全身を防具に身を包み、右手に警棒を持ち、中段の構えから打ち込みを始める。
本日の実技は逮捕術である。
逮捕術とは、警察官ないしそれに準ずる公務員(皇宮護衛官とか海上保安官とかその辺)が、犯罪者を制圧検挙するための術技の事である。
自分の身を守りつつ、なるべく対象を傷つけずに制圧する事が目的の術技であり、警察官としての精神を養う為の武道としての顔がある一方で、実際に容疑者を制圧する為に用いられる実戦的な『武術』であるため、武器の使用も考慮されており警棒、警杖、手錠、携帯制圧波照射器《携制器》、けん銃等を用いた術が存在し、同時に相手をなるべく殺傷しないように配慮しなければいけないのも特徴である。
この逮捕術、人体拡張技術が普及してからというもの、従来の逮捕術では犯罪者の高性能化(隠喩でもなんでも無く字義通りだ)についていけず、一時期警棒や警杖、さすまたで相手が抵抗をやめるまで急所を叩き続けるか、相手が丸腰でも激しく抵抗する場合にはけん銃を使用して中枢神経系を射撃し、制圧する方法が推奨された時代があるらしい。
流石にコレは不味いと導入が進んだのが先に述べた携帯制圧波照射器だ。
派手な黄色で彩られたソレは、制圧波と呼ばれる様々なエネルギー(強烈な光とか音とか電気とか)を対象に照射する事で抵抗を抑止するというモノだ。
因みに携帯制圧波照射器とは飽くまで役所が付けた長ったらしい正式名称であり、現場では専ら携制器とかスタンピストルとかスタンガンとか挙句の果てにはビリビリとか呼ばれているらしい。
今や警察の象徴となったコレは、けん銃等の器具では無く催涙スプレーと同じ器具扱いである為、公務執行妨害等に対して現場警察官が躊躇無く使用する光景が街中で多く見られるようになり、その派手な見た目も相まって今や警察力の象徴とも呼ばれるようになった。
……殆どの場合でコレを使えば十分なのだから、警棒の素振りなんてやって意味あるのかと思いつつ、えい、えいと警棒を素振りしていると、教官に怒鳴られた。
「コラ!そこ!気合入れろ気合!」
バレた。
「え゛ぃ!え゛ぃ!」
腹から声を出し、なんとか教官の目を逃れる。
……撒けたみたいだ。
次は人形《アンドロイド》を制圧する模擬試合だ。
今回はラバーナイフを持った筋骨隆々の人形《アンドロイド》が相手だ。
見た目は筋骨隆々とは言え、義体が適用されていない我々向けにしっかりとパワーを落としてある筈なのだが、相当制圧には苦労する。
「想定!警棒把持!夜間警ら職質中、マル被が突如刃物を取り出し抵抗!公務執行妨害及び銃刀法違反で現逮!」
教官からこの様に想定が示された後、笛が鳴って試合が開始される。
ピィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ!どけぇ!」
笛を感知した人形が一斉に動き出す。
人形をどうするかは各自の自由だが、行動は全て記録されているので、あまり変わった事をしない方が良い。
「止まりなさい!」
警棒を相手の面前に差し出して静止させようとするが、人形はその腕を切りつけようと大きくナイフを振りかぶった。
すかさず相手の懐に飛び込み、ナイフを警棒で弾き飛ばす。
「痛ってぇ!」
無駄にリアルな反応をする人形の首に警棒を通して倒し、うつ伏せにさせて腕を組ませ手をポンと叩き、逮捕されるべき罪状を告知する。
「公務執行妨害及び銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕!」
「試合を終了します。お疲れ様でした」
すると案内メッセージと共に、人形がダウンする。
これが終わった後、班に別れて実戦形式の試合を行う。
犯人を制圧するのが目的である為、頻繁に痛い目に遭う事もあるので、正直やりたく無い。
しかしここで手を抜くと容疑者と組み合って負けるというあまり好ましくない事態になる事が容易に想像される為、約一年後の現場実習に向けて必死になってやっていた。
さて、相手はこの間からかってきた阿川だ。
「「宜しくお願いします」」
気心が知れた級友とは言え、こういう所で手を抜くと後々評価に響く上に単純に失礼なのでしっかり挨拶を行う。
今回の得物は自分が警棒、阿川が短刀だ。
警察官が何故短刀を?と最初は思ったが、これは容疑者が取り得る行動を学ぶ為に警察装備では無いが逮捕術の得物として採用されているという事実を知って感心した思い出がある。
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「始め!」
互いに向き合い、教官の合図と共に試合が開始された。
「ヤァァアァ!」
「ッ!?」
瞬間、阿川が短刀を腰の辺りに両手で固定して懐に吶喊してきた。
こっちは警棒で相手の短刀を打ち落とそうと思っていたので面食らい、何とか突入線から逸れて相手の肩に警棒を打ち込む!
