『大規模テロ情報。大規模テロ情報。当地域に……
今更ながら鳴動を始めた|防災行政無線《全国瞬時警報伝達システム》の下。
「化学剤が使用されました!皆さんを除染します!警察官の誘導に従い、直ちにバスに乗車してください!」
携制器の拡声機能を用いて、市民に|呼《・》|び《・》|か《・》|け《・》る。
「ねぇ……急いでるんだけ――「バスに乗車して下さい!」
TSガスは、短期的には中枢神経系に作用して呼吸器系を、長期的には多臓器不全を発生させ得る神経剤である。
呼吸器からの直接吸引が一番恐ろしいが、皮膚や衣類に付着した薬品が揮発した場合、更に多くの人がこの化学剤に暴露する事になる。
そして更に厄介な事に、暴露後48時間以内に中和薬を投与しなければ、中枢神経系が不可逆的に侵され、最終的には脳死に至ってしまう。
その薬品のせいでは無いと信じたいが、当初この広場を満たしていた悲鳴はいつしか聞こえなくなり、代わりにサイレンと怒鳴り声や警笛、無線の注意喚起音がこの空間を満たしていた。
我々の任務は負傷者の救護、そしてパニックに陥った市民たちを落ち着かせ、除染テントに収容する事である。
が、我々の努力の甲斐も無く、市民たちはパニックになって『日常』を求めている。
「大事な商談があるんだ!どいてくれ!」「家に帰らせてよ!」「何の権限があるんだ!」「急いでるんだ!」「責任取れるんだろうな!」「おい聞いてるのか!」「損失が――
〈国警から各局、国警から各局、現在時、13時15分を以て、中京都知事から、国民保護法に基づき、化学剤警報が宣言された。よって各局にあっては特に不審物件に対し警戒すると共に、化学剤の被曝者、こちら除染拒否する場合、一時的に拘束し、強制的にこれを除染せよ、以上国警〉
簡単に無線は言ってくれるが、現場の状況は果たして上まで届いているのだろうか。
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「ブリーフィングは10分後、1420からだ。支度して来い」
その後除染テント経由中央警察署行きの|バス《人員輸送車》に乗り、地下施設までフラフラの身体で行くと、海市さんから裸の錠剤三つと水を手渡された。
「何ですかコレ?」見たこと無い形をした、赤と青の認識帯が付いている錠剤を見る。「抗疲労薬だ。飲め、今日は長いぞ」
恐る恐る飲むと、恐ろしい事に疲れが吹っ飛んだ。日本の製薬会社は偉大だ。
「状況を整理する」
スクリーン前の長机に事対隊隊長を始め、警備部の幹部がズラリと前に並ぶ。皆沈痛な面持ちをしていたが、一息つくにはまだまだ早く、そして|反《・》|省《・》はまだ出来ないという事実を、大型モニタと手元端末が教えてくれた。
「本日12時30分頃、中京都内に於いて銃器、爆発物、車両、有毒薬品使用の同時多発ゲリラ・テロ事案が発生しました。これに対し12時41分、一方面の全体に対し方面G配備が発令されています」
新中央駅、新実駅、最寄り警察署、交番に赤い矢印が突き立てられる。
「殆どの事態については既に制圧しましたが、映画館『シネマ中京』を占拠し、立て籠もっている事案については現在まで制圧に至っていません」
「建物内の状況は?」
「情報班によると少なくとも武装したマル被が14名、武装は突撃銃16丁と爆発物と思わしき不審物5、弾薬にあっては1500発以上、予約状況及びシフト表から判明した人質は男687、女714、見取り図にあっては提示の通りです」
映画館とは言え、ボーリング場やゲームセンター等を含めた五階建ての大型商業施設だ。
コレを制圧するとなるとかなりの困難が伴う事は、対テロ警備の専門家たる私には良く分かったし、事対隊上層部もソレを把握しているだろう。
「要求は?」
「不明です」
「現場展開中の警備部隊」
「現在|一中《第一中隊》及び|二機《第二機動隊》が現場にて展開、一中が突入を準備していますが頭数が足りません。そこで|二中《第二中隊》と|三中《第三中隊》を増派し、四、五にあっては中京都内の警備にあたらせます」
「|特殊処理《ST》隊は?何個小隊出せる?」
「現在、既に制圧した事案の処理にてんてこ舞いになってますし、予備人員含め――「消防の防護隊に現場引き継がせてさ、コッチの事案対処に当てられないか?」
「調整します」
ここに居る者は皆、あの惨状を知っている。そして少なくないショックを確実に受けている。
だが――
「よしお前ら、まだ事案は終わってないぞ。以上だ。速やかに立ち上がり、所定の行動を開始せよ」
「「了解」」
そのショックで仕事に支障が出るような人間は、|この部隊《事態対処隊》に居ない。
感情を動かす前に手足を動かせ、そうしないと人が死ぬ。
それはお前じゃ無いかもしれないが、誰かの大切な人だ。
研修時に叩き込まれたそんな言葉を胸に、私は再び地獄を平定し、混沌に秩序をもたらす為に立ち上がった。
****
パンパン、パパパン!
