『理想郷』の警官(視覚的資料追加版)

警察×特殊部隊×テロ×ヤンデレ×ディストピア×サイボーグ=
イブキ(kokoiti)
イブキ(kokoiti)

保護と介入

公開日時: 2020年9月1日(火) 20:29
文字数:3,638

「ここは危ないですから、ね?」


 喉奥から何とか捻くり出した声を、彼女に投げかける。

 彼女はビクッと一瞬だけ硬直したが、暫くしてヘナヘナと力が抜けていった。


 彼女が暴れなかった事に安堵しつつ、その細い腕を掴みながら、そのあまりのか細さを噛みしめる。


 ちゃんと食べれているのだろうか、どうしてこんな事をしてしまったのか。

 そんな思考がグルグルと繰り返す。


 ――唯一の救いは、彼女はこれから高度な技能を持つ専門家専務員の手によって平和な日常に戻される算段がかなり高いという点だ。(これは彼女が薬中であったとしても然りである)


 暖房の温かい空気が我々を迎え入れ、柔らかい車内照明《ルームランプ》が我々を包み込んだ。




「痛いとこ無いか?」


 井上部長が五十川明いそがわ あかりに語りかける。


「……」


 俯いて押し黙ってしまった彼女との会話を諦め、無線機を取りつつ、自分に彼女の横に座れと目配せ――彼女が不審な動きを見せたら制圧しろいう意味だ――をする。

 何も言わない彼女の横に座り、シートベルトを締める。


 その間に彼女の個人情報を内務省情報管理局に請求し、管理AIの許可が降りたのを確認してから、後で観覧する為に『保留』フォルダーに放り込む。




「……よって、0224にマル被を自殺の疑い有りと認め自対法に基づき保護した。爾後の指示を願いたい。以上新丘9」


〈国警から新丘9、それでは新丘9は、現在搭乗の車両を以て対象を新丘PSまで連行し、爾後PBまで戻られたい。以上〉


「新丘9了解」


〈新丘PSにあっては、専務員の待機ありますか、この点の確認を……



 ****



 自転車を押し、勤務服に身を包んだ私が立つ集合住宅。


「117号室は……」


 眼前にAR提示されている彼女五十川明の情報を参照しながら、適当な場所に自転車を停め、テクテクと歩みを進める。


 さて、遥々彼女の家までやって来たのは、ストーカーとかそういう訳では断じて無い。


 内務省警察庁国家中央警察新丘警察署地域課特別研修勤務員(警察大学校)という肩書を背負い、自殺対策法に基づいた自殺行為の未然防止の為の巡回連絡である。


 平たく言うと、法律が自殺未遂まで行ってしまった彼女の精神状態を心配しているので、法執行官として見に行けという事だ。


 本来なら二人以上で行くのだが、相勤の井上部長がかなり多忙である上、状況から考えて比較的危険度が低い勤務という事もあって、私が一人で行かされる事になった。


 ここで厄介なのが、私が彼女に情を持ってしまっている点である。

 飽くまで警察官司法巡査として、法律に基づいた巡回連絡をするという事を肝に銘じ、117号室の呼び鈴を押す。

 同時に、『保留』フォルダから情報を引っ張り出し、彼女に関する情報の確認を行う。



 内 務 省

 情 報 管 理 局

 国 家 司 法 委 員 会


 保安情報開示請求

 光和20年12月9日 第78633号


 要求者:宮木広隆 巡査(警察庁国家中央警察新丘警察署地域課特別研修勤務員)(警察大学校第一期)


 要求の事由:警察法第二条及び自殺対策法第三十八条に基づく巡回連絡の為。


 審査結果:以下の情報について、開示を許可する。


 氏名     五十川明 18歳(光和2年7月11日生)(旧姓略)

 住所     中京都新丘区上山町5-8-16

 電話番号   (略)

 国民個人番号 (略)


【特筆すべき情報】

 生物学的両親からの虐待の疑いがあった為、光和14年6月28日~光和16年3月31日までの間、児童保護施設(中京都立中央第二児保)に収容。

 光和16年4月1日~五十川家養子縁組。

 光和16年7月9日に発生した多重交通事故(添付資料イ)で法律上の両親を亡くし、その際の精神的苦痛により心的外傷後ストレス障害を発症(診断日:光和16年8月16日)。

 心的外傷性後遺障害三級。

 都立通信高等学校通信課程へ進学したものの、上述の交通事故を原因とする外科、精神科的治療等が重なり(添付資料ロ)留年。現在第二学年。

 現在は特別給付奨学金及び遺族年金(添付資料ハ)で生活。

 光和20年12月9日に自殺を企図していた所を街灯監視装置の通報を受けて駆けつけた警察官が保護。薬物の影響が考えられた為検査を行ったがすべて陰性(添付資料ニ)。その後担当者が精神興奮緩和剤を用いて加療を行った。


以上


(添付資料)



