「お姉ちゃん、はよっ、早よして」
「もう江美ちゃん、少し待ちんさい」
ドドとミミは既にリードに繋がれ直美の顔を伺い、外に散歩に出るのを待ち侘びていた。
そんな二匹より散歩に出掛けたくて仕方ないのは江美。いつものように身支度を急かす。
「ほら、お姉ちゃん。ドドも待ってるで」
「もうあれから、ドドと江美ちゃんも、すっかり仲良しやね」
「うん! ドドもミミもだーーーい好き」
「「わんっ」」
二匹も江美の事がほんとうに大好きだった。揃って元気な返事をすると、撫でてくれと江美に頭を摺り寄せてくる。
江美は嬉しそうに頬を緩ませると、とても小さな手で双方の頭を同時に優しく撫でた。
「よし、準備出来たから行こうか」
「わーい、いってきまーす」
そう言うと江美は、二匹に引っ張られるように表に飛び出した。
「もう! 転ぶから気をつけんさいね」
やっとの思いで追いついた直美は、息を整えながら江美の横を歩き、そっと手を繋いで空を眺める。
「江美ちゃん、今日はどこ行こうか?」
初夏に相応しい、どこまでも雲ひとつない晴れた青空。
「お姉ちゃん、さっきの話の続きやけど……花よめさんになりたいん?」
唐突に直美の顔を覗き込むように見上げた、江美が聞く。
「えっ。う、うん……恥ずかしいけど」
「なんも、はずかしあらへんよ。きっとお姉ちゃんの花よめさん、きれいやろなぁ……江美たのしみやわぁ」
「ありがとう江美ちゃん、お世辞でも嬉しいわ」
「ってか、お姉ちゃん相手おるん?」
「えっ、何よ失礼やな。その時になったら、きっと背が高くて素敵な旦那様が現れるんですぅ」
べーっと舌を出した直美の顔を見て、江美が大笑いする。
「あはははは、お姉ちゃんその顔おもろい。あっ、そうや! 花よめさんのお人形見に行かへん?」
呉で一番の繁華街の大通りを一本入った所に、小さなお店が建ち並ぶ商店街がある。その一画にある人形店の展示窓に、花嫁姿の日本人形が飾ってあるのだが、それが江美のお気に入りだった。
「ほうやね、江美ちゃん。ここから近いし、見に行こうか」
「うん」
江美は直美を見上げて大きく頷く。直美がそっと手を差し伸べた手をギュッと繋ぐと仲良さそうに、大きな声で歌いながら商店街へと向かった。
「「かもーめの水兵さん、ならんだ水兵さん――」」
しばらく歩き、お気に入りの人形店に着くと、ドドとミミの足がピタッと止まる。既に小さな先客がふたり来ており、窓に手と顔をへばりつけて花嫁人形を覗いていた。
「あっ。だれかおる。あれ、だれやろ?」
江美より少し歳上、ちょうど十歳くらいだろうか?
ふたりとも、同じ背丈の少女と少年。
「姉さま、綺麗ですね……この人形」
「そうね、知樹……とても綺麗ね」
少女は、腰まで届く綺麗な漆黒の黒髪。
水色のドレスに茶色の革靴、そしてなんと手にはドレスと同じ色の日傘を持ち、それは優雅に佇む。
戦時中の子供たちとは思えないその容姿は、きっと貴族か上級国民に違いないと直美は思った。
隣の少年も同じく、汚れひとつない真っ白いシャツに黒い紐リボン。
そして、折り目の通った黒いズボンに少女と同じ茶色の革靴。
この街では見慣れない場違いなふたりの後ろ姿を、江美と直美は唖然と指を咥えて見ていた。
どうやら少女が、その視線に気付いたようだ。
「あら、知樹……お客様よ」
そう言ってこちらを振り返る。どこか儚くも顔立ちの整った、とても美しい少女だった。
「お、お人形さんみたい……」
江美が思わずそう漏らした。直美は緊張しながらも、初めて会う自分とは別世界に住むふたりに勇気を出して話しかけてみる事にした。
「こ、こんにちは。私たちは見に来ただけで、お、お、お客さんじゃないんだけど……おふたりは、お人形を買いに来たのかしら?」
少女は表情を変えずに一度振り返り、花嫁人形を眺める。
「ふぅん……そうなの? なら同じね」
どうやら店の関係者でもなさそうだし、人形を買いに来た訳でもなさそうだ。
もしかして、ふたりも同じ人形がお気に入りなのかしら。そう思うと直美は、不思議と少し親近感を覚えた。
「この近所では見ない顔だけど、ふたりは何処から来たの?」
