地球に転生した魔法使いの僕は厄介事に巻き込まれやすいようです

その魔法使いは旧きお伽噺話を解明し、滅ぼす。
嵩枦 燐
嵩枦 燐

第四話

公開日時: 2020年9月9日(水) 12:06
更新日時: 2020年9月9日(水) 14:05
文字数:9,240

こんにちわ、嵩枦燐です。

18時に投稿と言いましたが、気が変わり、お昼に投稿します。

では、第四話です。




軽く仮眠したお陰で少し疲れも取れた気がしながら意識が徐々に覚醒していく。

瞼を開けて、周囲を見渡すと時間はそれほど経過した様子はなく、窓から外を見ると日はまだ隠れず、太陽光は挿していた。

いつまでもエントランスに留まっていても退屈と思い、首と肩を手で軽く揉みほぐすと、洸は自分の部屋に帰ろうとソファーから腰を上げた。

すると、


「皆縞」


名前を呼ばれ、声の方へと顔を向ける。

そこには波瑠の部屋へ行った観月が立っていた。


「弥生さん?どうしたんですか?夜谷の部屋に行ったんじゃ……」

「波瑠の見舞いは済んだよ。今は遥菜に見ても貰ってる」

「そうですか…。それでどうしたんですか?わざわざ、またエントランスまで戻ってきて。僕に要件でも?」

「あぁ、ちょっと話をしようと思ってね」


観月がさっきまで洸の座っていたソファーの反対側の席に移動した。

何となく観月の雰囲気から長い話になるかもしれないと、洸は再びソファーに座り直した。

観月もソファーに腰を下ろし話を切り出した。


「皆縞……あの"結界"はアンタの仕業かい?」

「結界って……弥生さん、何のお話ですか?」

「惚けるのは無しにしようじゃないか?私も確証がある訳じゃないけどさ。でも、状況的にあんな代物、張れるのはアンタしか居ないんだよ」


実際、こういったものは状況証拠での判断しかない。

霊力感知に優れた術者ならば、霊力の波長や質を感じ取り、個人を特定出来るらしいが、生憎と観月にはそんな優れた第六感や異能は持ち得てはいない。

だから、状況的な推察と勘でしか指摘出来なかった。


「アンタにも事情があるんだろうから詮索はしない。けど、残念な事にアンタは私と波瑠の事情に巻き込まれちまった。何にも知らないのは拙いんじゃないかい?」

「……」


観月の疑問に洸は考え込む仕草をして口は開かない。

無言は彼女の疑問と指摘を肯定してしまっているように見えるが内心どうか定かではない。

こちらの情報を明かすのは観月にとっても賭けであった。


「この村に居る間だけで良いんだ。頼むから力を貸しちゃくれないかい?」


洸へ観月が頭を下げる。

彼女の姿勢に洸は目を丸くし驚きを顕にすると、思考するように目を瞑った。

暫しの間、沈黙が二人の間を支配すると洸の方から「ふぅ…」と諦めた様な溜息が漏れる。

観月が顔を上げると、洸が困った様な笑みを浮かべていた。


「……解りました。状況が状況です。弥生さんから話して頂けるなら願ってもないですし、互いに隠しごとは無しにしましょう」


頭を下げて村に居るまでと観月側が譲歩しているのだから洸としても意固地に情報を隠す必要もない。

元々、事の対応には観月の持つ情報は不可欠なのだから。


「では、まず弥生さんの情報を明かしてもらう前に僕の情報から明かしましょう」


と言っても話すのは洸自身の力の事ではなく、村で今に至るまで降り掛かった厄介事の顛末である。


「まぁ、さっきの霧の中での話ですけど。着物姿の女性と少女二人、計三人に襲われました。最初に仕掛けてきたのは女性で、弥生さんの姿に化けて近づいてきました」

「なっ…!?」


己の偽物に襲われたという洸の言葉に観月が驚愕の声を上げた。

