こんばんは、リンです。
本日二話目の投稿となります。
次は22時を予定しております。
無事に森の中の屋敷から旅館に戻ると、玄関先で思わぬ人物が洸と波瑠を待ち構えていた。
日本人顔なのに珍しい銀髪、ラフな格好に首からカメラを提げた女性。
波瑠に気付くと気安い微笑みを浮かべながら軽く手を振りつつ、二人に近寄ってくる。
「よっ!波瑠。待たせたね。皆縞の方は久し振りかな?」
「ご無沙汰しています、弥生さん」
気軽な声音で挨拶をしてきた女性に洸は軽く頭を下げて返した。
弥生 観月…波瑠の母親の友人でその母親亡き後、波瑠の後見人を務めている、フリージャーナリストの女性である。
「悪いね。波瑠の事情に付き合わせて」
「いいえ、そんな。旅費を出して頂いたんです。手伝うくらい訳ないですよ」
援助してもらっとおいて何もしないのは罰当たりだ。
「観月さん、予定だと三時くらいって言ってたのに早くないかしら?」
「公共機関じゃなくて車で来たんだよ。丁度近くで仕事もあったし、こっちの方が早いだろ?」
指で狭い駐車場に停車されている赤い軽自動車を指差した。
確かに車ならば時間の縛りもないので早く来れるのも納得だ。
「屋敷の方は確認出来た?」
「皆縞君と一緒に見てきたわ。特に高価な物も置いてなかったけど?」
「そう…。屋敷を見て何か思い出した事はあったかい?」
観月に尋ねられ、波瑠は首を横に振った。
「懐かしいって感じはしたけど、何も思い出せなかったわね」
「仕方ないね。波瑠、ちっちゃかったし」
会話から察するに波瑠の忘れた幼少期の事だと分かった。
波瑠の母親の友人である観月なら、父親とも面識があり、屋敷にも足を運んだことがあるように聞いているので、波瑠の忘却した記憶の思い出を知っていても不思議ではない。
「ま、それはさておき。早速、明日の打ち合わせでもしようかね?特に、皆縞には悪いけど唯一の男手だ。馬車馬の様にこき使うから覚悟しな」
「余りに無茶な事じゃない限り、引き受けますよ」
実際、人手が必要になるのも事実だ。
最悪、この場に居ない遥菜にも協力してもらう必要が出てくる。
「じゃあ、いつまでも玄関先に居るのもなんだし、中に入ろうか。私の部屋で今後どうするか話し合おう」
「弥生さん、私と同室じゃないの?」
「そっちには遥菜もいるだろう?三人も入ったら手狭じゃないか。私は一人部屋を取らせてもらったよ」
そこまで規模が大きい旅館でもない。
部屋の広さを考慮するなら余程来客が多い状況でない限りは三人も同じ部屋に泊めるといった事は起きないだろう。
「そういえば、遥菜はどうしたんだい?一緒に屋敷の方へ行ったんじゃないの?」
「一応、僕達もこの土地に来た目的がありますので。先輩にはそちらの方を頑張ってもらってます」
「あぁ…活動の資料集めね。私も学生時代苦労させられたわ」
昔を懐かしむ様に遠い目をして観月が言った。
「なら、あいつは抜きで話を進めようか」
「そうして頂けるなら助かります。本当に必要になった場合は召喚しますので」
と、言っても遥菜が必要になるの屋敷を保存するという決定を観月と波瑠が下した時だ。
当初は解体する形で話している様子であったが、場所が場所なだけに解体費だけでもかなり掛かりそうである。
保存するにしても荒れに荒れている屋敷の修繕や清掃は人手が多いに必要になる為、遥菜も招聘しなければならない。
洸と波瑠は観月に促されるまま旅館へと入り、特に手荷物など持ち歩いてはいなかったので真っ直ぐ咲夜の泊まる部屋へと赴き、そのまま話し合いを行い始める。
「土地の調査といってもね。私の方で粗方調べ尽くしはしたんだよ」
「へ?そうなんですか?」
「あぁ。結論を言うとあの辺一帯の森林は夜谷家の資産になってる」