また一人撃たれた。
まさかこんな映画みたいな事になるとは思っていなかった。
彼氏と共に恋愛映画を見ていたら突然、座席と映像が止まり、何事かと思っていたら血まみれの警備員を引きずった白ずくめの男たちがスクリーンの脇から出てきた。
彼らはその警備員を撃ち殺した後、手近な男の人を撃った。
すべての挙動は無言で行われ、その後彼らはこのスクリーンから出ていったが、逃げようとした高校生はどうやら撃ち殺されたみたいだ。
私達はただ、恐怖に震え、縮こまるしか無かった。
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「……|CPA《心肺停止》|+1《プラス一名》」
有線式超小型ドローンを投入し、建物内の監視を行っている情報収集担当者が喘ぐように呟く。
「了解」
その報告を受け、しかめっ面のままで顎に手をやり、支給されたお茶を煽るのは当事案制圧警備部隊の実質的な隊長である海市警視だ。
覚えているだろうか、我々がまだ一年次だった頃、ファストフード店で武装強盗に殺されかけていたのを助けてくれた、あの海市さんだ。
私は彼に憧れて事対隊に入ったと言っても過言では無いが、警大で勉強し、実務経験を少しばかりではあるが積んだ今なら分かる。
彼の立場には絶対立ちたくない。
なにせ、相手は銃器に爆発物、毒ガスまで使ってくるような者達で、しかも要求が無く、一切の交渉に応じない。
その上制圧対象の家屋は広大で、人質は千人を超える大所帯だ。
警備史に残る戦前の『あさま山荘事件』でさえ人質は一人だったのに、今回はその約千倍だ。
「|警本《警備本部》から各局、本日1600に、各隊は所定の行動を開始せよ」
《了解》
所定の行動とは、言ってしまえば数と火力、そして練度と士気に頼った強行突入であった。
三中隊が裏口から、我々二中隊がエントランスから、そして精鋭たる一中隊が屋上から一斉に突入しつつ、空調システムを通じて催眠ガスを消防から|借《・》|り《・》|上《・》|げ《・》|た《・》強制換気装置で流し込み、混乱の中にあるマル被の可能な限り速やかな全員制圧検挙を目指すというモノだ。
本来ならば、もっと丁寧に交渉や準備やらを周到に行ってから突入する。
しかし、人質が射殺されつつあり、生命に危険が迫っているという事情から、やむを得ず強行突入と相成ったのである。
ブリーフィングが終わったら装備の準備だ。
警らの時に着る軽量防弾装備よりもゴツい高度防弾装備を相勤と補助し合いながら着装し、オートナンブ、シンナンブ、携制器や警棒に問題がないかを確認する。
そしてバイザー、無線機やインカム等の点検を終えた後、最後に|防毒面《ガスマスク》を顔に密着させ、深く息を吸い、吐いてから吸収缶の穴を塞いで機密を確認する。
|防毒面《ガスマスク》に、高度防弾装備、オートナンブに警棒にと様々な武器と防具で身を固めた我々は、広報に言わせるならば鎧兜に身を包んだ侍であった。
やる事は殆ど足軽のソレではあるが。
そして突入五分前。
静かにエントランスに移動し、無線の合図を待つ。
後ろでは送風機に電源が投入され、換気口に極太のチューブが接続された。
《|警本《警備本部》から各局、|警本《警備本部》から各局。作戦を開始する。直ちに所定の行動を開始せよ》
40mm発射器から閃光音響弾がポン、という少し間の抜けた音と共に射出され、ガラスを打ち破ってエントランスに突入する。
刹那、空間が爆光と爆音に満たされ、その場に居合わせた人間の視覚情報と聴覚情報を真っ白に塗りつぶした。
我々はその只中に突入し、銃と警戒を四方に向け、そして叫んだ!
「動くな!警察だ!」
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