普段なら自分に化けられるなど想像もしないだろうから彼女が驚くのも無理はない。


「少女二人が幻術使いの様でしたから、そちらが女性に術を掛けたのでしょう。尤も……」


洸は話を続けながらじっと観月の顔を伺うように見て言った。


「女性自体、弥生さんに良く"似ていました"から。然程、手間は掛かっていなかったかと」

「っ……」


洸の発言に観月が息を呑むのを感じた。

彼女の様子に洸は「もしや?」と推察していた事が当たっていたのを半ば確信する。

追求はせず、話を進める。


「少なからず、現状、此方が対応しないといけな相手は三人です。僕の見立てではそこそこの相手だとは思いますが……警戒するには越したことはないでしょう」


正直、洸にとって仕掛けてきた三人は脅威足り得ない。間違いなく相対すれば、自分に軍配は上がると確信する。慢心ではなく、事実として負ける事はない。


「けど、この土地に"封じられてるモノ"が介入してくるなら話は別です」

「……皆縞……アンタ、どこまで…」


洸の発言に観月は絶句する。彼が示した事は観月がこれから話そうしていた事情に含まれていた。

口振りからすると、この土地に何があるのか分かっている様子すらある。


「きっとあの樹が関わりあるのかな?それが今回の一件に関係……いえ、それが総ての根幹なんじゃないですか?」

「……」


恐ろしいと、観月が表情に出さず内心震えた。

まだ、この土地に来てたった2日にも、関わらず目の前の少年はそれだけの期間だけでこの地に纏わる忌まわしき過去の因縁を暴きかけている。

現代人なら気が遠くなる様な昔から何世代にも渡り、隠してきた秘密が白日の下となろうとしていた。


「……良くいるんだよねぇ…いつの時代にも、アンタみたいな奴が…」


観月が飽きれた様に呟いた。

僅かな情報からの洞察力に現代術者が張れるか分からないレベルでの結界を容易く構築するなど並みではない。

天才、等と陳腐な言葉で片付けられない。

古来から名を遺すような偉人は大抵、そのような素養を持つ者が多かった。


「そこまで推察出来てるなら、話す手間も然程なさそうだね」

「いえ。外観だけの憶測ですから、詳しく知りたいんですよ。弥生さんの正体も含めて」

「そうかい…じゃあ、そろそろ話すとしようか?」


観月は深々とソファーの背に身体を預け、昔懐かしそうに…何処か悲哀と後悔を滲ませた口調で語りだす。


「気の遠くなる昔さ。まだこの国は"大和"と呼ばれていて、都が平城京にあった頃の話だよ」


千年に及ぶ遠き過去が紐解かれる。




時は奈良。

人と魔が隣人の如く共にあり、都がまだ平城にあった時代。


とある里に大層美しい姫君がいた。

姫はどんな怪我や病を立ちどころ癒す不思議な力を持っており、身分の差に関わらず、傷つき弱った者を癒しては人々に感謝されていた。


そんなある日の事だった。

彼女の住まう屋敷に男が現れた。

男は己の事を平城より東方にある山の|主《カミ》だと名乗り、都を造営する際に山林から木を切り取る見返りとして姫の身柄を要求してきた。


当時、|帝《みかど》の命により、首都を長岡へ遷都しようと古今東西より必要な物資を集めていた。

里長たる姫の父は木材の収集を帝に任じられ、山々を切り開いて木々を伐採していたのだ。

その対価として、山ノ神は姫の身柄を寄越せと告げにきたのだった。


しかし、それはあくまで建前。

山ノ神の狙いは姫の身に宿る血であった。

姫の力は所謂、先祖還りと呼ばれるもので神の血脈に由来するものだった。

神と人を繋ぐ霊血"。

山ノ神……否、天津神との争いに敗けた国津神の"荒神"は虎視眈々とこの機会を狙っていたのだ。

