ようやく、ティヌはオレとの生活に馴染んできたようだ。
オレが朝食を作っているあいだに、ティヌが朝刊を取りに行ってくれた。朝食はたいてい夕食の残り物になる。昨日のハンバーグが残っていた。トマトの輪切りとサラダ菜を、食パンではさんで、魔法で焼き上げることにした。
ひとりで食べるときは、こんなに凝った料理をしない。解任になって、1人で暮らしていたら、寂しかったことだろう。ティヌを買って正解だったな、と思った。
解任になったときはショックだったし、屈辱的だった。だが、こうして暮らしてみると、悠々自適である。
皿に盛りつけていると、ティヌが戻ってきた。
「今日の朝の新聞を買ってきたのですよ」
「サンキュ」
受け取った。魔法で空中に浮かべて開けてみる。
「最近は、帝都の雰囲気がすこし暗くなってきたのですよ」
「たしかにな」
どうやら戦のほうが芳しくないらしい。ホウロ王国軍との国境にあったザミュエン砦が、ホウロ王国軍に突破された。それから連戦連敗だと聞いている。今日の新聞にもその件が書かれていた。
このナロ・ワールドにおいて最大国であったマクベス帝国が、こんない簡単に崩れていくものか……と他人事のように見ていた。
コーヒー豆。空中に浮かべて、魔法で削る。茶色い粉がオレの手元で浮かんでいる。それをドリップパックに詰める。湯を淹れると、モカの甘い香りがたちのぼった。このコーヒー豆にしても、奴隷がいるから安価で手に入っている。帝国が弱体化していくのなら、もう簡単には手に入らないかもしれない。
「コーヒーって美味しいのです?」
「飲んでみるか?」
「よろしいのですか?」
「どうぞ。モカだから甘くて飲みやすいと思う」
と、オレのコップを差し出した。
ティヌはオドロオドロシイものを覗きこむかのように、白いカップを覗きこんでいた。すこしススる。とたんにティヌの顔が、いまにも泣き出しそうなものになった。
「トッテモオイシイノデスよ。デスガ、ワッチはもうジュウブンなのです」
言葉がカタコトになっている。笑った。
いちおう気を遣っているのだろう。
「ムリをすることはない。嫌いな人にとっては、ただ苦いだけの飲み物だから」
「ワッチにはご主人さまの作る朝ごはんのほうが、口に合っているのです」
と、特製のハンバーガーにかぶりついていた。焼きあげた食パンがサクッと音をたてていた。
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
ふとティヌは神妙な表情をした。
「チョット前までは、こんなに美味しいものを食べたことはなかったのです。だんだんとご主人さまに甘やかされていることに、慣れてくる自分が怖くなるのです」
「ほお」
と、ティヌの正面の席にオレも腰かけることにした。
「だんだんと、ご主人さまの御好意が当たり前のものに感じて来るんじゃないか……って」
「当たり前のものに感じたらダメなのか?」
「感謝の気持ちが薄れてしまうのですよ。悪い娘になってしまうのです」
その言いかたが、妙に子どもっぽかったので、微笑ましい気分になった。もっともティヌにとっては笑えない相談なのだろう。
「なんならもう少しワガママを言ってくれて構わないぜ。試しに今日の夕食の要望でも聞こうじゃないか」
「ご主人さまの作るものなら、なんでも良いのです」
ティヌがそう答えるあいだに、すこし間があった。
何か要望があるのかもしれない。
「そんなこと言うなら、泥団子を作って出すかもしれないぜ」
冗談を言ったつもりなのだが、
「ご主人さまの作るものなら、泥団子でもいただくのですよ」
と、マジメに返された。
もしかして泥団子を食べたことがあるのかもしれない、とすら思わせられた。
「なんでも良いって言うのが、作り手としてはイチバン困るんだけどな」
「ワッチはきっと罰が当たるのです」
「どうして?」
「エルフのくせに、こんなに贅沢しているから……」
ティヌはときおり、卑屈なことを言う。けれど、それはティヌ本来の性格ではないように見えた。奴隷としての生活が、ティヌにそのような考え方を植え付けてしまったのだ。ときおり見せる明るさこそが、本来のティヌである気もする。そしてその明るさを引き出そうとして、オレは躍起になっている。
「いちおうオレは、ティヌの所有権を持ってる。雇い主とでも言えば良いか?」
「はい」
「なら、罰を与えるのも主人のつとめだ。そのオレ以外に、ティヌに罰を与えるヤツなんていないだろ」
「ですが……」
「心配はいらないって。この日々は永遠に続く。約束するよ」
と、オレは指をさしだした。
ティヌははにかむような笑みを見せると、オレの指に小さな指をからめてきたのだった。
チリンチリン……ベルが鳴る。
「おっと。無粋な来客が来たようだ」
モカをひとくちススって席を立つことにした。間接キスだな、と思った。
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