ようやく初夏の香りが満ちてきた、6月初め、私鉄線路沿いの通り。
駅までにはもう少し距離があるので、まだ人通りはそれほど多くない。
車の通りもほとんど無い。そのお陰で、大きな通りを歩くよりもかなり歩きやすい。
だけど。
とても残念なことに、静かではない。
それどころか、『喧しい』まである。
人通りも車通りも少ないのに、なのだ。
本当に残念としか言いようがない。
隣を歩くルミといっしょに、愉しさと呆れがごちゃまぜになってしまったようなため息をついた。
まったく同じタイミングになって、思わず顔を見合わせてしまう。
彼女は、とても微妙で曖昧な顔をしている。
苦笑いと表現するには砂糖が多めのような気がするし、笑っているかと言われれば少なくとも完全無欠の笑顔ではなかった。
それはきっと、僕も同じなのだろう。
僕の顔を見たルミは、その微妙で曖昧な顔にうっすらと、今度は本当に苦笑いを貼り付けた。
原因など、わかりきっている。
それは、僕たちのやや後方から響いている――――、
「朝からしつこいなー、お前は!」
「はぁ~!? それはこっちの台詞だっつーのよ!」
「何でだよ! そもそもの発端作ってんのはいつもエリカだろうが!」
「今日は違うでしょ、今日は!」
「ああ、そうか。なるほどな。久々にマウント取れるからって調子ノってんのか、お前」
「残念でしたぁ。そういう発想がすぐに出てくるようなシュウスケとは違いますぅー!!」
――――この、犬も食わないような痴話喧嘩。
あ。ちょっと待って。
今、反対側の歩道を散歩してた柴犬2匹がちょっと後ずさったみたいに見えた。
冗談みたいな言い方だと思っていたが、どうやら本当に犬は痴話喧嘩を食べてはくれないみたいだ。
かわいそうなことをした。
心の中ではあの子たちに少しだけ豪華なジャーキーをプレゼントしておこう。
本当に――――、もう、『夫婦喧嘩』って言っても問題は無いと思う。
口に出したら絶対に、とくに女の子の方がキレると思うけれど。
いじっぱりだから。
もちろん、ふたりとも。
「……3日ぶりくらいかな?」
「そうだねえ」
毎日やっているような錯覚に陥ったりもするが、ここ数日はそれなりにおとなしかったのだ。
たぶん、月曜日以来の小競り合い。
「よくもまぁ、飽きないもんだ」
「そうだねえ」
毎回ちょっとずつ、たとえば喧嘩の発端やら、突っかかる側やらが代わったりはするものの、基本的な構図はいつも同じ。
強いてあげるならば――。
その違いは、僕たちの前方で騒ぐか、後方で騒ぐか。それくらいかもしれない。
「マジで、いい加減くっつきゃ良いのに」
「そうなんだよねえ」
僕とルミのリアクションも、やっぱりいつも同じだった。
「ったく……。だからお前は」
「うっさいっ!!」
「痛ぇっ!!」
ルミとまったり歩いている内に、ちょっと進展があった――というか収拾がついたようだ。
強制シャットダウンって感じもするけれど。
しかも正常な処理じゃなくて、電源ケーブル引っこ抜くくらいの雑なヤツ。
「たぶんまた、向こう脛蹴られたぞ」
「そうだねえ」
そうなると、大抵は――。
「あー、もう朝からホンットムカつくっ!!」
――シュウスケをとりあえず独りにして、こちらにやってくるエリカちゃん。
「コドモなんだよな、結局」
「似たもの同士」
「っていうか、似たもの夫婦」
「言えてる」
「ちょっと何、ふたりして雰囲気作ってんのよ」
「別にー」
「別にー」
――なにを言うか。君らには到底敵わないよ。
○
さすがに電車の中では空気を読んでいる。
いつも通りのことだ。
たとえ乗り込む直前まで痴話喧嘩を繰り広げていたとしても、ふたりともしっかりと、おとなしくなってくれる。
誰しも、無意味に針の山を投げつけられたくはないのだ。
僕らは始発駅から乗ってくるので、座って乗れるのがいつものこと。