「えっ…あの辺一帯がですか?」
洸も波瑠も愕然とした。
正直全体の半数割以上は国有地になっているとばかり思っていたが広大な森林全てが夜谷家の土地とは予想も付かなかった。
「夜谷の家って意外に金持ちだったのか…」
「一般家庭と同じくらいだと思うわよ?確かに貯蓄はかなりあるけど、そこまで裕福な生活をしてないし」
事実、波瑠と亡き母二人の生活は質素なもので毎日贅沢できるほどの財力は持ち得てはいなかった。
先に亡くなった父親の莫大な保険金もほぼ手付かず状態でお金が無いわけではなかったが、そこまで裕福な生活を送ることもなく、保険金は波瑠の後の進学費用にと銀行に預けられたままである。
「瑠璃も忠雄さんも欲が無い人達だったからねぇ」
「土地を売るという考えもなかったんですかね?」
「ここいらの土地なんて競売に出してもニ束三文の安値を付けても買う輩なんていないさ」
僻地の森林の土地など活用するにしても精々、農林業を営む辺りが限界だろう。
始めるにも手続きや開発資金、人件費がやはり必要になる為、金銭面で現実的ではない。
「じゃあ、どうするんですか?」
「相続手続きや税金対策とかの面倒ごとは私の知り合いの弁護士や税理士に投げたよ。ただこっちも何もしないってのは拙いから、森にある屋敷の中はある程度片付けとかないと」
「……確かに、あの状態で放っておくのは拙いですね…」
法律的な問題はどうすることも出来ないので仕方ない。
だが、森林内にある屋敷は長年手入れされていないことが明白なほど、荒れ果てていた。
森林に生息する動物達の棲家になっていても不思議はない。
波瑠にとって唯一の家族全員で過ごした場所であり、記憶が薄れ、忘却していようとも彼女には特別な場所の一つには違いないだろうから、残せるならば残してやりたくもなる。
(あれを綺麗にするとなるとかなりの労力だな…)
思い出すだけで作業もしていないのに疲れを感じた。
たった四人で本気で清掃や修繕するとなると数日は掛かるだろう。
(旧い建物だから老朽化も進行しているようだしな……まぁ、そこは上手くやるか)
請け負った以上は最善を尽くすべきだ。
清掃する分には問題ないが建物の経年劣化は如何し難い。修繕しようにも道具や物がない以上、手出しが出来ないが、手が無いなら"他のモノ"で補えば良い。
「明日から早速始めますか?」
「話を聞く限り、さっさと始めないと折角の休みを1日、2日は食い潰しそうだし、そうしようか」
「では、その旨を帰ってきた先輩に伝えて貰えるか、夜谷?あの人、夕飯ぐらいまで帰ってこないだろうから」
洸の頼みに波瑠はコクリと頷き返した。
取り敢えず明日の行動方針を簡単に決めると、その場はお開きとなり、洸や波瑠は其々の部屋へ戻る事にした。
言い方は悪いが娯楽と呼べるものはほぼ無いので暇を潰すにしても持ってきた読み掛けの本を読むことくらいなので、一人部屋で夕飯まで読書に時間を費やす。
夕飯を食べ終わると、直ぐに風呂に入り、早々と敷かれた布団に潜り込んだ。
折角の旅行ではあるが、今回の洸や遥菜は波瑠の付き添いに過ぎない。
さっさと寝てしまい、明日の作業の為に英気を養うのが健全である。
でも、余りに早く就寝したせいか、洸の眼は中途半端な夜中にパチリと醒めてしまった。
カーテンを閉め忘れて窓から挿し入る月明かりで部屋の時計の時刻を確認すると午前一時。
本当に変な時間に起きてしまったものだと、軽く溜息を吐きながら洸は布団から立ち上がった。
(眠気が来るまで暇を潰すか……)
部屋から出ると階段降りて旅館のエントランスに向かう。ホテルの様に決して広いとは言い難いが、訪れた客や帰る客が少し休憩するには十分なスペースはあるし、腰掛けるソファーや自販機も完備されている。
