん、こんど『K』さんに農場を案内してもらいます。ここに来るのは『K』さんに会いに来るため、それで文句は言われないわ」
「そいつはダメです、お嬢さん……。あの男が生きてるだけありがたいと思わなきゃ……」
農場主が汗をかきながらそう説得をする横で、お嬢さんと呼ばれた女性は僕に手を伸ばしながらこう言った。
「こんにちは、『K』さん。これからあなたにちょくちょく会いに来ます。農場の案内もどうかよろしくお願いいたします」
僕が何がおこっているのか分からずに目を丸くして農場主に助けを求めると、農場主は頭を抱えながらこう言った。
「ああ、もうわしはおしまいだ……! おしまいだったら、おしまいだ!」
「申し訳ありません、ちょっと状況が呑み込めていないんですが……」
と僕が言うと、女性はこう言った。
「いいんです、あなたは農場を案内してくれるだけで。私、北上凛々子と申します。あなたの班の北上登(きたがみ のぼる)の妻です」
僕はおもわずもういちど、意味なく農場主を見た。農場主は目を閉じて頷いている。
「北上さん……北上さんの……奥さん」
「ええ、夫をよろしくお願いいたします」
そういうと、北上凛々子さんは部屋をさっそうとあとにした。僕と農場主はしばらく気が抜けていて、数分なにもしゃべらなかったと思う。そして、僕がようやく自分の仕事を思い出して、農場主に相談をはじめると、農場主はその言葉を遮って、手をふりながらこう言った。
「いい、いい、お前のすきにしろ。いまそれどころじゃない」
これは僕には好都合だったけれど、僕が部屋をでるときに農場主はさらにこう付け加えた。
「そうだ、おまえそれを口実になるべく街へ出とけ、『K』。お嬢さんと顔をあわせるんじゃないぞ、なるべく留守にしろ。代理はこっちで用意する」
これは街でジーナの情報を得たい僕には好都合だった。でもまさか好きなだけ街に出られるとはね! 宿舎にもどると、たまたま僕は宿舎のゲートのあたりで北上さんとすれ違った。でもいま思えば、そんなところで北上さんを見かけたことはなかったから、北上さんには何か目的があったのかもしれない。
どもかく、僕は北上さんと行き会ってしまったので、話しかけざるを得なかった。
「北上さん……」
北上さんは僕が声をかけると、怪訝そうな顔で僕を見た。僕がしばらくどう切り出したものか悩んでいると、北上さんはあわてたように僕を物陰に引っ張っていった。いつも冷静な北上さんらしくない行動だ[F1] 。
「俺に用か。何だ」
北上さんは早口にそう言った。僕はこう言った。
「さっき、農場主の部屋に例の件で行ってきたんですが……、北上さんの奥さんが来られてました。北上凛々子さんという……」
すると、北上さんまでが農場主のと全く同じように頭を抱えてしまい、僕はしばらく口をつぐむしかなかった。しかしこうも『食えない』北上さんを、一人の若い女性が簡単に困らせてしまうというのは少し滑稽だった。当の本人は困り果ててるんだから、ただ無表情を貫いたけどね。
「来たのか……。『K』、悪いがこのことは黙っていてくれないか……」
「僕は誰にも言うつもりはありませんが、北上さんの奥さんが僕に農場の案内を頼むというので、農場主が……」
「許可したのか!」
「……いえ、僕をなるべく農場にいさせないように、僕は明日から街をまわることになりました。すき込み作業の人間は別のところから補充するみたいです」
それを聞いて、北上さんはほっとして僕の肩を叩いた。まったく、北上さんはいつものプライドの高い北上さんらしくなかった。僕が話が終わったと思って立ち去ろうとすると、北上さんは本当におずおずと、僕にこう聞いた。
「……それで、凛々子は……」
僕はなんとなく、その声色だけで北上さんの本音を知った。僕だって怜の消息を心の底から知りたかったからだ。
「お元気そうでした。農場主もたじたじで」
北上さんはそこでふっと疲れた笑みを見せた。北上さんはただプライドが高くて人と話さないのだと思っていたけれど、本当は僕いじょうに緊張していたのかもしれなかった。
ともかく増産計画は好きにしていいと言われたし、街に出かけることもできるようになったわけだから、僕にとっては願ってもない状況だ。