事態を重く見た時の帝は姫を渡せば、世に災いが降り掛かるものとし、荒神を討伐しようとした。


神とはいえ、もはや世に災いを振りまく|鬼《カミ》となった存在を討つのは容易な事ではない。

兵を募っても只の人間では無駄な犠牲となるは必定。

故に 帝は専門家達にこの難事を任せた。

陰陽寮の陰陽師ではなく、|鬼《カミ》を斬る事を生業とする者達……"鬼切り"と云われる集団に。


けれども、主の力は彼らが思うよりも強大であり、第一陣で送った鬼切りは立ちどころに壊滅し、彼らだけでは主を討つのは不可能となった。

里長衆は知恵を捻り、この主を封じようと鬼切りとは別の隠者を頼った。

当代一の験力を持つと云われる法師に助力を請い、激しく長い戦いの末どうにか封ずることには成功した。


だが、悠久に掛けられる封印等、この世に存在しない。時の移ろいと共に封印も綻び、鬼は土地に再臨する。その時、法師と同等の験力を持つ術者が現れているとは限らない。


確実性を期すには…他の要因が必要であった。

そこで、騒動の原因となった姫は己を"人柱"として悠久とはいかずとも長き封印を施せないかと提案をした。

その提案を受け、法師は鬼は山ノ神の性質を持つが故、その土地に縛りつけ、封印の基軸に法師自身が用意した菩提樹の苗木を用いて、五行相剋の理を以て鬼の力を削ごうとした。

やがて樹と人柱となる姫の血の力によって鬼を自然の環の中へ返そうとしたのだ。


目論見は実を結び。

封印の菩提樹は山林の奥深くに埋もれ、以降1200年の間、誰の目にも触れる事なく、封印は守られ続け、役目を果たしているだった。


「それが私の知っている過去さ。救われるべき者は救われず。救うはずだった私達が逆に救われた。何とも不甲斐ない話だよ」


と、最後にそう締めくくると。

観月は話疲れたかの、脱力して身体をソファーへと預けて、瞼を瞑った。

観月が話し終わるのを見計らい、洸が口を開いた。


「その人柱となったお姫様?が夜谷のご先祖ですか?」

「血筋はそうさ。昔は女は早婚が暗黙の了解だったけど、仮にも里長の娘だからね。婚姻相手はかなり吟味されてたから姫はまだ未婚だったよ。だから彼女の子孫って訳じゃないよ?」

「なるほど。元々、その里の一族は特殊な血を発現する血筋…ということですか?」

「そうだねぇ。神代に遡れば…菊理媛神の血縁に当たるからね。稀に全く関係ない家系に現れた事があったよ。血筋的に発現しやすいかもしれないけど、姫のアレは一種の先祖還りだからね。誰もが姫や波瑠と同じくらいの濃い血を継ぐとは限らないよ」


それこそ、姫の様に血の力を上手く使いこなし、治癒能力を発現した人間は観月の知る限り、一人もいない。


「話しぶりから、そのお姫様と弥生さんは親しかったのですか?」

「里同士で交流があってね。昔は私達みたいな"山丿民'、昔の言い方だと"隠者"と仲が良かったのさ」

「"隠者"ですか?」

「アンタなら察しは付いてるだろ?所謂、鬼や妖の血が流れる者達さ」


大和と呼ばれていた日本はまだ神秘が身近にあった時代であった。

今でこそ、鬼、妖と言われる者達の中にも人の姿をした者は多く、暗黙の下、天皇の治世で幾つもの隠れ里を形成し、生きていた。


「……弥生さん…今、何歳ですか?」

「皆縞…女の歳は聞かないのが利口だよ?」


ソファーに凭れながら、観月が顔を洸に向ける。

彼女の口元は笑みを浮かべているのに、目は笑っていない表情に異様な威圧を覚えると、話を別に切り替えた。


「弥生さんの一族は今もこの辺りに?」

「いいや、残念ながら、もう山ノ民達の各里は無いよ。平安中期くらいに私達の力を恐れた帝が兵を率いて攻めてきてね。私や妹は命からがら逃げ延びたけど皆、滅ぼされてしまったよ」