通常業務は終了しているので受付に人はいない。
誰に迷惑を掛ける訳もなく、再び眠たくなるまで一人で暇を潰すには最適な場所であった。
(ん? あれは……)
静かな足取りでエントランスに入ると、設置されたソファーには先客が居た。旅館の部屋に備え付けられていた浴衣を纏っているが後ろ姿のシルエットに何処か覚えがある。
「夜谷。何してんだ? こんな時間に」
「えっ? 」
座る珍しい浴衣姿の美少女に声を掛けると、彼女は驚きのまま、洸の方へ振り返った。
「眠れないのか?」
「うん……ちょっと。皆縞くんも?」
「あぁ、いつもより早く就寝して目が覚めた」
返答し財布を取り出し自販機の前に立つと、硬貨を入れて適当な飲み物を二本買う。
「ほらっ」
買った二本のジュースの内、一本を洸は波瑠へと放った。緩やかな放物線を描きながら飛んできたそれを、波瑠は「わっ」と驚きの声を漏らしながらもしっかりとキャッチする。
「ありがとう。頂くわね?」
お礼を言って波瑠はジュース缶のプルタブを起こし、飲む。
洸も波瑠の反対側にあるソファーに腰掛け、自分のジュースを飲み始めた。
少し一息を吐くと洸の方から口を開く。
「先輩、ちゃんと帰ってきてたか?」
「え? うん、大丈夫。結構遅くまで調べてたみたいだけど」
遥菜の主目的がフィールドワークによる情報収集なのは了解済みだが、あいにくとそれだけに集中させておく訳にもいかない。
旅費は全額、弥生持ちで今回の旅目的はあくまでも波瑠の手伝いである以上は、そちらを優先すべきである。
「先輩に明日の事は?」
「一応、伝えたけど、帰ってきた時には疲れてウトウトしてたから聞いてなかったかもしれないわね」
「よくもまぁ、見知らぬ土地で精魂尽きるまで歩き回れるな、あの人も」
その熱心さと執念深さにはある意味、敬服するが旅先で身体を壊されたら困る。
「人手が減るのは困るから少し自重してもらわないとな」
「こき使う気満々の発言ね。何気に酷いわよね、皆縞くんって」
「事実だからな」
猫の手も借りたいほどに切実だ。
脱落者が一人でも出たら負債は自分たちに重くのしかかる。
「まぁ、そこまで観月さんも本格的な片付けをしようと思ってないだろ。集中して一日掛かりでやれば終わるんじゃないか?」
「そうね」
洸の言葉に波瑠は相槌を打った。
掃除するといっても清掃道具を用意して来ている訳ではないので、精々がゴミの分別と屋内の整頓、後は掃き掃除くらいの簡単な作業に落ち着くだろうと予想している。
「残り日数使って活動報告のレポートに書き起こせそうなネタも集めなきゃならんしな」
「なんだかんだいっても部の事、考えてるわよね、皆縞くん」
「文系の部活でこれほど自由な部も珍しいからな。同時に大した活動もしてないから、毎年廃部になる可能性も尤も高い部だが……」
他所と違い、主な活動が不明確な部活だ
そも、民俗学などマイナーな分野であるはずなのに、同好会でなく、部として成り立っている時点でおかしい。
よくも、今の今まで存続されているものだと感心する。
「公然とサボれる場所が無くなるのは困る」
「む……真面目に活動している人の前でオブラートに包まずに良く言えるわね、そんな事」
洸の失礼な物言いに波瑠がジト目で見つめ非難する様に言う。
「数合わせで強制入部させられた俺の身になってくれ」
洸が苦笑を浮かべながら言い返す。
「仕方ないわよ。うちの中学、課外活動推奨で全校生徒は何らかの部活に所属が義務なんだから」
「面倒臭い校則だよなぁ。別に入りたい部活がない人間にとっては最悪だ」
「皆縞くんって運動神経良いんだから体育系の部活とか向いてそうなのに」
