「はぁ~……」
制服と装備を新丘署に返納して私服に着替え、私物の携帯制圧波照射器をホルスターの中に、警察手帳を胸ポケットに突っ込んで脱落防止措置をした後、退勤欄に電子署名(サイン)をして退勤する。
現在時刻は0846、36時間 (+8時間の仮眠休憩食事)の勤務を終えた後は48時間の休み……つまり非番がある。
つまり丸々二日の勤務と二日の休みを繰り返すのだ。
そのお陰で一般人とは全く違った生活サイクルになる。
端的に言うと世間が仕事をしている間に休み、世間が遊んでいる間に勤務に励む機会が多い訳だ。
そんな訳で休日は賑わうガラガラの道を歩き、独身寮へ向かう。
道すがら、コンビニで清涼飲料水とレジ横のファストフードを買う。
ああ、旨い。
アミノ酸の旨味に味覚を蹂躙させつつ、飽和脂肪酸と香料、そして加熱された糖分の香りで鼻腔を満たして、ハフハフとファストフードを貪り食う。
包み紙を丸めてゴミ箱に投げ入れ、冷たい目でこちらを見つめるサプライヤから栄養調整剤を受け取り、よく冷えた清涼飲料水で飲み込む。
冷たくて甘ったるい清涼飲料水が、喉を越す度にゴキュゴキュと音を立て、滑らかな喉越しと共に爽快感を供給する。
至福のひとときだ。
独身寮には大浴場と別に各部屋にシャワーがあるが、今日ははシャワーで済ませてしまおう。
兎に角疲れた。
マットレスの上に倒れ込み、グチャグチャのシーツが体を包む。
目を瞑り、電脳内の記憶整理の実行――『電夢』を見る。
丸々二日のうち8時間しか与えられなかった休憩時間 (しかもその間に通報が入って酔っ払いを保護したりした)のお陰で、48時間分の記憶が未整理のまま二次記憶領域に鎮座している。
警大に入る前に使っていた電脳は精々12時間位分しか二次記憶領域に放り込めなかったが、流石官給品というだけあって、720時間以上の記憶を未整理で放り込んでおける。
しかし、その程度の領域はあっという間に尽きてしまうというのは前期で既に経験した。
さて、低性能の電脳適用者に於ける学習とは、この記憶領域を如何に上手く使うかという事に掛かっている。
電脳の記憶領域は一般に二つに分けられる。
高速だが事実上システム領域の為介入出来ない一次領域 、中速中容量の二次領域である。
この他に外部の情報端末とリンクする外部ストレージ等があるが、学習に使えない為、これはこの際置いておこう。
先に述べたが、一次領域は残った『生身の』脳との調整等も行っている為学習で活用するのは現実的で無いが、二次領域は違う。
低性能とは言えど、電脳は電脳。しっかりとある程度の記憶を保持する事が出来る。しかし、『ある程度』だ。
つまり、如何に学習内容を理解し、少ない容量で二次領域に突っ込めるかというのが我々低性能電脳適用者の学力を左右するのである。
因みに電脳の全てを取り仕切る中央演算処理装置は無いほうがマシというレベルで性能が低く、定格外運用《オーバークロック》を実行し、アプリケーションを走らせて理解しようとすると発狂して死ぬ (冗談では無く本当に死ぬ)ので、全てマニュアルでやった方が賢明だと言える。
さて、我々低性能電脳適用者と書いたが、お察しの通り、高性能の電脳ならばそんな苦労は無い。
彼らの脳内には二次領域とは別に二・五次領域と呼ばれる領域が存在する。
これは大容量の二次領域で、二次領域並の速度と外部ストレージ並の容量を兼ね備えている。
つまり我々が学習内容を理解し、咀嚼しようとしている間、彼らは教科書を丸呑みにして、提示された問題に対してその中身を直接ぶつけているのである。
理解しなくても、内蔵されている高価なアプリケーションが高性能中央演算処理装置の演算力に任せて一瞬で理解させてくれる。
こんなのに勝てるわけがない。