更に話しの流れが悪くなり、洸は罰の悪そうな表情を浮かべながら視線を泳がせた。

そんな洸の様子に苦笑いにしながら声を掛ける。


「気にする必要はないよ。時流さ」

「そうですか」


洸はそれ以上の追求はしなかった。


「私自身、まだ蟠りがないか…と言ったら嘘だけどね。今更、仇討ちってもさ、誰も得しないよ」

「鬼切りってまだ現存してるんですか?」

「してるさ。現代社会の裏で動いてるよ。アンタみたいな術者にとっちゃ、商売敵みたいなものかね?」

「別にこの力で生計を立てるつもりありませんよ?」


このまま誰に知られる事なく使わない事を祈っていたくらいだ。

でも、世界は洸の考えを容認してはくれないらしい。

現にとびっきりの機会?の場を用意してきた。

忌々しい事、この上ない。


「アンタにその気は無くても、向こうがどうだか分からないさ。まぁ、今の鬼切り役達はそれどころじゃないだろうけど」

「何かあったんですか?」

「あいつらの纏め役、今代の鬼切ノ頭が亡くなったんだよ。今は鬼切り役十二家から次の頭領を誰にするか選別に忙しいんじゃないかね?」

「此処で起きている事の方が一大事だと思いますけど?」

「私らの常識が通じない世界さ。それに奴らは主の件については恐らく何も知らないよ。なにせ1200年前の事だ。長命な私みたいな輩じゃなけりゃ、口伝か紙媒体で遺す程度だろうし。今代の鬼切り役は誰も封印の事を把握しちゃいない。してたとしても、今の事態を収拾出来るほどの術者はいないよ」


知っていれば、国家の一大事だと頭領を決めるよりも此方を優先して然るべきだ。

その動きがないという事は知らないか、動かせる人材か居ないかの二つ、或いは両方とも考えられた。


「何れにせよ、だ。連中が仕掛けてきた。どうする?」

「1200年間、沈黙していたのに今更動き出したということは封印が剥がれかけてるか、もしくは術の効力が実を結び、"主"の天命が尽きかけてるかの、どちらかでしょう。後者だった場合、相手も手段を選びませんから、一般人が怪我する前に移動するのが得策かと」