体育の授業などで遠目から見た限りでは、体育系の部活に所属しているクラスメイト並みにはスポーツ種目は全般的に卒なくこなしている印象がある。
「実際、一年の頃は誘われたりしてなかったかしら?」
「まぁな。。でも、体育会系の部活に興味がない」
「勿体無いわね。レギュラーに慣れそうなのに」
「チームプレイは苦手だからな」
授業と部活では真剣味が違う。
授業の体育はせいぜいお遊びだが、部活でもプレイしている人間はその競技が好きで熱意を持ってやっている。
興味も熱意もない人間が入れば、部活の雰囲気やチームプレイを台無しにするだけでいい事ないだろう。
「今の部に居るのが一番楽だよ」
「ウチの部は休憩所じゃないわよ?」
「分かってる。実際、結果は出してるんだから文句ないだろ?」
そうなのだ。
一見やる気の欠片も見えない洸だが、部にはしっかりと貢献していて、彼なりの考察を纏めた民俗学に関するレポートは出来が良く、顧問名義だが学会誌に取り上げられたりもしたことがある。
目に見えた成果を出されては批難は出来ない。
「そろそろ眠気が出てきたし戻るかな?夜谷はまだ起きてるか?」
と、言いながら洸が空き缶片手にソファーから立ち上がった。
「うん。もう少ししたら戻ろうかしら?」
「そうか。じゃ、お休み」
洸はゴミ箱へ空き缶を投げ捨てると、波瑠に就寝の挨拶をして立ち去っていっく。
波瑠はその後ろ姿に「お休みなさい」と言葉を掛けて洸を見送った。
次の日の朝。
洸らは再び森の屋敷へ足を踏み入れていた。
弥生が音頭を取って荒れ果てた屋敷の中の掃除を各々分担された持ち場で始めていく。
洸や波瑠は現場を見ていたので特に愚痴も零さず、淡々と清掃に入っていったが、遥菜は初めて訪れる廃れた場所にこれから始める掃除の難行を理解し、複雑な顔を浮かべながらもやむを得ず手を動かす。
「帰りたい」
「駄目です」
開始からそう時が経たず、遥菜が弱音を吐いた。
やれやれといった仕草と口調で彼女の近くで作業していた洸はピシャリと弱音を一刀両断した。
「只でさえ人手が足りないんです。逃げられると思いますか?」
「うぅ〜……」
「唸る余裕があるなら手を動かしてください」
無慈悲に言い放ちながら洸は着々と片付けていく。
「そうだよ、遥菜。旅費出したのも人手が欲しかったからなんだ。費用分は働いてもらうよ」
「はーいぃ〜」
旅費全額負担をしてもらっている以上、弥生には頭が上がらない。
渋々ではあるものの、遥菜も頑張って掃除していく。
四人も居れば荒れていた屋敷も徐々に綺麗に整っていき、昼頃には屋敷の半分ほどまで清掃が終わっていた。
丁度、お昼の時間になったのもあり、区切りもよく、四人は一度休憩を入れる。
旅館に頼んで作ってもらった弁当に各々箸を付けていく。
「予定よりも進んだねぇ〜」
「人手が増えたし、皆縞くんがテキパキ動いてくれてたからね?」
最小とはいえ、重量物の運搬に留まらず、整理整頓や清掃の大部分を洸は効率よく片していた。
「流石に慣れているな」
「あの部室に居たら嫌でも向上しますよ。寧ろ、先輩はもう少し効率的に動いて下さい」
「す、すまない……」
遥菜の言葉に洸は非難の視線を送りながら言い返す。
何しろ洸の入部当初、民俗学部の部室は正に片付けられない人が放置したままの荒れ果てた場所となっていた。
日を遮る閉め切られたカーテン、紙媒体は山の如く積まれ、一度も掃き、拭き掃除が為されていない室内。
何も思わずに過ごしていた遥菜へ洸が呆れを通り越して感心してしまうほど酷かったのだ。
それを綺麗に整理整頓、清掃したのが洸であり、今も部室の片付けは彼が主導で行なっていて、無駄に清掃スキルは向上されている。
遥菜に任せていたら酷くなる一方だからというのが実情でもある。