街の食料品店に遅れている納品スケジュールだけは何とかなりそうだ、と言う話をすると、みんな本当に喜んだ。人間、喜ぶとつい口が軽くなる。そのうち、ふだん言わない愚痴まで僕に言うようになった。
ある日、南波さんと一緒に回っているときだった。いつものように商品に棚を並べていると、店長が
「なあ、おまえこれ持ってるか」
と言って僕にネコカインをふかす真似をした。確かに持ってはいたけれど、農場から給料と一緒に配給されるのはひどい品質のものだった。僕はあんまりそれが好きではなかったから、余っていたんだ。(佐田さんは何か他のクスリかなにか混ぜてしょっちゅう吸っていたけどね )
僕は店長に一本渡すと、南波さんもなぜかこっちを見ていたので南波さんにも渡した。二人はそれに火をつけると、まるでシンクロしたようにうへえ、という不味い顔をした。それで火を消した吸いさしを僕に戻すもんだからちょっと閉口したよね。
「やっぱり質がおちてやがる。最近の配給品はひどすぎてとてものめねえよ。……おい、お前のをよこせ」
そう言うと、店長は南波さんからも一本せしめた。南波さんはしぶしぶ店長に渡したけれど、それに火をつけた店長はひと吸いしてから驚いたように南波さんを見た。南波さんは薄ら笑いを浮かべて肩をすくめている。
「見かけによらねえな……。こいつは上物だ。おまえまさかギャング団から……」
「やだなあ、そんな恐ろしいこと、俺にはとてもできないよ」
南波さんが本気で震え上がって言っているのを見て、店主はもういちど、南波さんのネコカインを深く吸い込んで言った。
「好きなもん棚から持っていって良いぜ。久しぶりに吸ったぜ、こんな上物。……『鉄のバケツ団』だって最近は混ぜ物を入れてるってのに……」
僕はそれを聞いて、南波さんは近くにいたけれど、いましかあの火事の話をふることはできないと判断した。
「『鉄のバケツ団』といえば、ちょっと前にこの近くで火事を起こしたって……。ひどいことをするもんですね」
それを聞いて、店長は首を振ってこう言った。
「さあな、コンドーのオヤジはシマ争いだって団地の長に詫び入れたそうだぜ。相手は分からないが、『鉄のバケツ団』の仕業じゃないんだ、って。それでもギャングの信用は地に落ちたけどな。……まあそれにしたって『鉄のバケツ団』も開拓団の街を襲うし、ずいぶん緩んじまってるんじゃないのか、ケジメってものがさ……」
僕は表情を見られないようにただひたすらかがんで作業を続けながらこう言った。
「しかしなんだって団地なんて場所を選んだんだか。一歩間違えれば大惨事だ」
「……良くは知らねえが、もの好きな火星世代が住んでたって言うぜ。ネコカインでもため込んでたんじゃねえか。占い師の鳴子さんがなんだってかそいつを可愛がってたらしくて、まあ気の毒にそいつは若くで事故で死んじまったらしいんだが」
「死んだんですか」
「うん……まあ死体も出なかったらしいが、占い師が言うんだからな。まあ、とにかくここさいきん、いろんなことが守られてねえ。火星世代は開拓団の街に住む、ギャングは掟を破る、野菜は地球から届かない、それに停電ばっかり、ときたもんだ[F3] 」
店を出るときに、南波さんが言いにくそうに僕にこう話しかけてきた。
「あの……、『K』、あのネコカインのこと……」
「ああ、言わないよ。農場のネコカインはひどいから、実は僕も余らせてるんだ」
「……一本いるかい、黙っててもらう代わりにさ」
「いいよ、さっき店長に一本、持っていかれたじゃないか」
それを聞いて南波さんはビアクルの中でしばらく黙っていた。僕はなにか南波さんの機嫌を損ねたかな、と思ったけど、心当たりもないのでそのままでいたら、南波さんは急に悪いと思ったのか明るい調子でこう言った。
「……それで、家族は見つかりそうかい」
今度は僕がだまる番だった。人間、あまり他人と話したくないことになると、黙るしかないらしい。南波さんは何かを察したのか、話題を変えてこう言った。
「なあ、ほんとかなあ、その占い師に気に入られてたって火星世代の話。死んじまったっていうが、もしかしてギャングに殺されたんじゃ……」
僕は内心、びくびくしながら笑い飛ばした。
「まさか!」
南波さんは急に顔を曇らせてこう言った。
