長い沈黙の果てに、ディフト・ナートルアは口を開いた。
「クルミア・ティブリス。そなたとの婚約を破棄させてもらう」
私はディフトの顔を見るが、何の感情も見つからなかった。
ディフトはミクス本質帝国の第三皇子。そして、10年前に私の婚約者となった男だ。年齢20歳。
第一皇子が健在なので皇帝にはなれないけれど、それなりに金と権力がある人生を送るだろう。顔もよい。性格……は知らないけど、悪い噂は特に聞いたことがない。
一方、私は、ミクス本質帝国の一等貴族の娘。
金髪ドリルの如き髪型を除けば、特に語る部分もない貴族令嬢。
今日着ている服は、黒系のあまり飾りのないドレスだ。
呼び出しメールの文面で、この要件はなんとなく予想がついていたからね、あんまり派手な服は着てこなかった。
そして今いるこの場所。
ここは銀河ホテル。それもニュートリス協商連合、レガリア星系の本店だ。
宇宙一のホテルと名高い、超高級ホテル。
この部屋は、会議などに使われる部屋らしいが、家具や調度品は銀河最高級の物が置かれている。
室内にいるのは私とディフト、そしてお互いの筆頭メイド。合計四人。
現実逃避終了。
「……婚約破棄、と聞こえましたが?」
「ああ」
私が問うと、ディフトは暗い顔で頷く。
「これは、ずいぶん急な話ですね」
「一昨日、決まった話だ」
本当に急な話だった。
「こういうのって、卒業パーティの会場とかで、大々的にやる物だと思っていましたけど……」
私が言うと、ディフトは表情を変えずに言う。
「なぜ、わざわざ耳目を集める様なやり方をする必要がある? 政略結婚の破綻など、両家にとって恥でしかないだろう?」
「確かに……」
なんでああいうのって、人前でやりたがるんだろう。
いや、裏でこそこそやったら陰湿で印象悪いからなんだろうけど……それを表で堂々とやっても印象悪いことに変わりないよね。
自分のやってることがおかしいと気づく程度の理性があるなら、表でも裏でもあんなことはしない物だ。
そう言う目で改めて見ると、ディフトはいつもより沈痛な面持ちのような気がした。
こんな話はしたくないのだろう。
……そりゃそうだ。私だって嫌だよ。
「それで、どういう理由で婚約を破棄するのですか」
「言わなくても、察しはついているのではないか?」
ディフトはため息交じりに言う。
ほう、察しろ、と来ましたか。
私としては、こいつに対しては、特に好悪の感情はない。
婚約が決まったのは十年以上前だが、それからも、年に数回、顔を合わせる程度の関係だ。
ただ、前触れなく人生設計をぶっ壊されるのは普通に困るので、やめて欲しい。
「……四等貴族のメリウス・リフトリン」
私が呟くと、それまで能面のようだったディフトの表情が驚愕で崩れる。
「な、なぜおまえがそれを?」
「さあ? なぜかしら?」
甘く見られたものね。
それぐらい、ちょっと調べればわかることだ。
「噂になりかけるのをもみ消してあげたのが誰だと思っているの? 感謝して欲しい物だわ」
「くっ……」
ディフトは悔しそうに顔をそむける。
「しかし、今回はその件は一切関係ない。たとえおまえと婚約破棄しても、彼女と結婚できるわけではないからな」
「それもそうね……」
貴族の結婚はいろいろ複雑だ。
三男とは言え皇族に対して四等貴族の娘では、愛人がせいぜいだろう。
「今回の婚約破棄は、父が言い出したことだ」
「陛下が?」
「うむ。非常にお怒りだった」
皇帝陛下の命令なら、誰も逆らえない。
しかも、お怒り?