「午後一杯掛けたら終わりそうです」
「そうだね。片付いて集めたゴミは一箇所に集積しておこう。業者に連絡して持っていってもらうよ」
「業者、ここまで来れますかね?」
「私達で手搬送するには量が多いからね。何回も往復するよりはプロに任せとけばいいさ。地図、渡しとけば何とかなるだろう」
富士の樹海ほど森深い訳ではない。
大体の位置を書いて渡しておけば、持っていってくれるだろう。
「じゃあ、もう一踏ん張り、頑張ろうかね?」
「「「おぉ〜!」」」
昼御飯も食べ、充分に身体を休めると再び作業を開始した。
概略、手間の掛かる細かい部分は午前中のうちに四人(主に洸)で終わらせていたため、後は目につく部分をパパッと整理していくだけである。
後少しで終わるとなれば、モチベーションも上がるので午前中よりも経験を積んだ遥菜の動きもいい。
予想よりも早く整理整頓、清掃が瞬く間に片付いていっていた。
暫くして、それぞれ担当していた場所で午後から集めたゴミを袋に纏め、午前中に集積した玄関前へ持っていくと……
「あれ?遥菜、波瑠はどこいった?」
「はい?弥生先輩と一緒じゃなかったんですか?」
「いいや。皆縞は?」
「僕も見てませんが……」
波瑠だけが集合してこなかった。
皆それぞれ、彼女の姿も見ていないらしく、首を傾げる。
「一体、何処に行ったんだい?あの子は…」
「誰にも一言も言わずに消えるような奴じゃないですから、屋敷の周りを見てみますか?」
「そうしようか。あたしは屋敷の中をもう一度見るから皆縞と遥菜は周辺を見てきてくれるかい?」
弥生の頼みに洸と遥菜は頷き返すと左右に別れ、屋敷の周囲を探索していった。
近くの茂みなども確認してみたが、波瑠の姿を確認することはできず、屋敷の裏手に合流し、洸と遥菜は一緒に玄関へ戻った。
「どうだった二人とも?」
「近くの茂みも見ましたが全く姿がありません。弥生さんの方も何も見つからなかったみたいですね?」
「あぁ…たく、どこいっちまったんだい!」
弥生が焦燥を滲ませて声を荒らげる。
誰にも何も告げず、まるで霞みと如く姿を消したとなれば、焦りもする。
それが姪の様に可愛がってる娘なら尚更だ。
「もう少し捜索範囲を広げましょう。何か理由があって屋敷を離れて迷子になってるのかもしれません」
「大丈夫か?二次遭難の危険があるぞ?」
「このまま議論していても埒があきませんよ。それほど深い森でもありませんし、遠くまで行かなければ自力で戻ってこれるでしょう。先輩は一応屋敷に残っていて下さい。僕と弥生さんで探しに行きます」
弥生は何回かこの辺りに来ているし、洸も昨日、散策がてら波瑠と一緒に周辺をぶらついたので遥菜よりは多少地理を把握している。
波瑠が戻ってきた場合、誰か残っていないと大変である。
「それじゃあ、30分くらい回ってきますので。先輩大人しくしていてくださいよ?」
「子供扱いするな!」
フン!と鼻息荒く言い返してきた遥菜に洸は苦笑しながら弥生と二人、別々の方向へ森の中に足を進めていった。
実際、洸はあてもなく歩いている訳ではない。
もしかしたら?と思える心当たりがあり、その場所へ向かっていた。
草木を掻き分け、屋敷や弥生から少し離れると、途中、洸は足を止めた。
「起きているか、ルギヤ?」
自分の身体の真下。
木々に覆われ、僅かな木漏れ日によって出来た影へと話し掛ける。
周りに誰もいなければ独り言か、影に語り掛けている危険人物に見える。
しかし、そうはならず、洸の影が少しグニャリと不自然に動き出すと、ゆっくりと起き上がるように実体を為していく。
そう…まるでファンタジー小説にでる"魔法"のように。
「珍しいですな、|主《マスター》。|我《ワタシ》を喚び出すなんて」