直美の質問に今度は、人形に釘付けだった少年がゆっくりと振り返る。
なんとこちらも、びっくりする程に端正な顔立ちの美少年であった。口元を少しだけ緩めて直美の問いに答えた。
「僕たちが何処から来たかって? ……そうだね、君たちの知らない遠い遠い所だよ」
「とおいところ? がいこくから来たの?」
不思議そうに江美が聞き返す。
「うふふふっ……そうね」
少女は嬉しそうに笑うと、その口元を手の平でそっと隠した。
「僕たちは双子。こっちが姉さまの亜樹、僕は知樹だよ。よろしくね」
そう言ってふたりは、直美と江美に屈託のない微笑みを向けた。
その笑顔に直美と江美もニコッと微笑み返したが、何故かミミは怖がって耳をペタンと寝かせ、尻尾を下げて丸めると直美の影に隠れてしまった。
ドドは姿勢を低くして、牙と歯茎を剥き出しすると「ヴヴヴゥゥゥ」と低く唸り、ふたりに威嚇を続けていた。
「どうしたん? ドド」
見たことが無いほど恐ろしいドドの豹変を心配して、江美が優しく身体を撫でて落ち着かせる。
その様子をみて顔色変えず、少女はフッと鼻で嗤う。
「あらあら……嫌われてしまったみたいね」
「姉さま……そろそろ行きましょう」
少年が少女の手を取り、そっと握る。
「そうね、では……ご機嫌よう」
そう言って小さく手を振ると、ふたりは人形店の前から港の方に向かい去って行った。
「「ご、ごきげんよう」」
今まで一度も使った事も聞いた事すらもない挨拶に、ふたりは声を揃え目を合わせると、その後ろ姿をしばらく見送った。
「お姉ちゃん、あの子って日傘ずっと持ってるけど、ささへんねんな」
「う、うん。ほうやねぇ、今日は暑いのにね」
ふたりの影が小さくなると大人しくなるドド。
ミミは何かに怯えるように「クゥーン」と鳴くと、直美の足元にべったりと身体を擦り寄せたままだ。
「珍しいわね? ドドがこんなに怒るなんて」
「そりゃお姉ちゃん、あんなお姫様みたいな格好してたらドドやってビックリするやろ? ほんで、傘ささへんのかいって」
「それもそうね、あははははははっ」
ひとしきり大笑いすると、思い出したように人形店の窓にへばり付き、花嫁人形をじっと見つめるふたり。
「ええなぁ、きれいやなぁ」
「ほうね、ほんと綺麗やね」
「あっ、そうや! お姉ちゃんがおよめさん行く時は、江美のお父さんにしゃべってもろたらえーねん」
コホンと咳払いをすると、お父さんの真似を始める江美。
「えー、えー……このたびは――」
そのモノマネが似ているのかわからなかったが、直美には江美のそんな姿がとても滑稽だった。同時にそんなお父さんの事が大好きな江美の姿と戦争で亡くした自分の父親とを重ね合わせていた。
「お父さん……か」
「うん! 江美のお父さん、しゃべるのとくいやで。うちでもずっとしゃべっておもろいことばっかり言うてんねん」
軍人であり艦長という立場もあって、頻繁に家に帰る機会は少ないが、外で何があっても家に帰ると明るく振る舞い、いつも自分にだけは特別優しく接してくれる。そんなお父さんの事が、江美は大好きだった。
それは直美にとっても同じこと、この戦争に駆り出され早々に銃弾に倒れ亡くなった大好きな父親との思い出だった。
酒蔵で男衆を束ねる父親は、職人気質で大変厳しくとも、一人娘である直美には格別優しかった。
ここで自分だけ辛い顔は見せられない。無邪気ながらに直美の幸せを願う江美の気持ちを汲み取ると、涙がこぼれないように天を仰ぐ。そして、眩し過ぎる太陽に手をかざし、めいいっぱい明るく微笑んだ。
(お父さん、お空から私の花嫁姿……見ててくれるかな)
「ほいじゃあ、江美ちゃんにお願いして、艦長殿に仲人してもらおうかいね。では、何卒よろしくお願いしてつかぁさい」
そう言って、深々と頭を下げる。
「うん。お父さん帰ってきたら、おねがいするね」
屈託のない満面の笑みを見つめながら、直美は腰を屈め姿勢を低くすると江美の頭を軽く撫でた。
「ありがとう、江美ちゃん」
「えへへへへ」
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