「そうだよな、ギャングはああ見えて厄介ごとを嫌うしな。火星世代なんか巻き込んだ日にゃ……。ひょっとしてその男、生きてると思うかい?」
僕は答えに詰まった。必死で平静を装いながら、僕はなんとかこう言った。
「だって鳴子さんが……占い師が死んでるって言うんだろ」
南波さんは僕をちらと見ると、すぐに納得したように大きくうなずいた。
「そうだよ、占い師が言うんだからな。……オリンポスにも有名な占い師はいるのかい?」
僕はいっしゅん考えてから隙を見せずにこう言った。
「いるよ、鳴子さんってのはここらじゃ有名なのかい?」
南波さんは次の店に必要なものを整えながら言葉を濁すようにこう言った。
「まあね、どうかな、遥さんと鳴子さんってのは色々あったからね……。俺だってよく知らないよ」
僕は話題を変えようとこう言った。
「それで、街は気分転換になってるんですか、南波さんのほうは!」
南波さんは窓の外の整備の悪い道で上下にゆれる景色を見ながらこう言った。
「……そうだなあ、俺はいつだって街に出たいと思っていて、でも出るといい思い出なんか一つもないんだ。俺はいつだって、広い場所に、自由になるとどうしていいか分からなくなっちまう。田舎から出てきたからね。で、農場に帰りたくなっちまう。俺には狭い世界が合ってるんだ。楽しそうにしてる奴らより、不機嫌な奴らが好きなんだ。ガキのころから、殴られてる方が性にあうのさ」
いま考えれば、それが南波さんと話したなかで、いちばん鮮明に覚えている会話だった。南波さんが自分の胸の内をみせたのは、後にも先にもそのときだけだった 。
そうやって僕はなるべく農場に帰らないように過ごしていたわけだけど、その作戦がうまくいったのは短いあいだだけだった。一か月もしないうちに、僕はけっきょく、凛々子さんにつかまることになった。
その日は佐田さんと一緒に街を回る日で、僕はビアクルにいつもより少なめの積み荷を積んで農場を出るところだった。ところが、ビアクルに表示された積載量はほとんどいつもと変わらない。僕が誰か大型の農具かなんかを積んだままにしていないか調べていたら、佐田さんが僕にビアクルの後部座席を指さした。
「誰かいるぜ」
僕が後ろをのぞくと、そこには凛々子さんの姿があった。佐田さんは言葉を失った僕のかわりに後部座席のドアを開けると、凛々子さんにこう言った。
「ついてきてもらっちゃ困ります」
それがあまりに落ち着いていたので、凛々子さんと佐田さんが知り合いなのだと気が付くまでに時間はかからなかった。
「だって、北川も『K』さんも逃げ回ってばかりじゃないの」
それを聞いて、佐田さんはあきれたようにこう言った。
「北川も、ねえ……。人を困らせるのが問題の解決方法だと思ってるんなら、そいつは違いますぜ、お嬢さん」
「夫婦なのよ、おかしいじゃない」
「ボスのお許しがない夫婦は夫婦とは言わんのですぜ、この世界では。それに北川さんが本当にあなたを好きなら、いまごろとっくにあなたに会ってるでしょうよ」
それを聞いて、僕はあのときの北川さんの表情を思い出しつつ、少しうつむいた凛々子さんを気の毒に思った。同時に、ははあ、これはギャングの世界の話なのだな、ということもうっすら理解した。やがて凛々子さんはもごもごとこう言った。
「この世界って、あなたはうちの人間じゃないじゃない」
それを聞いて、僕は思わず佐田さんを見た。なぜなら、佐田さんは僕の監視役としてギャング団からきた人間だと思っていたからだ。佐田さんはそれを見透かしたように僕にニヤリと笑ってみせた。
「外の人間だから分かることってもあるんでさぁね、あの小さかったお嬢さんがねえ」
その言葉で悔しさのために涙ぐんだ凛々子さんを見て、僕は思わずこう言った。
「なんで北川さんに会わないんです? ここに乗り込むより、ずっと簡単に会えるのに」
それは、会えば北川さんの真意などすぐ分ると思ったからだ。いまから思えば、北川さんがあの乱闘騒ぎのとき、僕に「いまごろ女房に逃げられてる」と言ったのは、自分に対しての言葉だと分かった。北川さんは、ほんとうは凛々子さんを愛しているんだ。
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