この勝負、自分が不利なのは初めから分かっていた。
先ず得物。
短刀は、飛び道具以外ではかなり強い得物である。
確かに65cmの長さを誇る警棒の方がリーチ自体は長いが、実戦を想定した試合では警棒の一打一突きが決定打とはならず、最終的に相手を取り押さえて初めて一本が貰える。
幾ら武器とは言え、警棒は飽くまで護身と制圧を目的としたモノであり、一打で致命傷になるようでは逆に困るのである。
一方の短刀は、突く、相手の懐に潜り込んでめった刺しにする、振り回す……等の使い方があり、刃で撫でられただけでも有効、数回突けば一本だ。
それ程に殺意を持った刃物というのは恐ろしいモノなのである。
このようにそもそも条件が不利である上に、阿川自身が強い。
警棒の打撃をものともせず、それを引っ掴んで引き込み、相手の体勢を崩すなんてことは自分には出来ない――
そんな事を思いつつ、防具の上から頚動脈に短刀が突き立てられる。
「一本!」
この後得物を交換し、再度試合が始まる。
今度は自分が短刀、阿川が警棒だ。
ならばと、先ほどと同じように腰前に短刀を構えて阿川の懐目指して――
飛び込んだのは良いのだが、避けられた上に上腕を叩かれ、その上足を引っ掛けて盛大に転ばせられる。
『ごふっ』とか『げはっ』とか情けない声を出したかと思うが、その後すぐに関節を極められ、施錠(つまり手錠を掛けることだ)の代わりに背で組まされた両手をポンと叩かれる。
「一本!勝者阿川!」
おーという歓声と共にパチパチと拍手が聞こえるが、これは私が弱いとかそういったのでは無く、単に阿川が強いだけだ。
ほら起きろという声と共に引っ張り上げられ、フラフラしながらも何とか礼をして戻る。
「次、伊藤」
初回の指名以降は大相撲における稽古の如く申し合い式である。
つまり勝者勝ち抜きだ。
もう十分ボコボコにされたので、阿川の動きを観察していると、目の動きが明らかに違う。
予備動作を冷静に観察し、それを基に行動して、我々ド素人を圧倒している。
傍から見ていると分かるのだが、この冷静に観察するというのがかなり難しい。
電脳も義体も外されているのにこれが出来るのは、私が知る限りでは阿川しか居ない(教官は義体適用済みだ)。
そう言えば、警察官に必要な精神を育成する……つまり精神的な鍛錬を目的として我々は義体を外されているが、半年以内に官給品の義体を適用させられるらしい。
ついに憧れの重義体の適用だが、楽しみな一方で不安でもある。
その上、今日の四限はけん銃の座学だ。
つまり、もうすぐけん銃を扱うという事である。
不安な一方で、少し楽しみな心を落ち着かせつつ、次回に備えて阿川の動きを良く見ておく。
……一方で古川はと言うと特別指導員に制圧されていた。
大方手抜きがバレて〆られたんだろう。可愛そうに。
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「やめー!班毎に整列!」
整列、気をつけ、訓示、敬礼、答礼、解散。
着替えの後、手洗いに寄ったが、そこであるモノを見た。
鏡に写った自分である。
痺れるようなモノが体幹を貫き、そして自覚した。
ああ、これが『誇り』だと。
左上腕部に縫い付けられたホログラム、それに描かれた日章を背負う者として、恥ずかしくない者でありたい。
そう自分を鼓舞し、食堂に足を向けた。
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