形が決まると、それの口から人語が漏れた。
洸の影から出てきたのは一匹の黒猫。
金色の瞳に毛の艶よく、傍から見れば只の飼い猫にしか見えない。
「一体、どうしたのです?」
「人探しをしてる。昨日一緒にいた少女だ。お前の力を借りたい」
「やれやれ……主がやられた方が早いのでは?」
「僕の"使い魔"だろう?早くやってくれ。少しばかりイヤな予感がするんだ」
「はいはい…」
黒猫は人間臭く、投げやりな感じで相槌を打つと、周囲の匂いを嗅ぐ仕草をする。
「こっちですな。昨日、主と娘が行った大樹の方向です。何やら結界のようなモノが張られておるようですが?」
「…昨日、嫌な予感はしたんだよなぁ……」
洸は予想が当たり、陰鬱な溜息を吐いた。
「行くか。案内してくれ」
「宜しいのですか?下手に首を突っ込むと"また"厄介事に巻き込まれますぞ?」
「仕方ないだろ?あいにく同級生を見捨てるほど、薄情にはなったつもりはない」
洸の決断に黒猫はやれやれ、と呆れた様に頭を振りながらも、導く様に目的の方向へと進み始める。
暫く歩き、昨日訪れた大樹がある場所の近くまで来ると、黒猫がピタリと足を止めた。
尻を落として座り込むと前足をまっすぐ虚空へと伸ばした。
すると次の瞬間、バチリと伸ばした足先を拒絶する様に光が奔った。
"何か"に弾かれた前足を見詰めながら黒猫が口を開く。
「フム…やはり結界ですな…。人除けに境界遮断。解除は今の私では少々手間が掛かりますぞ?」
黒猫が主たる洸を見上げて言った。
結界とは隠し、閉じるものだ。
現実空間から対象を全く違う位相に移し、こちら側が干渉できないようにするモノ。
張った人物、又は同じ術を使える人間でなければ、結界内に立ち入る事は難しい。
今世の術や魔法の知識がない、洸や黒猫には目の前の結界を解く手立てがない。
尤も通常の手段の話では、だ。
「ならば、強引に抉じ開けるだけの話だ」
「そうなりますな。まぁ、この"程度"の術、強引に破る方が早いでしょう」
黒猫が洸の言葉に同意を示した。
先程、光が奔った場所へ洸は何気なく手を伸ばす。
黒猫に起こった時と同じく接触部分に黄色い小さな稲妻の様な光が奔る。
バチバチと伸ばした右腕に稲妻が当たるものの、腕は無傷で火傷すら負うこともない。
洸は気にすることなく空間を隔てる結界の壁へ手を当てると、
「フッ―――!」
歪められた空間を鷲掴み、強引に引きちぎっていく。ブチブチ!っと、透明な膜の様が破れる音を鳴らしながら洸は文字通り、力づくで現実空間と結界空間内を隔てている"壁"を破壊した。
「お見事」
「まったく……無駄な手間がかかる」
「仕方ありますまい。この世界の"魔法"や"呪術"に関して、我ら無知でございますからな」
黒猫の正論に洸は再び溜息を漏らした。
使い魔の言い分は尤もだが、それでも効率よく物事を解決したいというのが洸の持論である。
「しかし、この様な本格的な結界は初めて見ますな。術式構成はやはり知識がないと解りかねますが……」
「そうそう、お目に掛かるものでもないだろう。それよりも今はこんなモノを拵えて、何をしてるか気になる」
「左様ですな」
結界内で何が行われようとしていたのかは、幾つか予想できるが、それをこの場で論ずるよりも大樹の元へ向かうのが先決だ。
結界が破られた以上、展開していた術者が異変に気づかない筈もない。
現に結界は跡形もなく消失しているからには、普通の術者なら行動を起こしているだろう。
「夜谷は?」
「動きはありませんが急いだ方が宜しいかと」
何者かが己の領域内に入った事は術者本人が一番理解しているはず。
結界の再構築されない事を鑑みるに用件が済んだか、逃走したか、或いは迎撃の為、待ち構えているか。