 私が彼女に関して知っている情報は、開示請求で降りてきたこのデータだけであり、今日の目標は、取り敢えず彼女と警察間(彼女と私間では無い)の信頼関係を構築する事だ。


 焦りは禁物、落ち着いて対応しろ。


 交番から出る時に掛けられた言葉を胸に、ドアを見つめる。




「誰……?ですか……?」


 薄く開いた扉から、彼女が顔を覗かせる。


「新丘署の方から参りました。宮木と申します。あの後お変わり無いですか?」


 出来る限り落ち着いて、ゆっくりと語りかける。


「特には……」


 と言って彼女はドアを半開きにし、その隙間からこちらを覗く。


「市役所から資料を預かっています。説明させて頂いても?」


 実はこの『資料』は、彼女の家に上がる為のネタとして部長が持たせてくれたモノだ。

 支援の情報を与えると同時に収集するという面で、こういったネタはとても便利に使える――という事らしい。


「ど、どうぞ……」


 あまり人と話さないのか、彼女がぎこちない動きでドアを開放し、部屋の中が見える。

 どうやら必要最小限度の外出以外は家から殆ど出ることは無いらしいと、溜まったゴミ袋と少し触ったらそこから崩れてしまいそうな真っ白い肌から判断する。


「すみません。散らかって……」


 目線を察したのか、申し訳無さげに彼女がゴミ袋を奥の方へと引き揚げる。


「手伝いますよ」


 これが家に踏み入る切っ掛けになると判断し、玄関の周りにあるゴミ袋を抱えて集積場まで持っていく。

 一応の分別がしてあり、ゴミが袋の中に入っている事(入っていない場合の方が多いらしい)から、自立して安定した生活を営んでいる事が推測できる。


「ありがとうございました」

「いえいえ……失礼しても?」

「……どうぞ」


 ある程度の片付けが済んだ後、目論見通り家に上がる事に成功した。

 最悪の想定よりも用意に家に上がれた事に安堵しつつ、ダイニングキッチンへ向かう。


 狭いダイニングキッチンのローデスクの側に座り、パッドに行政支援のパンフレットを表示させる準備をしていると、彼女が口を開いた。


「……あの……ありがとうございました」


 少し顔を伏せ、目線を逸らして言ったその言葉は、先程の片付けを手伝った時に発せられた言葉とは別の意味を含有している事が容易に分かった。


「いえいえ、仕事ですから」


 出来る限り感情を出さないように、慎重に言葉を選ぶ。


「あの時の……お巡りさん……ですよね?」


 あの時――つまり76事案の時だろう。


「ええ、貴方が心配で」


 しまった。と思ったが、『法律が』彼女を心配し、『警察官』たる私をここに派遣させたのだから何ら間違っていない。


 ――筈だ。


「そ、そうですか……」


 気まずいような沈黙が流れる。


 その沈黙を、例の如く注意喚起音が破る。(と言っても骨伝導式なので沈黙を破られたのは私だけだが)


〈国警から、新丘PS管内。交通事故入電。新丘中央……


 ああ、出動範囲だ。


「ごめんなさい。もう行かないといけないみたいです」


 立ち上がり、パッドで現場位置を確認してから玄関へと向かい、ドアを開けようとドアノブに手を掛けると、背後から声を掛けられた。


「あ、あの!」


 おっと、忘れ物でもしただろうか。


「私は本当に大丈夫なので……あの……その……大丈夫……です……」


 彼女が連呼する『大丈夫』から、本日の目標達成に失敗してしまったらしいという事実を認識した瞬間、鼓動が耳を撞く。

 次に繋げなければ意味が無い。ここで終わったらまた繰り返す。

 ここで引き下がる訳にはいかないと、脳みそと電脳を回転させて紡ぐべき言葉を探す。


「――では、この近くに来た時に寄らせて頂いても良いですか?少しだけです」

「えっ……あの……」


 こちらが食い下がったのが予想外だったのか、彼女が逡巡する。


「……お巡りさんまで巻き込みたく無いんです」


 何だ、そういう事か。と、一瞬ホッとする。


「ああ、それなら大丈夫です。それも仕事です」

「でも……」

「良ければ今度、その件でお話を聞かせて下さい。もし不都合でしたら結構です」

「……」


 唇を一文字に結んで少し俯いた彼女に、更に言葉を投げかける。


「大丈夫。秘密は守ります」

「……」

「もっと我々を頼って下さい。力になりますから」


 言ってから再び『しまった』と思ったが、一度口に出した言葉を回収する事は、コップからこぼした水を精製してコップに再び注ぐよりも難しい。

 そんな事をおくびに出さないように注意しつつ、再びドアノブに手を掛ける。


「では、失礼します……また来ても?」

「っ……はい!」


 一瞬だが彼女の頬が緩んだのを確認して、思わずホッとする。

 誰かに心配して貰えるというのは想像以上に心の支えになると、心理で聞いたのはどうやら真実らしい。




 ――実はこの時、もっと早く気付くべき事があったのだが、それはまた別の話であり、当時の私はそんな事にも気付かずに自転車を漕いでいた。

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