愛をとめないで!

小森 朔
小森 朔

第一章

変な二人

公開日時: 2022年5月14日(土) 00:38
更新日時: 2022年5月14日(土) 00:39
文字数:1,469

 もう十五分は経った。

 いや、それ以上かもしれない。


 彼女が俺のことを『中学の頃の菅原くん』と間違えてから、別人だと言っているのに隣で延々と話している。

 猫に餌をやるため空き地へと足繁く通っていた猫好きの俺だが、今日ほど帰りたい日はない。

 彼女のお喋りが独り言なのか、はたまた俺に話しかけているのかは分からないが。ゎさ


 「でね、その時に私の後ろの席にいたのが菅原くんだったの。ってちゃんと聞いてる?」

 ……どうやら俺に話しかけていたらしい。

 「だから俺は菅原じゃないし、別人だよ」

 とにかく変な女だ。普通は人違いだと分かれば恥ずかしさでその場を立ち去る。それとも、ただの暇つぶしに俺を使っているのだろうか。

 「ここへは何しに? 君の名前は?」

 「あら、人に名前を尋ねる前にまずは自分の名前から言うものでしょ?」

 驚いた、どの口が言ってんだ、この女。

 「……樫野かしのけい

 全く腹落ちはしないが、こちらから名乗ってやった。しかし彼女の名前なんて知ったところで、……何も無い。


 ――最初は、とても綺麗な子だと、目を奪われたのだ。

 軽くウェーブをかけた柔らかなロングヘアに、優しげな顔つき、黒のコートを纏い、彼女は現れた。

 黒が似合う、いい女だと。


 それなのにイメージというのは簡単に崩れるもので、話してみるとその幼さにがっかりした。

 「月子よ、神崎かんざき月子つきこ

 彼女は宙にと指で書き、こちらを見てにこりと笑った。彼女に対して苛立ちを覚えつつも、仕草や表情にはやはり美しさを感じる。

 「……なんでこんな場所に?」

 人が少ない住宅地で、誰も通りかからないような空き地だ。そこへ俺が頻繁に餌をやりに訪れるのだから、野良猫が沢山集まる。そんな所へ一体なぜ彼女は現れたのか、純粋なる興味だった。


 「猫ちゃんに会いに来たの」

 

 ……拍子抜けした。


 いや、別に、何か期待をしていたわけではない。彼女のイメージは既に崩れていたのだし、『猫に会いに来た』という答えでも全然不思議じゃない。きっと、その容姿からは少しばかりおっとりし過ぎている気がした、ただそれだけのことだ。

 「あなたはっ? 随分この子たちに好かれているみたいだけれど」

 俺の中では通称という名の黒猫を撫でながら、彼女は聞いてきた。どこかはしゃいでいる様子だが、生憎こちらも期待には添えられない。

 「別に、猫が好きだから餌をやりに来てた。その結果懐かれただけだよ」 

 彼女はキョトン、とすると『ふうん、そうなの』とつまらなさそうに呟いた。


 それから数分、お互い喋ることなく猫を片手に撫でつつぼうっとしていた。彼女を変わった女だと認識していたが、傍から見ると俺も彼女と対して変わらないのだと思う。明らかに、変な男だ。

 彼女は今何を考えているのか。どこか悩んでいる風にも見えるその横顔を眺めていると、すっと惹き込まれてしまう。


 俺は悩みごとを抱えると、誰もいない公園で一人本を読むことにしていた。人と関わらず、気を使わず、静かな自分だけの時間。最初は本を読んでいたのに、気付けば空を見上げて考え事をしている。そんな時間が心を休ませてくれたのだ。

 もしかすると彼女にだって、他にここへ来た理由があるのかもしれない。何故だろうか、そんな風に感じた。


 いつしか静けさに耐えられなくなり、沈黙を破ったのは俺だった。

 「……また、いつでも来たらいいよ。こいつらは勿論、俺もいるし」

 何気なく言った俺の言葉に彼女は少し驚き、嬉しそうな顔を見せ、今日いちばんの笑顔をくれた。

 「ありがとう、猫が大好きなの」

 ……やっぱりズレてるよな。


 「俺も、猫が大好きなんだ」


 ――これが、俺と月子の最初の、出逢い。

 

 

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