何れにせよ、洸に大樹の下へ行かないという選択肢はない。
洸と黒猫は互いに合図なく駆け出した。
然程の距離もなく、居るか不透明だが、術者からの妨害もないまま、問題なく一人と一匹は大樹の下へ辿り着いた。
「夜谷!」
大樹の前に来ると、木の幹辺りに背中を預け倒れている波瑠を見つけた。
呼びかけても反応がない事から意識を失っているようだ。
洸が波瑠の下へ小走りで駆け寄っていく。
「呼吸はありますし、何も仕掛けられた様子はありませんな」
「みたいだな。無事で何よりだ」
怪我らしい怪我もなく安堵する。
「フム……術者の気配がありません。逃走したか、或いは……」
「何か周りに仕掛けてったか……。まぁ、どちらでもいい。取り敢えず、長居は無用だ。屋敷まで戻るぞ」
波瑠を背中におぶり、洸は立ち上がった。
その場にこれ以上、留まるのは得策ではない。
わざわざ、結界を張ってまで波瑠を誘拐した相手だ。
只者ではないし、彼女を保護しにきた洸を歓迎している訳もない。
何か起こる、起こされる前にさっさと立ち去るのが吉である。
元きた道を戻ろうと黒猫を引き連れ、大樹から離れようとしたその時、異変は起こった。
「|主《マスター》」
「あぁ、やっぱりか」
周囲に突然、白い霧が漂い出した。
徐々に霧は周りの視界を奪うほど濃くなっていき、来た道が分からなくなる。
「ただの霧ではありません……"幻術"の類かと」
「夜谷を動かして直ぐに効果が現れたのを考えると条件付き遅延発動型か、また遠目から術を放っているか。術式が分からない以上、破れないか」
「先程の様な力づくの結界破りも使えませんな。有効手段はこの辺り全てを"魔法"で消し飛ばすでしょうが……」
「|夜谷《コイツ》を背負いながら、そんな真似出来るか」
出来ないわけではないが、余りにも目立ちすぎるし、言い訳に困る事になる。
洸ならここら一体を更地にするのは至極簡単だが、後に残る惨状に関しては説明をするのは困難極まる。
また離れているとはいえ、林の中には一緒に波瑠を捜索しに出た弥生が居るであろうし、屋敷の方には遥菜がいる。
余波が彼女達まで広まりでもしたら目もあてられない。
「さて…どうするかな?」
少しばかり厄介な状況に洸は思考を巡らせる。
最悪の場合、|黒猫《ルギヤ》の意見通り、広域破壊系魔法を使用して強行突破しなければならない。
他にもっと穏便な手はないものかと考えていたら……
「ん?」
パタパタ、と。
淡く蒼白い輝きを放つ奇妙な小鳥が洸の周囲を飛び回ってきた。
明らかに普通の鳥でないが、何故かその鳥から悪意や害意といったものを感じ取れなかった。
チッチッチと小さく鳴きながら、小鳥は洸の肩に一度止まると、まるで導くかのように霧に閉ざされた向こうへ飛び立った。
小鳥が飛翔した場所を蒼白い光が尾の様に伸びていく。
「あれは何ですかな?|我《ワタシ》と同じ使い魔には見えませぬが……」
「さぁ…?けど、悪いものではなさそうだ。僕達を出口まで案内してくれるみたいだし」
「一体、何者が?罠……という可能性は?」
「ないとは言い切れないけど、ここで足止めを食っているよりはマシだ。逆に直接的な害を及ぼしてくれないと、こちらから手が出せない」
「確かにそうですな」
得体は知れないが、現状を打開するには小鳥を信じて霧の中を進むしかない。
有効な手立てが思いつかないままの、行き当たりばったりな状態に不安がないわけではない。
でも、目の前で自分達を導く蒼白い小鳥に不思議と安心感を覚えながら、波瑠を背負い直し、引かれた閃光の方へ歩いていった。
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