とはいえ、シュウスケとエリカちゃんの痴話喧嘩終わりには、僕とルミを壁の変わりにするようにして並ぶような配置になる。
しかも双方とも機嫌が悪い状態だと、こちら側に背中を少しだけ向けるようにして、しかもなぜかふたりともが若干こちらに寄りかかるようにして座る。
そうなると、自動的に僕とルミの座るスペースが狭くなる。
今だって、その結果、僕らの肩から脇腹あたりが完全に密着している状態だ。
下手に他の人が座るスペースに足を広げるとか、そういうことをされる方が迷惑なので、別に問題は無いのだが。
いや、やっぱり少し困る。
いろいろと困るのだ。
シュウスケの顔を伺ってみる。
彼はスマホを見ながら、せわしく指を動かしている。
何かはわからないが、ソシャゲっぽいものをやっているらしい。
いくら小学校からの友人とはいえ、そういう人のものでもスマホを覗く気にはならないので、とりあえずそちらは放置。
ルミを飛び越してエリカちゃんを見てみると、彼女も同じくスマホに没頭している。
ここらだと画面は見えないが、少なくともゲームっぽさはない。
恐らく誰かとのメッセージに返信でもしているのだろう。
本当は僕もスマホを出しておきたいところなのだけど、シュウスケが完全に僕の学ランの左ポケットを身体で潰してくれているので、中身を取れない。
よく考えれば、電源を入れたところで、とくに現状することもない。
諦めて、少しだけ目を瞑ることにした。
○
降車駅――星宮大通・三番街駅に着くと、ここでお別れになる。
ルミとエリカちゃんは南口方面に向かう。
通っている高校も同じだ。
シュウスケと僕は北口方面へと向かっていく。
ただし、通っている高校は違うので、その先でさらに別方向に向かっていくことになっている。
僕とルミだけで、互いに手を振り合いながら別れる。
エリカちゃんも、一応僕の方には笑顔を送ってくれたようだが、右側にいるシュウスケには視線も寄越さなかったようにみえた。
ふたりに背を向けて歩き出し、最初の曲がり角を折れたところで、ようやくシュウスケが口を開いた。
「あー、もう。まだビミョーに痛え。ったく、エリカのヤツ……」
「なあ、シュウ」
「……何だよ」
脛をさすりながらぼやくシュウスケに、ちょっと思っていることを言ってみようと思う。
いまだに機嫌が悪いのなら、別に構いやしないだろう。
「……お前さ、わざとエリカちゃんに蹴られようとしてる時あるだろ」
「何だよ、ヒトをドM呼ばわりしやがって」
「いやいや。その蹴られたとこ擦りながら、若干頬緩めてる野郎が言えた台詞か」
「……違ぇよ、バカ」
「何が違ぇんだよ、バカ」
「……いいや、もう別に」
「そうか」
ため息混じりにシュウスケが吐き捨てるように言ったところで、会話は見事に途切れた。
それでも、少しだけ前を歩いていたシュウスケのスピードが遅くなる。
どうしたのかと思えば、耳の後ろあたりをかきむしった。
何か言いよどんでいるときのシュウスケのクセだ。
「……3年くらい経ったのか?」
「今日でちょうど3周年だ」
「……しっかり覚えてんのな」
「ほっとけ」
――細かい日付を覚えているくらいなら、やっぱりそういうことだろうに。
「じゃあ、また」
「おう」
ここから僕もシュウスケも地下鉄に乗り換えるのだが、使っている路線は違う。
互いにいつも通りの口調になって、互いにいつも通りの通学路を進んでいく。
「……ったく。お前ら、いい加減くっついてくれよ」
遠くなっていくシュウスケの背中に、小さく呟いた。
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。
ユウイチくんによる『プロローグA』でした。
そのまま『プロローグB』もよろしくお願いいたいますー。
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