「ええと……どういうことかしら?」
正直、予想はついていた。けれど、確認のためには聞くしかない。
ディフトは、言葉を選ぶように慎重に話し出す。
「おまえの父親は、領地の平民から、慕われていない」
「……そうみたいね」
私の知る限りでもいろいろあるけど、特にすぐメイドに手を出すのが良くない。
私が幼いころから、短い期間で何人もやめて行った。
今いる筆頭メイドも、毒牙にかかる寸前だったのを私が泣いて止めたのだ。
たぶん、私が守れた唯一の物だ。
あと、仕事がいい加減というか、なんもしていない。
文官に代行させるのはいいとしても、それを監督してなかったっぽい。
おかげでどこもかしこも汚職まみれ。
というか、父が普通に賄賂を受け取るわ、領地の運営費用を私的利用するわ……
公共サービスは大幅カット、警察の予算が削られて犯罪発生率は高い、道路の補修費用が行方不明になってあちこち穴だらけ。
去年は、居住区ドームの壁面メンテナンス業務をダミー会社が受注していたことが判明して大騒ぎになった。五年ぐらい全面検査をしてなかったらしい。
私がそんなことを思い出していると、ディフトは嫌そうに言う。
「クーデターの件は知っているか?」
「ええ。自領のことですし、嫌と言うほどニュースになっていましたから」
クーデターはペルト279星系で始まった。
問題の居住区ドームに住んでいた住民が、ダミー会社の金の流れを突き止めて、受け取った人を焼き殺して吊るしたらしい。
いきなりグロ画像が出てきて吐くかと思った。
ドーム壁面に穴が開いて空気が抜けたら、死ぬのはあいつらだからな。怒るのはわかる。
怒ったとしても普通はそこまでやらんだろ、と言いたいのだけど、あそこはそういう土地なのだ。
なにしろ数十年に渡って公共サービスがカットされている。教育水準も帝国最低らしい。
「そして最新のニュースは、これだ」
ディフトは壁を指さす。大型モニターになっていて、ディフトのメイドが何か操作したようだ。
『ティブリス一等貴族、敵前逃亡!!!』
壁面に映し出されたのは、活字の大見出し。
『先週から発生しているペルト277星系およびペルト279星系の大規模クーデターは、革命軍側の勝利と言う形で鎮静しつつある。事態を重く見たファルシア帝は、中央軍事部隊の動員、および革命軍リーダーとの交渉を宣言した。なお、領主ゲルニオ・ティブリスは連絡がつかない状態にあるようだ』
ああ……やっぱりこれか。
「陛下が直接交渉に出る、というのは初耳ですね」
「一昨日の時点で決まっていたようだ。婚約破棄の件と同時にな」
「そうですか……」
これは、考えるだけで頭が痛い。
「ちなみに、おまえの父と連絡がつかない、と書いてあるが?」
「……」
ええ。娘の私は、普通に連絡がついてます。
なにしろ三日後の卒業式に合わせて、ここに来るんですよ。到着は明日です、はい。
陛下とも連絡がついているはずです。
それを着信拒否するなんて、帝国貴族として許されないことですよ、はい。
たぶん、クーデター自体は、父が領地を離れるタイミングを狙って決行されたんだと思う。
その場合、父が取るべき行動は何だったか?
答えは一つ。私の卒業式への出席を諦めて、領地にとんぼ返り、これしかない。
しかし、父はそれをしなかった。予定通りにこっちに来てしまった。
まあ、留守を任せた星系軍の中将(=父の直属の部下)が革命軍のリーダーを名乗ってるからね。帰っても何もできないどころか、捕まるだけなんで仕方ないけど。
問題なのは、下がこんな状況になってるのに、行動を起こされるまで何も気づかなかった、ということだ。
本当に仕事してたの? してないよね、うん。
皇帝もその辺りは既にわかっていたのだろう。
愚父を飛び越えて、中将と直接交渉をするのか。そっか……。
要するにあれだ。上と下の両方から「こいつ、必要ないよね?」と判断されてしまったのだ、わが一家は。
そうだね。私でも他人の立場だったら、そう言うよ。
ディフトは言う。
「まだ内々の決定だが、ティブリス家は、貴族特権と全ての財産をはく奪される」
「そして貴族でも何でもなくなった私との婚約も、解消する他ないと……」
一等貴族が平民落ちとは……。
はぁ……。
きついなぁ。
私があと三年早く生まれていたら、両親を追い出して善政を敷いたのに……あ、ダメだ。第三皇子との婚約は、私を帝国首都に縛り付ける効果もあるから、領地の運営には口出しなんかできない。
最初から詰んでるのか。
私は元婚約者に対して、何を言うべきか考える。カップのお茶でも引っかけてやるべきか。
いや、ダメだな。今、心証を悪くするのはよくない。
なにしろ、ここからの平民落ちは最悪の場合……。ん? ちょっと待てよ?
「えーと。貴族特権の剥奪ですか? そちらの方が、婚約破棄よりも重要な話のような気がするんですけど……」
この状況に至っては、婚約破棄なんて些事では?
私が言うとディフトは頷く
「その通りだ。陛下の公式宣言より先にそれを漏らすのはルール違反だがな」
他言無用、というわけか。
「では、なぜ教えてくれたのかしら?」
「俺とおまえの仲だからな。最後ぐらい便宜を図っても、神はお許しになるだろう」
それはどうも。
……心の準備をする時間ぐらいはもらえるみたいね。
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