二〇三九年、八月二十四日水曜日。時刻は多分零時半。『ビギニングウッド・テクノロジーズ』日本支社ビル前の大通り。
群衆がひしめき、ホログラフィーな広告が曇り空を照らし、AIの集客音声が甲高く響くこの暑苦しいストリートで、俺は前を向き立っている。
目の前には青く照らされた全面窓の巨大ビルがそびえ立つ。ビルの先端はほんの少しコチラに向けて傾いており、まるで東京の街を行く人々を誰彼構わず見下しているかのようで、俺は若干の不快感と威圧感を覚えた。
……きっと、最上階にいる社長は悠々自適に葉巻でも吸ってんだろうな……。
そんなことを考えていると、
『……うーし、準備出来たかい? 鎺クン』
オペレーターを務める鵐目が通信してきた。俺は一度深呼吸し、イヤフォンを軽く押してミュートを解除する。
「ああ、バッチシだ」
『なら良かった。この期に及んで怖気付かれちゃ、困るからね』
俺はビルに向かって歩き始める。身体が緊張で固くなるが、再度深呼吸して出来る限りリラックスさせる。
「ガサキとナミケンの方は? 」
『十分前から所定の場所で待機中。早く行かないと暴発するぜ? 』
「……流石にガサキが居るから大丈夫じゃねえかな……」
でも血の気多いからな、あのバカ……。
そんな事を考えつつ、俺はフードを被り、手袋をはめていく。真夏日にこんな格好するので死ぬ程暑いが、これからしでかす事を考えれば我慢するしかない。
……そうだ。俺はこれから人殺しになる。
もしかしたら、神がかり的な偶然で奇跡的に誰も殺さずに済む可能性も無きにしも非ずなのかもしれない。
だが、そんな事は無い。これは確信を持って言える。たった十六年ぽっちの人生経験しか無いが、そういう奇跡は期待するだけ無駄だと思っている。
奇跡は起こらないから奇跡、とは誰の言だったか。
……殺したくねぇな。誰も。
『えっと……鎺くん? 』
「……ん? サヤ? 」
サヤの方から通話してくるとは、珍しい。
『うん、今鵐目さんに代わってもらったの。……ちょっと話しておこうかなって』
「ああ……」
『……鎺くんがもし人を殺しても、えっと、気にしないで……はちょっと違うな……えーと、どうしよ……』
暫く逡巡した後、サヤは何を言うか決めたようで、一人でうん、うんと頷いた。
『また晩御飯の買い出し、行こうね!』
……サヤは優しいな。本当に。
大好きだ。
「……ああ、行こう。また一緒に出掛けよう───通信終了」
俺はイヤフォンを軽く押して、マイクをミュートする。そして腰に忍ばせていた仮面をつけた。
さて……行くか。
「……! 」
ビルのラウンジにいる人々は、突然現れた仮面とローブの男に心底驚いていた。誰もが口を閉じ、ラウンジを静寂が支配する。俺はその中を堂々と歩いていく。
「すみません、ちょっと止まってもらえますか」
受付に辿り着く前に、二人の警備員が俺の行く手を遮った。どちらも屈強な肉体をしていて、腰には特殊警棒が提げられている。
「ここには、どのような目的で? 」
「目的? 目的ね……フフフ……」
出来る限り怪しく、出来る限り恐ろしく。
仮面に内蔵された安物のボイスチェンジャーが、俺の声を中性的なものに変換する。警備員達の顔色は一切変わらず俺を威圧的に見下しているが、そんなことはどうでもいい。
「地下の『資料室』に用が───」
言い終わらないうちに片方の警備員が双手刈を、もう片方が特殊警棒を振りかぶった───。
「なッ……!?」
が、どちらも俺に届くことは無く、『空中に固定された』。
「───あるのだが、通してもらえないだろうか? 」
拳銃の安全装置を外す音が周囲から連続して聞こえた瞬間、躊躇無く弾丸を発砲してきた。何十発も発砲したため、周囲が雷汞の煙で薄灰色に染まり、狙いの外れた弾が床に当たってコンクリートの粉末を撒き散らした。しかし───。
「酷いじゃないか。君達の仲間は蜂の巣になってしまった。ほら、返り血もこんなに……」
俺は即座に固定していた警備員を肉盾として使い、無傷で身を守った。どうやら『彼ら』は全員防弾プレートを標準装備しているらしい。嬉しい誤算だ。
残弾全て使い切ったのか、銃撃は止み、代わりにナイフを装備した人々が俺を取り囲む。彼らの服装は全て、さっきまでいたラウンジで談笑していた男女のものだった。
全方位から殺気を当てられ、常人ならば絶体絶命の状況であるが、生憎俺は超常。俺の能力を使うなら一対多の方が有利である。そして、そんな不利状態の敵を見回し、俺は静かに言い放つ。
「さあ、楽しもうや……」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!