「予定より早いけど、やっぱり引き上げるべきかい?」

「長く留まる程に此方が不利です。地の利は相手にある」

「私もここ等辺りには詳しいよ?」

「地理の問題はそうでも、向こうは恐らく幾つか罠を仕掛けています」


時間はたっぷりあったのだ。

主の配下と思しき三人も観月と同様に長い時を生きている可能性は充分に考えられる。

他にも仕掛けを施していても不思議はない。 


「一応、僕も部屋に仕掛けておきましたが、万全とはいえません。明日、明後日中にでも此処を離れましょう」

「そうだね。そうするとしよう」


急な予定変更で遥菜が文句を言ってくるかもしれないが、波瑠の身柄の安全が最優先だ。

例え何を言われようとも、今は土地から離れる事が重要であると、洸と観月の二人は村から出る事を決断した。



そして。

月明かりのない夜が訪れ、少ない村内の家々の明かりは消えていく中。

住人達が寝静まる家の内の一軒家に3つの人影が浮かび上がる。

影の正体は昼間、洸と波瑠を襲った着物姿の女性と少女達。

妖しく瞳を輝かせて、洸達の泊まる宿屋を見据えているながら、女性が苦々しい表情を浮かべている。


「何だい?…あの結界は…?」


見る者が見れば分かる。

洸が波瑠の部屋に張った結界は簡単に解けるモノでも壊せるモノでもない。


「アレを壊すのは少しばかり無理があるねぇ…さて、どうしたものか…」


チラリと隣に座る瓜二つの少女達へ視線を向ける。


「貴女が仕損じたのがいけないの」

「お陰で番犬とは違う厄介者の相手をしないといけないわ」


双子の少女は其々、女性に対して文句を口にする。

言い返してやりたいのは山々だが、生憎と見た目と違い、少女達の方が遥かに歳上で場数も踏んでいる。

更に彼女達の指摘通り、対象者を攫えなかったのは女性自身の力量不足だった為に反論は出来なかった。


「じゃあ、どうするんだい?このまま手をこまねいて、見てるだけかい?」

「まさか…。ちゃんと策は講じているわよ」


誘拐が失敗したが、それはそれ。

別の策に切り替えれば良い話。

仕込む時間も隙も十二分にあった。


「芽吹くのもそろそろ。その時に貴女にも働いてもらうから大人しくしていなさいな」

「次は失敗しないでね?」


住民が寝静まるこの時間を待っていた。

時計が示す針は午前二時…草木も眠り、魔性が蠢く丑三つ時だ。

そして、少女達が仕掛けた術が発動するのもこのタイミング。

尤も自分達の力が強まる時期を狙ったのだ。

想定していなかった存在を確実に排除する為に。


「あの娘は"鍵"。我らが主様が力と栄誉を取り戻す為の大事な大事な贄の器」

「あの娘さえ手に入れれば、此方の勝ち。復活した主様の手によって世界は未来永劫の闇の世界となる。そうなれば、鬼切りも番犬も有象無象は塵同然」


たった一人の人間の娘によって千年もの間封じられた主を解放するのは、また人間の娘。

古き神の血を産まれながら宿す尊き媛巫女。

千年の時を経て、漸く雌伏を終える日が来たのだ。


「私達の千二百年の宿願」

「此処に漸く成就するわ」


時が来るのを待ち遠しそうに。

双子の少女は闇の中で心底愉しそうに嗤う。

童女と思えぬ妖しい笑み。

隣に立つ女性もゾクリと背筋が冷えるような感覚を覚えた。


そして次の瞬間。

離れている洸達の宿屋の方からパリンと硝子が割れる音が鳴った。

まるで、それが合図かのように双子が即座に立ち上がる。


「「さぁ、鬼ごっこの始まりよ」」


宴の始まりを告げる様に声を揃えて言った。




事が起こる数分前。

防御が施された波瑠の部屋に誰かが踏みいっていた。

宿屋から貸し出されている浴衣を纏う人影。

ゆらゆらと身体を少しふらつかせ、まるで夢遊病者の様に遥菜が波瑠の眠る布団へ向かう。

布団の側に座り込むと、寝息を立てて起きる素振りの欠片もない波瑠を虚ろな瞳で眺めながら、彼女の身体へ手を伸ばそうとすると……


「そこまでだ」


パタンと波瑠の部屋の扉が開け放たれた。

冷静だが威嚇を孕んだ男の声音に、遥菜の手がピタリと止まる。

体勢はそのままに後ろを振り返った。


「やっぱり精神操作の類いを掛けていた、か」


そこに立っていたのは洸。

普段と同じ温厚な表情をしているが眼は鋭く剣呑な空気を漂わせ、遥菜を見貫いていた。

彼女の奥底を見定めるかのように。


「可能性としては考慮していたが当たって欲しくはなかったパターンだな、これは」


やれやれと首を振りながらも、苦々しげな口調で洸は遥菜へ距離を詰めていく。遥菜は虚ろな瞳のままだが、身体を機敏に動かして波瑠の上半身を起き上がらせると彼女を盾にする様に背後へ回った。


『本当に聡い小僧こぞうだこと…やはりお前を相手するのは面倒ね。退散させてもらうわ』

「逃がすと思うか?」


既に洸は臨戦態勢。

精神操作で傀儡にしていて、身体の制限を緩めていようとも取り押さえる事は今の彼には造作もない。


『いいえ…お前は私達を逃すわ。下手な真似をすれば"この身体むすめ"の命は無いわよ?』


傀儡化した遥菜が袖口から果物ナイフを取り出して自身の首筋に当てた。

張り詰められていた空気が一層深まる中、部屋の外からドタドタと足音が近づいてきた。


「波瑠!!」


観月が浴衣を少し乱れさせて慌てて、部屋へと乱入する。

遥菜が自分の首筋へとナイフを当てている姿を見て、ある程度察したのか、険しい顔つきで静かに洸の隣へ移動した。


「状況は?」

「部長が人質に取られました。迂闊な事は出来ません」

「アンタの魔法とやらで身体を拘束出来ないのかい?」


そうしたいのは山々だが生憎とその方法は使えない。

洸が首を振って否定すると、遥菜が口元に彼女らしからぬ笑みを浮かべる。


『如何にその小僧が奇妙な力を使うても、この距離ならナイフが喉を裂くのが早い。それに小僧、お前の力は"言霊"を介したもの。何の力もない小娘相手に使えないはず』


洸の魔法の一部情報は割れて、分析されていた。

遥菜を操る者の指摘は正しい。

洸自身も遥菜に使う気は更々なかった。

何の力もない人間に偽観月へ使った魔法を使用するのはリスクが高い。


『この状況はお前達の油断が招いたモノよ。無様ね、媛巫女にしか注意を向けなかったのは失策だわ』

「…っ」


遥菜越しで何者かが観月の事を嘲笑う。

悔しげに今にも飛び掛かっていきそうなのを、洸は片手で制しつつ、相手の出方を伺う。


「そう簡単に逃がすとでも?」

『えぇ…小僧こぞう、確かにお前は脅威だわ。その気になれば私達を捕らえる等、造作もないでしょう。けれど、ここは人里…攻術を使う訳にもいかないわよね?拘束の術を使おうにも、この身体が催眠以外の術を仕込まれていないか、分からないものね?』