実際、世界人口の内、高IQの人間は殆ど日本人。それも高性能な電脳を適用した高所得者だと言う。
この技術のお陰で我が国は戦後の混乱からいち早く抜け出し、今や圧倒的な海軍力を背景に主要国として返り咲いた訳だが、その中では能力レベルで格差が広がっているのだ。
高給な仕事は勿論高性能な人間の所に行くので、低性能な人間に残されているのは安い仕事だけであり、日々の楽しみと言えば保健所から低所得者層に支給される幸福薬。そしてそれ由来の幸福感に包まれながら寝ることだけである。
さて、その一方で防大や警大等の『大学校』が求めているのは、『電脳に使いこなされる人間』では無く、『電脳を使いこなす人間』である。
だからこそ電脳をシャットダウンさせてから試験を受けさせて、その結果を以て合否を判定するのだ。
つまり、我々低性能電脳適用者や、無電脳者に有利な試験なのであり、その試験をパスしたからこそ、私は今ここに居るのだ。(防大には落ちたが)
さて、我々は前期教育中は完全に生身の人間となるように手術を受けるのだが、それには理由がある。
その大きな理由が、脳に『警察官を染み込ませる』為である。
人工筋肉と強化内骨格から成る義体は、微塵の苦労も経験する事無くスポーツ選手並の運動能力を付与する。
私は違うが、今までこれらに頼って生きてきた人間にとっては、前期教育は地獄であっただろう。
毎日朝っぱらから走らされ、盾と重い装具を持って走らされ、おまけに逮捕術やクラブ活動もある。
何人かがこれに耐えられず辞めていったが、考えてみてほしい、微塵の苦労も無く成長した人間が、部下を統率する事が出来るだろうか。
逆に、この程度で白旗を上げるような人間が、電脳や義体の力を借りて警察業務に当たったとしても、しっかりと現場でやっていけるだろうか。
まだまだ警察官として一人前とは程遠いが、これだけは言える。
絶対に無理だ。
確かに義体と高性能な電脳のお陰でかなり『生きやすく』はなったが、決して楽では無い。
常に脳味噌と体を動かし、刻一刻と変化する状況に対応しなければならないし、様々な教科書では学べない情報を自分のものにしなければならない。
電脳や義体の性能がほぼ役に立たない仕事も多い。
その上、士気や気概等は電脳ではどうしたって無理だ。
確かに集中力を上げたり、興奮させたりといった事は薬品を使えば可能であるが、勿論違う。
警察官は、真っ先に危険に飛び込み、市民を保護し、犯罪を鎮圧し、治安を回復させ、常に国民に奉仕しなければならない。
正直な話、私はそこまでの使命感を持って警大に入った訳では無いが、授業を受け、ここで業務を行ううちに、思い上がりかもしれないが、そういった士気や気概が醸成されてきたと感じる。
この仕事は大変だ、しかし、何者にも代えがたいやりがいがある。
元が『警察官になって高性能な電脳と義体を貰って高い給料を貰いたい』という極めて不純な動機であったのだが、今ではそう感じている。
人からありがとうと言ってもらえる仕事は、世の中を見回しても数少ない。
警察官はその一つであり、しかも旭日章を背負う誇りを持つ事が出来る。
確かに危険な仕事だが、誇りと名誉の為なら死ねるとさえ今では思う。
……と色々考えていたが、突如視界の端に通知が現れた。
『明日0800~定例会』
あ、そうだ。明日定例会じゃん。
定例会とは、サバイバルゲームフィールドが定期的に行っているゲームの事で、我々『警察大学校サバイバルゲームクラブ』も参加している。
通知が無ければ確実に忘れる所だった。危ない。
起きたら色々準備しないといけな――――今は寝るか。そうしよう。
斯くして私は熟睡し、翌朝ひどい目に遭ったのは別の話である。
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