二〇三九年六月十四日火曜日、午後……大体十時過ぎ。
東京某所のカプセルホテル前で、俺は途方に暮れていた。
「これで八件全部ダメか……父さんの保険証でも持ち出すべきだったな……クソ」
成人であることを証明する身分証が無くて偽装出来ないことに悪態をつきながら、たくさんの監視カメラと、サイケデリックなホログラフィック広告で形作られた通りを一人歩く。
東京には初めて来たが、降りしきる雨も相まって、まるで『ブレードランナー』世界の日本に迷い込んだような気分になっていた。
相違点といえば、ゲイシャが映った街頭広告とカウンター式のうどん屋が無いことくらい。
後は人口密度だろうか。人通りは殆ど無く、自動車はたまにトラックが通り過ぎるくらい。歩行者用信号は無意味にライトの色を変えている。
東京といえば喧喧囂囂、人が隅までギッチリ詰まった都会というイメージしか無かったが、こんな静かな所もあるんだな。まあ深夜というのもあるんだろうが。
にしても、本当に静かな───。
「ヒ、ヒェェ、ヒィェェ! 」
誰かが悲鳴をあげながら、通りの向こう側を走っている。
追われているのか? 誰に? 一体どうして?
そういった疑問を抱えながらガードレールに身を乗り出すと、男……と、少女? が死に物狂いで走っているさまが見えた。彼らの後方に視線を移すと、六人程の男女グループが、表情一つ変えずに結構な速さで追っているのが確認できた。
それを見た俺は何をしていたのかというと、緑の細いガードレールにもたれながら、「東京ってこういうトラブルが日常なのかなぁ」という思いを持って傍観していた。
当然だが、トラブルに関われるほどの余裕が無いからである。精神的な意味でも、懐的な意味でも。
俺は休憩がてらに、見物するだけだ。
……いや、でも待てよ。
追われているのは見た感じ成人男性と、未成年と思われる少女だろ? で、追っているのが二十から四十代っぽい男女混合のグループ。
二人組の方はまるで捕まったら死ぬかのような形相で逃げていて、グループの方は汗一つかかずに淡々と追っている。
……なんか、違和感があるな。
なんというか、この状況から連想できる彼らの行動の背景が思いつかない。二人組は今とても切羽詰まっているのは分かるが、どうしてそうなっているのかが分からない。
「第三者がパッと見で分かったら苦労せんだろ」と言われたら、まあそれまでなんだが……。
とかなんとか、考えていたら。
「ビロロロロ」と、特徴的な電子音が唐突に鳴り響く。
あの音は自動車に標準装備されている、人身事故防止用ブザーだ。まあ、昨今の車は九割九分自動運転だから、鳴ったところで事故る可能性はかなり低いのだが。万が一事故って裁判沙汰になった時に、加害者側が不利にならないよう付けてるだけだ。
自転車につけるベルみたいなものである。
まあそんなことはどうでも良くて、重要なのは二人組が横断歩道を無理矢理渡ってこっちに来ている、ということだ。恐らく追っ手を僅かでも足止めする為だろう。事実、ちょうど七、八台のトラック達が走っているせいで追っ手は足を止めていた。
それにしても、なぁ……。
……不味いなぁ、関わりたく無いのに……。
ほらもう、手ぇ振っちゃってるよ。
明らかになんか用あるじゃん……。
「キ、キミ……ゼェ……近くになんか……フゥ……身を隠せる場所知ってる……? 」
目の前に来た二人組のうち、白いレインコートの男はそう言った。ピンクの少女の方はもうだいぶ限界そうで、一言も話さず息を整えている。
……さて、どうするか。
いや、どうするもこうするもないか。普通な対応をすればいい。
「向こうの方に交番あるんで、トラブルならそっちに言ってください」
そう言って俺は背後の道を指し示した。宿探ししていた時に確かあった気がする。結構遠いけど、まあ大丈夫だろう。
「いや、ちょっと、交番は……」
「なんです……? もしかして、あなた方の方があるんですか? 後ろめたいこと」
「いやァ、別にボク達も百パー被害者って訳でも無いんだけど、でもどっちが悪いかっていえば多分……向こうの方が悪いんじゃないかなァ……? 」
やたら歯切れの悪い男を見ていると、いきなり少女の方が腕を掴んできた。
「お願い私は間違えられてるだけなの! 私何も悪いことしてないのにこの変な人の連れだと思われてるの! 誤解解こうにもアイツら拳銃みたいなの持ってて───」
うん!?
「オイ、拳銃だって!? 」
俺は驚きのあまり少女の肩を掴む。
なんか矢継ぎ早に状況が変わって混乱してきた……!
「そ、そうなの! ヤバいの私このままだと死んじゃう! 」
「えっと、分かった。とりあえず君は巻き込まれた被害者なんだな? オーケー分かった……そしたら───」
「追っ手が来た! 」
男はそう叫び、さっさと路地裏に逃げ込んでしまった。振り返ると、確かに横断歩道を渡った追っ手の姿が見える。
追っ手はこの娘のことをあのクソ野郎の連れだと考えていることと、向こうが拳銃を持ってることを鑑みるに……。
……これは、不味いぞ!
とにかく全速力で交番に───いや、ココから交番まで走って十五分はかかる。その間に結構横断歩道を挟んでいたし、しかも道なりで障害物も殆ど無い。彼女の残った体力を考えると、最低でも途中で俺が彼女を抱えて大の大人より速く走る必要がある。だが俺の運動能力はそんな芸当が出来るほど高くないのは、誰よりも俺自身が知っている。
正直、逃げ切れる気がしない。
それなら、路地裏に行って男を追うか? 幅は大体一人半ってとこだ、六人グループのアチラの方が不利だろう。入り組んだ地形を使えば、あまり走らずに追っ手を撒ける。それに、男を捕まえて追っ手に引き渡せば、もしかしたら誤解が解けるかもしれない。まだ男が走り去ってからさほど時間は経っていない。今なら間に合う。
しかし、俺はこの辺りの土地鑑が無い。路地裏の先は分からないし、もしかしたら行き止まりになっているかも。それに、成人男性一人を己の力のみで捕まえられる自信も、あんまり無い。
……どうする。もう追っ手はすぐそこだ。
「……しゃーねェ、行くぞッ!」
「え!? あ、うん! 」
考えた結果、俺達は路地裏に入った。
賭けになるが、立ち止まるよりはマシか……!
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