確かに傀儡にする術以外にも遥菜の肉体に他の術が仕込まれているか、否かは洸を以てしても総て把握出来る訳ではない。

巧みに隠蔽されていたら、洸の眼でも読み解くのは不可能だ。

解析の魔法を使用しなければ、詳しく分からない。


『尤も此方も此処から逃げ果せる支度は全て完了しているから。お前達が何をしようともう手遅れよ』

「……アンタ…一体何をしたんだい!」

『さぁね。精々楽しみなさいな』


と、言い放った次の瞬間。

操られた遥菜が波瑠を抱えて踵を返し、窓から外へと飛び出した。

慌てて洸と観月は窓際へ駆け寄り、外を見ると、二人は村の歩道を素早く移動し去っていく。


「後手に回りましたね」

「言ってる場合かい!早く追いかけるよ!」

「そう上手くいかないようですよ……」


険しい表情で返事をした洸の視線の先を観月も追った。


「…なんだい、こりゃ……」

「見た通りです。想像よりも地の利は向こうにあったようです。まさか、村の住人"全て"を傀儡にしていたとは…」


真夜中であるにも関わらず、宿屋の周りを囲む様に、又目指すように集ってくる住人達。

全員が夢遊病患者という事はないだろう。

フラフラと意志のない足取りながらも真っ直ぐ宿屋に集結しようとしているのを見れば、敵の傀儡と化しているのは明らかであった。


「…くっ…つくづくムカつくやり口だね、アイツらは!」

「でも、一番効果的ですよ。村の人達をこのままにしておけません」

「ちっ…!どうする?全員相手にしてる暇はないよ!?」


観月の言うように傀儡程度に妨害されている時間はない。早急に遥菜を追わねば、二人とも無事に済む保証は何処にもありはしない。


「仕方ありません。余り此方の手札を見せたくありませんが、背に腹は変えられませんし」 


人命が掛かっているからには個人の私情を優先する時ではない。


ςοΣμⁿοςソムノス


詠唱を口にすると同時に巨大な魔法陣が視界に広がる空へ展開され、そこから魔力がオーロラ状に周辺にいた傀儡化した人間に降り注がれていった。

すると、ゆっくりと操られていた人間達が地面に倒れていく。

眠りの効果を付与された魔力の光が彼らを強制的に夢の世界へと陥れた。


「これでだいぶ数は減ったでしょう?」

「普通は複数人に術を掛けるには準備が必要なはずなんだけどねぇ……」


村の規模とはいえ、数十人単位、広範囲へ術の効果を及ぼすには事前の準備が必要不可欠になる。

この世界の魔法では、ただの詠唱と魔法陣等の術式展開だけでは出来ないのだ。


「後は道すがら邪魔になる人達は気絶させながら行きましょう」

「今のを移動しながらやればいいじゃないのさ」

「魔力の消費は出来る限り避けたいので」


村全体に掛けても保有魔力の一割程度にも満たないだろう。

しかし、これからは初の"実戦"に突入する。僅かでも魔力の消費は避けておくのが無難であった。


「さ、早く部長達を追いかけましょう」

「逃げた方向は分かるのかい?」

「念の為、夜谷には魔法でマーキング付けといてましたから」

「ほんとに抜け目ないね」

「護衛とかの基本だと思いますけど?」

「普通の中学生はそこまで頭は回りはしないよ」


パシッと肩を叩くと観月が割られた窓枠から外へと降りていった。


「行くよ!先導しておくれ!」


洸は頷き返すと、自身も窓枠に足を掛けて外へ飛び出した。

観月の隣近くに降り立つと、波瑠に付けた魔法の印の気配を探る。

反応のある方に視線を向けると脚に力を入れて走り出す。

観月も洸の後を追随し、村の道を駆け抜ける。

途中、傀儡化した人間に行先を阻まれるが、動揺することなく確実に怪我させることはせずに行動不能にしていきながら、波瑠の元へ向かっていった。




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